呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

『第三の磁場』〜辻野久憲試論〜小野塚力 著

 

 作者の小野塚力さんから、評論集 『第三の磁場』〜辻野久憲試論〜を御恵投いただき、早速読ませて頂いた。

 二十八年という短い生涯の中で、早くに、梶井基次郎堀辰雄宇野浩二らと交わり、萩原朔太郎に師事した、今では忘れ去られた作家、辻野久憲について書かれている。

 作者の小野塚力さんは、私を私小説の沼に引き摺り込んだ師匠で、まぁ、いつも面白い作品を紹介して、読ませたくなるように仕向けるそそのかせ、が本当に上手い。

 本書もその得意技が至る所で炸裂している。

 宇野浩二あたりならば、江戸川乱歩横溝正史好きなら、エッセイから手繰り寄せて、ギリギリ現代でも読まれる作家ではあるだろうけど、その周辺であった辻野久憲ともなると、私程度の純文学愛好家なら初耳の作家であり、試しに何か読んでみようか、とアマゾンで検索をかけるも、単著で目立ったものはヒットしなかった。

 本書を読むと、私小説に接近した愛人との交換日記、これが博物館の所蔵で、未だ刊行の目処が立っていない日記なのだが、その一級資料を実際に現地へ赴き、目にした感想と、そこから広がる【私小説論】近松秋江田山花袋、果ては西村賢太にまで連なる流れの解説が抜群に面白い。

 きっと更なる私小説ファンを開拓してくれる一冊となるに違いない。

 そして今回も小野塚力さんの、忘れ去られていく作家に対しての郷愁の想いが胸を打つ。名調子で、この技こそが原動力であり、書き手、小野塚さんの真骨頂だろう。

 販売は

passage.allreviews.jp

さんで取り扱いをされています。売り切れないうちに是非お手元へ。

甲賀三郎『蜘蛛』を読む

 

 

 本日は甲賀三郎の短編『蜘蛛』を読んだ。なんだ、呉エイジ甲賀三郎好きを標榜しておきながら、基本のど定番である日本探偵小説全集に収録の作品すら未読のままなのか、というお声も上がりそうだが、私から言わせれば「全く復刻の進まない甲賀作品を、先に全部読んでしまったらどうするのだ」という悲痛な叫びがあってからこそ、の積ん読である。

 

 なので刊行されている甲賀作品は、チビチビと、味わうように楽しんでいる。真相に言及しているので、未読の方はこの先の文章にご注意を。

 

 本作品は文学時代の昭和五年一月号に発表された作品で、同時代では江戸川乱歩が『孤島の鬼』『蜘蛛男』の連載をしている。通俗長編にシフトしていた頃だ。横溝正史は『芙蓉屋敷の秘密』の頃。

 

 活躍する乱歩の姿を見てインスパイアされ『蜘蛛男』の連想から本作に使う小道具として蜘蛛をチョイスした、かどうかは分からない。

 

■江戸川くん、僕だって変格のような物を書けるんだよ

 奇妙な建築物、円筒形の建物が支柱の上に乗っている研究室で、辻川博士は蜘蛛の研究を始めた。この辺りは館もののフォーマットを意識したのであろうか。

 従来の研究を投げ捨て、蜘蛛の研究に打ち込む変人として描かれる。

 そして研究室内の描写として特筆すべきなのが、不気味な小道具の列挙。変格作品において、重要な技巧といえよう。

〜八本の足を付けた怪物が思い思いに網をはって蟠踞していた。大型のおにぐもや、黄色に青黒い帯をした女郎蜘蛛や、脚が体の十数倍もあるざとうむしや、背に黄色い斑点のあるゆうれいぐもや、珍奇なきむらぐもや〜

 など、気味の悪い名前をチョイスして並べ立て、不気味さを演出している。図鑑を見ながら選んでいたのだとしたら、ちょっと微笑ましい。本格一辺倒だと思われたら心外だ。変格のフォーマットだって、私は難なく書けるのだよ、という挑戦心があったのだろうか。

 

■サラッと書かれる机の足に設置された謎のスイッチ

 

 この作品でトリックを通常の読み方で看破することは、ほぼ不可能に近い。甲賀三郎は〜館を動かすスイッチの存在をちゃんと描いているじゃないか〜というかもしれないが、それをフェアだとは現代の目からではとても言えない。この辺りの自己中心的な脳内ルールのせいで、復刻にも歯止めがかかっているのかもしれない。

 殺害したい博士を招き、書き手を目撃者として利用すべく招待し、二人が仲良く歓談する姿を見せつける。

 そして部屋に毒蜘蛛が逃げ出してしまったかもしれない、と先に告げておいて、毒蜘蛛ではない蜘蛛を放しておく。床を這う蜘蛛を見た博士は飛び上がって驚き、建物の外へ飛び出した。そこで転落死という事件が起こるのだが、これは電動スイッチで階段と出口の位置をずらし、足を踏み外させた殺人トリックであった。

 

甲賀! やっぱり機械トリックかい!

 

 目撃者が異常を感じ、出口に駆け寄ろうとするも、辻川博士に止められる。その間に建物の回転は完了し、出口と階段の位置は元に戻る。なかなかタイミング的にも難しい無茶トリックだ。回転は辻川博士の匙加減だし、蜘蛛を発見するタイミングも、階段が離れているタイミングで見つかるかどうかは運任せであろう。

 そして解決はご丁寧にも辻川博士が犯行の動機、経緯を書いた日記の発見。日記には毒蜘蛛が殺した博士の生まれ変わりなのではないか、という発狂ぶりを見せて、握り潰すまでの様が書かれる(当然噛まれるであろう)。そのような狂気の抒情性を出そうとしたのであろうが、やはり甲賀作品、色々と無理がある。

 それでもなんだろう、この探偵小説でしか味わえない味わいの深さは。皆さんにも愛されてほしい。剛腕から繰り出される豪速球の自己中心的探偵小説作品の数々を。

水素吸引でリスク回避

 

 先日、大枚をはたいて水素吸入機を購入した。ここ最近では一番高い買い物だった。何故、趣味の機械とはいえない器具を優先して買ったのか。それは健康を考えてのことだった。

 

 

 水素吸引により体内のミトコンドリアから排出される善玉と悪玉の活性酸素、善玉は外界からの異物やウイルスを退治、攻撃する役割を持ち、悪玉は酸化、炎症、老化、正常な細胞への攻撃から癌の発生リスク、まで、この悪玉の活性酸素を、水素は狙い撃ちで結びつき、水に置き換えて体外へ排出してくれるのだ。おまけに水素には後遺症がない。

 健康の鍵は食事よりも先に、今この瞬間にも繰り返されている【呼吸】なのだ、と思い至った。なかなかエセ科学的な扱いを受ける水素だが、ブームの去った水素水、あれは容器から水素が抜け出て、飲む頃にはほとんど水になっていることから、インチキ呼ばわりされ、水素ガス吸入にまで飛び火した。

 

 

 この本を読んで、水素が健康にとって有益である、という思いを強めた。あまりにも広範囲な病状に有効である、と書かれているため、本当か? と思いながら読み進めている。しかし悪玉活性酸素を除去する、という現象はイコール健康に結びつく理に適うため、今では積極的に水素ガスを吸引している。

 この記事を読んで水素を健康に活かしたい、と思った人は、水素吸入機がなかなかの値段で躊躇してしまった人もいることかと思う。

 そこで今回は【お試し水素吸引】の方法を記事にした。そんなにお金をかけずに風呂に浸かりながら半時間、水素吸引を習慣にする。これで癌リスクが回避できるのなら安いものであろう。

 まず必要なものはビーズマグネシウム

 

 

 そして水に溶かして化学反応を起こすためのクエン酸

 

 

 

 そして100円均一のスパイシーボトルと、ホームセンターで切り売りしているゴムチューブ。一メートル数百円で買える。あとは医療用カニューレ(鼻から吸引する器具)だ。これはメルカリで新品を探すのが早いだろう。

 

 

 これで簡易水素ガス吸入環境は完成である。スパイシーボトルにビーズマグネシウムを適量入れ、水にクエン酸を溶かしてボトルの七割くらいまで注ぐ。すると化学反応を起こし泡立ってくる。それが純水素である。

 スパイシーボトルの先にゴムチューブを押し込み、カニューレを継ぎ足す。カニューレの直径を定規で測って、サイズの合うゴムチューブをホームセンターで選ぼう。ミリ単位のサイズでチューブは売られている。

 これで半時間は勢いよく水素が出てくれる。風呂の床に置き、自身は風呂に浸かって水素を吸引し、1日の疲れ、悪玉活性酸素の除去を寝る前に済ませる習慣をつけて、大病のリスクを回避する。水素には血管拡張作用があるので(抗生物質に頼らないナチュラルでは唯一の効能)、心筋梗塞脳梗塞の予防、回避にも繋がる。

「コッテリしたものばかり食べ続けたから、中年になったら俺、心臓か脳の血管、詰まるかもしれんなぁ」

 みたいな心配をお持ちの方も、この安上がり水素吸引システムで大病予防。病院のベッドで寝たきりとか、半身不随とか、言語障害とか、御免被りたいところだ。

 水素の効能を国はあまり大っぴらにしていない。医療費で儲けたい層にとっては迷惑な情報だからだ。なので水素水ブームが去って胸を撫で下ろしていることだろう。

 エセ科学認定された水素、ここは陰謀論信者ではないが、世間の逆張りで行こう。1日に半時間の水素吸引は、健康に繋がる。

 あと気を付けて欲しいのは、クエン酸水を注ぎすぎると、カニューレを登ってきて水が鼻に入る。これがかなり酸っぱい。そして化学反応を起こしたボトル内は沸騰している。水素の出が弱まったら、タオルで持ちながら反対にして、水を排出しよう。水がなくなれば化学反応は止まる。水で何度かビーズを容器内でシェイクし、洗い流そう。乾かせば数十回は繰り返しビーズは使える。ガスの勢いが弱まったな、と思ったら替え時であろう。

 倒すとこぼれるので、これは寝床に持ってはいけない。私は入浴しながら半時間の水素吸引、そして寝る前に冒頭の水素吸入機の三時間タイマーをセットして、寝ながら吸引している。

 子供達に迷惑をかけたくない。病気をこれくらいの投資で回避できるのなら安いものだ。動けるままポックリ逝きたい。そこがとりあえずの目標である。

 長生きすれば積読の探偵小説も消化出来るしね!

銀髪伯爵にスクショを晒されて腹が立ったので言い返す記事

 日頃から甲賀三郎好きを公言している。復刻本の類いや、オークションなど、色々とチェックをしているのだが、ネットサーフィンで甲賀三郎情報を検索することは、ここながらくしてこなかった。

 サイトでは『甲賀三郎の世界』があり、それで満足していたこともあるが、最近、銀髪伯爵という人が甲賀三郎含め、探偵小説の話題を多くブログで取り上げているのを見つけた。どの記事も興味深いものであった。

 内容は素晴らしく、深く読み込まれており、感想も的確で読みながら色々な気付きも得られた。

 読み進めていくと、ある記事で私のツイートがスクショで晒されており、もちろん事前に向こうからは何の連絡もないのだが、こっちの立ち位置を一方的に決めつけて、悪事に加担するなんちゃら一派、みたいなニュアンスの書き方をしていた。

 まぁなんという残念な御仁であろう。

 博識であるのに勿体ない。人格ボロボロではないか。色々とマナーが昭和のままアップデートが止まったままな人のようだ。

 この記事は、私の発言をスクショで晒され、その日はスルーしたが、だんだん腹が立ってきて、そう、関西弁で言えば、気ィ悪い、ごうわくのぅ。というところなのだが、この銀髪伯爵、あまりにも考え方が偏って、嫉妬、妬み、嫉みの念に囚われて相当おかしなことになっていらっしゃるご様子。そして他の晒されている方々は皆大人なので、きっとスルーなのは明白。反論、アドバイスをする方も出てこないようなので、この機会に諭して差し上げましょう、という記事である。

 私も銀髪伯爵同様、幼稚なところがあるのだ。

■俺たちは別に袂を分つ必要なんて無いんじゃねぇの?

 銀髪伯爵氏が、どの作家の推しかは知らないが、探偵小説全般に深い愛情を持っていることは、ブログの文面からでも理解できる。

 これまで断続的に探偵小説の復刻は各社行ってきた。が、論創ミステリ叢書以外どれもそれほど長続きはしなかった。

 

 光文社のミステリー文学資料館編のアンソロが止まってしまったのは個人的にショックだった。止まるのなら相当量な蔵書を、電子化にでもして会員制で閲覧できるようなサービスを始めてくれよ、みたいなことを思ったものだ。

 大手が昭和の探偵小説から手を引いているのは、それが商売にならないから、採算が取れないからだろう。

 そこで銀髪伯爵が糾弾する、私家版、同人出版の話になってくるのだが、氏は、それらの本が誤字だらけで、ぼったくりすぎだ、と指摘している。

 作品ごとに誤字、脱字をブログで列挙しているのだが、私も読みながら気付くことはあるが、並べるととんでもない分量である。

 が、銀髪伯爵氏よ、噛みつきすぎだよ。そこは大目に見て、というか一旦脇に置いて。

 他に大陸書房さん、ここは甲賀三郎を復刻してくれたので、とてもありがたく思っているのだが、銀髪伯爵氏と一悶着あり、大陸書房さんが声明を出したようだった。

 その内容が、ネットで書評してくれるな、とか誤字にツベコベ言うな、的な内容で、これは流石に私も『お金取っておいて、それは酷いだろう』とは思った。なんでそこで意固地になるねん、版元よ。そこは素直に意見を聞き改善したり、耳を傾けるべきであろう。「誰も復刻しないし入力しないからだ!」という気持ちは痛いほど分かる。が、せめて誤字の指摘は聞き入れて、増刷の際は修正しますよ、という簡単な事くらい言えなかったか。

 ここら辺を銀髪伯爵氏はちゃんと指摘しているのに、盛林堂関連の私家版発売をリツイートして拡散した個人のツイートをご丁寧に各人スクショしてブログに貼り付けて、偏った理論で糾弾する。

 貴方の老害ぶりも大陸書房さんとなんら変わらんよ。

 テキストの正確な入力、それは良心の問題だろう。愛とも言える。そして素人なりに入力したのなら、校正を外注なりに頼むのが正規の手順であろう。

 が、あくまで私家版である。銀髪伯爵の叩き方は、大手出版社がそれをやったら、の場合であろう。

 私は叩く前に、埋もれた探偵小説を出版してくれることを、まず先に評価したい。テキストの内容は二の次、みたいなことを言えば、氏に燃料を投下するだけなので、そこは糾弾よりも指摘するなり、育てる気持ちを持つべきではなかろうか。

 だって大手はどこも出してくれないじゃん。定本甲賀三郎全集も、大下宇陀児全集も。

 テキストがなくては議論も再評価もできないではないか。市場が縮小し、大手が手を引き、私家版しか探偵小説を復刻しなくなったのは、貴方も私も、探偵小説ファンが、啓蒙活動をちゃんとできていなかった事も敗因の一つであろう。

 西村賢太ばりの気迫があれば、大手出版社を動かし、藤澤清造の主要作品が現代でも読める土壌を作れたように、探偵小説の復刻も、もっと進んでいたことだろう。

 探偵小説ファンが、若い世代に、そそるような紹介が出来なかった。

 そしてせっかく出してくれる(これを単純にありがたがる、とは言って欲しくない)人達を、クソミソに批判するだけではかえってマイナスではないか、銀髪伯爵さんよ。

 そして私にだって思うところはある。勝手にカテゴライズしないで頂きたい。

 この機会に言い残しておこう。東都 我刊我書房さんの『闇に浮かぶ顔』この六千円は高い。四千円くらいで出せませんでしたか? これは興味はありますが、スルーしました。採算もあるし慈善事業ではないのは承知なのですが。

 このようにテキストボロボロで、高ければ、消費者は考えて購入を判断します。鬼の首でもとったかのように、一つ一つ誤字を抜き出して、出版辞めてまえ。みたいな行動は

不毛。

 何も生み出さない。

 そもそも銀髪伯爵さん、あなた自分が本造りしてみよう、と思ったことないでしょう。偉そうに人に言う割には。

 出来るかどうか分かりませんけどね、素材だけは準備しておこう、と思って、某長編をテキスト打ちしていたんです。私家版を出したくて。どこも出してくれないから。

 長編一本、先週入力し終えたんですが、一年かかりましたよ。数行入力して、間違えていないかチェックして、会社から帰って1日にこれだけ、と決めてコツコツやって先週入力し終えました。一年かかりましたよ。

 そうなると掲載誌の挿絵も気になってきて、高い古本を買いましたよ。まだ全部揃っていなくて、最後の一冊が日本の古本屋で一万超えしてるんです。この時点で資料代3万円くらいですわ。一年の人件費、資料代に3万円。

 で、この文庫くらいの体裁で出したいんですが、探偵小説ファン、今では200部くらいでしょうか。私家版なら100部出れば御の字かもしれません。そうなるとこれ、千二百円なら貴方怒り狂いますわね。じゃあ探偵小説普及のため、800円で出しましょう。完売して八万円。資料代に3万円、印刷代に3万円、一年準備した利益、二万円ですわ。

 これじゃ文学フリマ遠征した先で、焼肉も食えませんわ。それで校正を外注に出して完璧なテキストでお金を貰うようにしろ、と吠えるんですよね。

 やってもいないのに一流の文句言わんほうがええよ

 内容ボロボロのテキストの本が嫌な人は買いませんわ。リツイートしたり宣伝したりするのは、忖度も何もなく、単に探偵小説ファンが増えて、なんらかのきっかけでバズれば、大手も振り向いて、復刊が進むことを期待しているからですやん。

 銀髪伯爵さん、貴方がレーベル作って私家版を出せばいいんですよ。「そこまで人に偉そうに言うんだ、誤字脱字なんて全くないですよね」みたいな幼稚なツッコミをする探偵小説ファンなんていませんよ。きっとあなた監修の本なら、ありがたがります。

 紙の本にこだわらずとも、私のこの本を読めば、ワードさえパソコンに入っていればKindle電子書籍出せます。

 

 正しいテキスト入力、誤字脱字で酷い商売、作家への愛を金科玉条の如く振り翳して、自分では正義の拳を振り上げているつもりで、周りにもそうやってアピールしているようですが、私には透けて見えるんですよ。

一冊六千円、かける二百部、売上120万、いいな、羨ましいな。テキストボロボロやん、けしからん。そんな仕事で120万もの大金を得るのは許し難い。羨ましい。

 利権にたかりたい小蝿臭がプンプンするんですわ。器小さい小さい。

 著作権の切れた作品、貴方の満足する水準で出してみればいいじゃないですか。出せないのなら言うな、とまではこっちも言わない。が、取り掛かって見れば見えてくることも色々ありますよ。校正を外注に出したら採算取れんな、とか。擁護とか抜きで。

 不完全なテキストだから沈黙すべき、という立場は取りませんね。それは消費者が各々で決めることじゃないか。

 貴方が叩くからミステリアス文庫も刊行ペースが落ちている。それは良くない状況だとは思わんか?

 もうね、日本の出版業界、体力がないんですよ。戦前の探偵小説を完璧に復刻する余力も。

 だからトライしている人らは、皆、慈善事業的な気概でやってるか、なんとか人件費、次の資料代を回収できるように、継続の為の値段設定をしとるんじゃないか。

 そこでテキスト入力がボロボロだ。悪のルフィと、それらを称賛する子分達? 何を言うとるんだ貴方は。そんなもの読む方も悪口ではなく「誤字ありましたよ」と言うてやればええじゃないか。それが我慢ならないのなら買わなければよいだけの話。土壌を育てて支えなけりゃ途絶えるのよ、復刻が。

 そのレベルで金儲けする奴らは悪で許し難い。いや、後世のためにテキストは絶対必要なのだ。

 貴方が叩くから「本が届いた。今日はナイスデイだ」みたいに最初は盛り上がっていたのに、空気見て皆萎縮しとるじゃないか。

 俺は屈しない。100パー完璧なテキスト? それに越した事はないが、大手がやらないから有志に期待せざるをえない。で、そこは個人出版だからケアレスミスは大目に見ていこう。これが正しい探偵小説ファンとしての姿勢だと思うがね。

 完璧な形態以外認めないし見つけりゃ徹底的に糾弾する。そっちの方が発展を阻害する悪だわ。俺から言わせりゃ。

 そしてやってる人達は、なんとかこの作品を残そう、と個人でチマチマ古い本見ながら入力して。それは決して楽な作業じゃない。金が動機の一番にくるのならもっと楽な金儲けあるわ。

 探偵小説ファンの足元みた、酷い商いしやがって、とは一概に言えんと思うがね。

 初出誌抱いて棺桶に持って入るのが吉かと。もうこれ以上、探偵小説復刻の邪魔をしないでくれ。

 

ヒラヤマ探偵文庫JAPAN 湯浅篤志・編 三上於菟吉『美女舞踏』を読む

 

 三上於菟吉『美女舞踏』を読んだ。短編が二本収録されている。表題作と『獣魂』で、どちらも極く短いもので、すぐに読めるものだ。

 まず『美女舞踏』から。タイトルからして良い。美女に舞、探偵趣味濃厚なフレーズである。このような煽情的でいかがわしいワードで釣り込んでくれるのが嬉しい。

 蛇嫌いの男の話で、私はそこまでではないが、同僚で『蛇が通った跡を踏むのも嫌だ』という男が居た。蛇嫌いの人間は、そこまで徹底して嫌悪する人が多いように思う。

 前段のフリとして、その男の蛇嫌いのエピソードを描いておいて、後段、何故その男が癲狂院に行く羽目になったのか、という流れで物語は進む。

 そこでタイトルが絡んでくるのだが、蛇嫌いの男が舞踏ショーに誘われる。そのショーに蛇嫌いの男の妻によく似た外国人女性ダンサーが出るから、という理由で観劇するのだが、そこから何故精神病院にぶち込まれることになったのか、というのが謎。

 編者の湯浅さんはオチが物足りない、と書かれていたが、私は充分満足だった。懸命な探偵小説読みなら、この段階で、蛇のようにクネクネした舞踏を見せる外国人女性ダンサー、その後気絶する男、そこから様子がおかしい、似ているダンサーと男の妻、蛇。このキーワードで男が何故妻に襲いかかったか、察しはつくだろう。

 綺麗に部品が収まって、探偵趣味も濃厚。ハードルを低くして読んでいたので、この雰囲気の良さは予想外だった。

 次に『獣魂』これもワードセンスが探偵風味濃厚で良い。三上於菟吉はよく分かっている。これがセンスというものだろうか。松本泰あたりと並べても優っているように思える。

 作家の元に旧友が訪れる。父の様子が最近おかしく、夜中、四つん這いで歩いたり、高いところにぶら下がったりする奇行を見せ出したらしい。これがメインの謎。

 伏線としてこの老人が、若い妻を娶ろうとしている、というフリがちゃんと前段で書かれている。

 この奇行の謎を作家が解くのだが、これも無理がない。倉田啓明に通じる無茶な謎の力技解決系の話だが、納得できる解決である。

 探偵趣味の扱いも吸収も、やはり作家自体のセンスの為せる技か、十分に楽しめる内容であった。よくできた古い探偵小説を読んだ満足感を味わえた。

祝! 我が妻との闘争〜熟年離婚の足音 篇〜発表

 

 

 

 

 今年もなんとかギリギリではございましたが、我が妻との闘争、2023年版、出すことができました!

 このシリーズ、なんと第七段でございます。小一でスタートしたシリーズが中一にまで。月日の流れるのは早いもんです。

 十年、続けられるでしょうか? 年々体力も落ちておりますので、自分の尻に鞭打ち鞭打ちやっております。

 今年の宿題を済ませた、という安堵感でいっぱいでございます。既にアマゾンレビューが三件、星評価頂いております。出すまでは苦しいですが、出した後はこのように評価頂ける喜びが待っておりますので、やっぱり本創りはやめられまへん。

 あたくしの読者は善人ばかりなので、業界でも有名です(笑)。文字レビューを頂ければ飛び跳ねて喜びますので、よろしければ是非。

 今回は私の連載人生でも後半戦、円熟期の作品群と、最近の小競り合いが並んでおります。

 来年はもちろん途切れることなくこのシリーズを一冊と、何か面白いやつを一発、かましたいですね。

 今も残業疲れでヘロヘロのまま、iPadでこれを書いております。皆さんと共に、良い新年を迎えたいですね。

 それではまた。

感情論で読み解く佐野洋『推理日記』1

 

 佐野洋のイメージは、というと厳しくて融通の効かない学校の先生、といった印象である。

 学生時代からそんなタイプの先生には反感を抱いて、反抗してきた。この推理日記を読むと、ところどころに学生時代を思い出す、なんとも言えない感情に包まれることがあるのだ。

 ちょっと言語化しにくい感情だが、私が推理日記を読みながら、どこに引っ掛かっているのか、書き進めながらボヤいていきたい。この日記は佐野洋ファンには反感を買うことだろう。だが、私がどこにイラっときているのか、読んでもらえればきっと理解はしてくれることだろうと思っている。

 さて、この写真に映る本の、186ページからである。小峰元の『アルキメデスは手を汚さない』についてのあれこれである。

 本作は江戸川乱歩賞受賞作である。内容に踏み込んでいるので、未読の方はご注意を。

 この頃の佐野洋の立ち位置はどの辺りだろう。大御所とまでは行かず、中堅のご意見番、といったところだろうか。

 作品に二、三、気になるポイントを挙げ、それもなかなかの辛口な物言いだ。新人が聞いたら結構刺さるだろうなぁ、と同情してしまう。

 そして決定的なポイントである。ここがあまりにも酷かったのだ。刺傷の場合、引き抜かなければ、筋肉の収縮もあり、歩いても外部には血が出ない。この医学的知識を利用して、密室に至った経緯が描かれるのだが、ここに佐野洋は引っかかった。

 移動すれば血が床に落ちるはずだ、という指摘を先ほどの医学的知識でやり返されたのだ。そこで佐野洋は一旦謝る。しかしこれは単なるポーズである。

 そこから誌面上で、そんな専門的な知識、医者でなければ知りようがない、一般の読者は私が間違えたのだ、インチキ、と言われても仕方がないし、そういうレッテルでまかり通ってしまうだろう。この私でさえ間違えたのだから、みたいな感じで噛み付くのだ。

 そこでそういう誤読を防ぐために、医学的知識のあるキャラが『刺殺の場合は引き抜かなければ血は流れ落ちないよね』と一言あるべきだ、とアカペン先生よろしく言うのである。

 これは作者の小峰元に激しく同情する。そりゃあんまりだ、と。医学的知識として正しいのに、アンフェアでもないのに、現実ではそうなのに。あなたがそう思ったから大多数の読者もそうだろう、という難癖的なマウント取りはどうよ、と。

 作家なんて打たれ弱い、豆腐メンタルの人は多い。こんなことを言われて『医学的に正しいのに、どないしたらええねん!』と思ったに違いない。

 続けて連続殺人事件は起こるが、それに関連性は無い、という指摘も森村誠一としている。せっかく難関、乱歩賞をとったのに、これじゃ意気消沈だったことだろう。

 

呉エイジと金平守人2023夏鳥取ドライブツアー

 年に二回のお楽しみ。今年も盆がやって来た。2023年8月24日、晴天。相棒の金平の実家へ車を走らせる。

 

 中学校時代から通い慣れた道だ。行き先はいつも勝手に私が決める(笑)。今回はサプライズを用意した。復元された鳥取城に案内してやろう。これを拍手とともに車内で発表した。相棒の金平は

 

「苦行以外の何ものでもない」

 

 と照れ隠しな意見を述べた。クソ暑い中での城歩き。苦悶い苦悶。旅の記録はツイキャスとして残した。三本の動画を録画した。

 

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 ブラブラする行き先は、中古ショップがメインなのだが、近年、本当に個人経営の古本屋さんが減った。その危機感もあり、今回もルートに組み込んだのだが、残念ながら定休日であった。スマホではオープンしている情報で出ていたのに、平日にやっても客が来ないからであろうか。

 

 一軒目は『ジャム』さんである。これはもう一軒目から最高であった。この店が今回のクライマックスとなった。

 

 

 この店は総合リサイクルショップという名称であるが、置いてある商品がその筋にはたまらないものばかりで、昭和グッズや昭和の雑誌も多く取り揃えられていた。ゲームやCD、レコードも古いものが多く、これはオススメしておきたい店である。

 

 

 我々にとっては桃源郷であった。

 じっくり店を堪能しているうちに、時刻は食事時をとっくに回ってしまっていた。腹ごしらえのために敷地内にあったラーメン店へ。

 

 

 最近私は辛いものブームである。相棒の金平は辛いものが全くダメで『よくそんなもん金出して食うな』といった表情である。

 私は『地獄ラーメン』をチョイスし、無料での辛さ、最高ランクの九丁目をオーダーした。

 

 

 許容量の範囲内で程よい辛さと旨み。ニンニクを落としたら、更に旨みが増した。チャーハンも美味く、結果汁まで完食してしまった。ンマーイ!

 

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 腹ごしらえが終わったら、引き続きお宝探索ドライブの続きである。

 

 ブックオフを巡るとき、最近は、まず西村賢太の書籍を探す。これが無い。悲しいくらいに置いていない。芥川賞作家なのに、である。文庫すらない。フリマサイトで高騰するわけである。

 

 西村賢太の次は講談社の文芸文庫、そして80年代アイドルCD、レトロゲーあたりを物色する。

 

 鳥取はこじんまりした街だが、ブックオフが集中しており、なかなか良い街だ。ミステリ関連の本も物色しながら店舗を巡る。

 

 

 そして金平を鳥取城の木造復元大手橋、大手門へと案内する。喜ぶ金平の顔を確認したら、泣き笑いのような表情であった(笑)。クソ暑いが歩くぞ! 金平!

 

 

 訪れて驚いた。門に続いて渡櫓も復元作業が進められていた。これは知らなかった。令和七年完成予定とある。

 

 

 渡櫓が完成すれば、見栄えはさらに映えるであろう。完成が待ち遠しい。きっとまた金平を連れて訪れることとなるであろう。

 

 

 本当は奥の石垣まで見学したかったのだが、漫画家の金平、悲しいくらいに体力が無い(笑)可哀想になって、奥までの見学は見送ることにした。

 

 鳥取城には良好な状態の明治の古写真が残っている。取り壊された三階櫓、ぜひこの写真通りに復元して欲しいものだ。

 

 

 汗を拭きながら鳥取城を後にする。ありがとう、また来るよ! さて、残りの店舗を駆け足で巡る。

 

 

 金平とのドライブは、あっという間に終わってしまう。互いに好きな本やCDを買い、ご満悦な気持ちのまま夜食へ。

 

 

 金平の食は細い。よくそんな短時間で食えるな、という表情だが、一緒に食べたいので、無理矢理店舗へ連れ込む(笑)。

 

 今年またキンドルの我妻の表紙を依頼しなければならない。私は彼に表紙代の借金がある。そのためにご飯代は全て出している。しかしこんな食事では追いつかない。

 

「くれぐれも焼肉の食い放題みたいな店には連れて行くなよ。全然元が取れへん食事量やさかいな」

 

 とは金平の弁である。

 

 体力が落ち、創作スピードも落ちたが、今年も何か足跡を残したい旨を告げ、宣言しておいた。

 

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伊藤人誉ミステリ作品集『ガールフレンド』を読む その1

 

 盛林堂さんから、また珍しい未読作家の短編集が出た。純文学寄りの作家から、ミステリ寄りのアプローチで組まれた作品集、ということ。これは読まねばならない。

 こちらで買えますので、あるうちに入手しておいた方が良いでしょう。

 解説はいつも私のハートを鷲掴みにしてくれる復刻神、日下三蔵さんで作者の後書き、解説には本書『推理小説のプロットを持った普通の小説』を意図して書かれたようだ。純文学寄りの作家がミステリを書く場合、私はどうしても木々高太郎の探偵小説芸術論を思い浮かべ、ミステリを芸術まで高めることができるのだろうか、ということを絶えず気にしながら読んでいる。

 本書はそこまで徹底して取り組んだわけではないのだろうが、サスペンスと意外性を狙った純文学畑の作家の手によるものがどのようなものか、それだけでも興味津々である。

 本作品集には五本収録されている。『たてがみのある女』『女は夜来る』『面をかぶった女』『女をゆすれ』『鍵と女』の五本。題名に【女】という字が全てに入っているので、そこから『ガールフレンド』というタイトルになったのであろう。洒落ている。

 早速一本目『たてがみのある女』を読んでみた。ここからはガッツリ内容に踏み込むので、御自身で購入し読了後、またこちらへお越しください。

 

 

 まず読後の印象。文章、テンポ、言い回しが上手いなぁ、ということ。エンタメ前提で書かれているので、スラスラと読める。タイトルの〜何それ? どういうこと?〜感も良い。

 主人公が酔っ払って歩いていると、カバンを引ったくられ、橋の上で突き落とされて気を失い、もう少しで溺死するところを通行人に助けられ、病院のベッドで目を覚ます、という幕開け。カバンの中には競輪で儲けた金が入っていた。

 受け持ってくれたのは女医で、男のような感じのするズボンを履いた女を感じさせないような毛深い30代の女性であった。

 物語は災難にあった主人公の男と、女らしくない毛深い女医、そして主人公の彼女、あとは下宿のお婆さんと女医の勤務する病院の看護婦ミナエらが魅力的に物語を進める。

 看護婦のミナエに尋ねると、自分を救ってくれたのはどうやら女医らしい。自転車で往診の途中、事件にあった男を見かけて、通行人と協力して川から引き上げたらしい。あんな女医に借りを作ってしまったことを面白く思わない男。

 男は退院すると競輪に出かけた。相当な博打好きである。あの日、競輪場からの帰りに屋台で飲んでいた時、一緒に店にいた男ではないか、と考えるも、人相やらがどうもはっきりせず記憶に残っていない。

 競馬場の帰りに彼女の幸恵の家に寄る。十九歳で可愛らしい彼女は男を助けてくれた女医にお礼の品、セーターでもプレゼントしたらどうか、という提案をする。

 男はお礼の品をさっさと渡して、女医との繋がりを早く解消したかった。看護婦ミナエに聞いた場所をうろつき、ようやく女医が間借りしている農家にたどり着く。古い農家で、家主の表札の下に女医の名刺が刺さっていた。

 眠っていたようで、慌てて身支度して応対する女医、話をしてみれば意外にも嫌悪するほどの異性ではないことに気付く男。

 翌朝、雇いの婆さんに起こされて、看護婦のミナエが来ていることを告げられる。どうやら事件があったようだ。話を聞けば、昨日訪れたばかりの女医の家が火事になり、焼け出されてしまったようだった。

 ミナエは男が雇いの婆さんと二人暮らしで、充分広い家に住んでいることを知っており、男に間借りを提案する。男も川から引き上げてくれた命の恩人、女医の災難を無下に断ることもできず、結局承諾することになる。

 この徐々に男に近づいてくるのが偶然なのか、故意なのか、そういう不気味さがある。女医の弟が尋ねてくるのだが、偶然部屋を見たときに札付きのワル、弟が持っていたのは男が盗まれたカバンにそっくりであった。

 物語中は一切語られず、状況証拠だけだが、こうなってくると、火事にあった農家の事故は女医の放火であり、弟に頼んで男からひったくり、救助して恩を着せたのも女医の魂胆であるし、温情につけ込んで同居した後は、男の住まいを医院に改装して自営する気だった、など一連が計画であったようでゾクっとさせられる。

 そして物語のオチだが、ここまで純文学の高みで描いておいて、最後が超常現象、ホラーな味で締めてくるのがどうも、でもこれは個人の好みの範疇だろう。意外性を狙ったどんでん返しであるのなら成功はしている。4段階評価でB。

 

甲賀三郎『支倉事件』を読む

 

 長年積読状態であった敬愛する作家、甲賀三郎の代表長編とも言われる犯罪実話『支倉事件』をようやく読み終えた。

 一つ長く放置していた宿題をやり終えた気分である。

 サブテキストとして新青年趣味の甲賀三郎特集が大いに役に立った。特に井川理氏の「実話」のポリティクス〜甲賀三郎『支倉事件』の島倉儀平事件をめぐる「事実」の変奏〜は、読み物としてもべらぼうに面白く、格好の副読本となった。

 さて、この作品を甲賀三郎の代表作、とされてしまうことに素直には頷くことができない。結局犯罪実話であるし、これを創元推理文庫に入れたために、現在まで〜犯罪実話の人、本格を提唱した論客で堅苦しそう、遊び心がない〜といった偏見を後押ししてしまった側面があるのではないか。

 あの文庫から本作を取り去り「体温計殺人事件」「血液型殺人事件」「妖光殺人事件」「山荘の殺人事件」「木内家殺人事件」などで編集していたら歴史はどうなっていただろう。

 新本格よりも早く甲賀一派が生まれ、いかにも、な探偵小説に飢えていた当時のシーンに一石を投じたことであろう。あくまでifの歴史ではあるが。

 閑話休題、本作の話へと戻ろう。この作品は実際に起こった事件の資料と聞き取りで再構築された、実話に限りなく近づけた犯罪譚である。

 支倉という職業、牧師が聖書を盗み、売り捌き、その件で警察が自宅まで事情を聞きに訪れると、一瞬の隙を見て逃走。

 そして逃走したまま警察を愚弄する手紙を送り続けた、というぶっ飛んだ性格の犯人なのだ。

前科を洗うと、自宅が数回、火災に遭っており、その度に保険金が支払われている(めっちゃ怪しい)。そして女中を暴行し、性病までうつしてしまっている。

 そしてその女中は行方不明となっており、未だ音信不通、生死すら分からない状態であった。

 井川理氏の論文から、本作では言及されなかった事実を、本作を読後に読み、何とも言えない気分になった。

 警察は女中が行方不明になった同じ年、井戸から上がった身元不明の女性死体が女中ではないか、と当たりをつける。

 掘り起こして白骨化した骨は、家族で同じ特徴の犬歯、僅かに残っていた衣類は、当時女中が着ていたもの、と限りなく女中を指し示すものであった。

 身元不明の引き上げが行われていた時、現場には支倉も見物していたという証言があった。

 遠目から見て、腐乱死体が女中だと分からない状態になっているかどうかを確認しに来ていたのかもしれない。

 本作を読んだだけでは、甲賀の筆が警察寄りであるため、支倉犯人説が濃厚なのだが、井川氏の論文中にある〜女中を世話していた老婆が、性病から自殺する可能性もあった〜という趣旨の発言を残していることを知ると、ちょっと待てよ、という気になる。

 確かに支倉は女中を強姦し、性病をうつしてはいるが、殺害した決定的な証拠がない。ここは自白によるものだけなのだ。

 状況証拠はある。そして女中の兄から金銭を請求されて、金を惜しんで殺してしまい、行方不明として慰謝料を有耶無耶にしたのではないか、との推測も成り立つ。

 それを踏まえた上で、個人的見解を述べさせてもらえれば、八対二の割合で支倉犯行、二割が自殺と思えた。

 自殺幇助の線もあったかもしれない。

 十六歳の若さで性病になり、世を儚んで自殺。事件当日、月明かりは「無し」である。若い女性が一人で、真っ暗な寂しい空き地の廃井戸まで行って身を投げるだろうか。

 ないとも言えない、か。海に身投げしたり、電車に飛び込んだりする方を選ぶのではないか、とも思えるが、死を決意した女性なら、一人でも闇夜の井戸まで歩き、人生を終わらせる可能性はないとも言えない。

 防犯カメラもDNA鑑定も無い、自白中心の判決。冤罪もあったことだろう。この事件も決定的な証拠に欠ける。

 色々と思い悩んで頭を掻いていると、目の前にモヤモヤと人影が現れた。思慕の念が通じたのか、それは甲賀三郎の姿となって現れた。

「こ、甲賀先生ッ!」

「誰だね、君は」

「遠い未来で先生をお慕いしている者です」

「ほほぅ、そうかね。私の作品は未来まで読み継がれているのかね」

「いいえ、殆ど復刊はされず、ほぼ忘れられた作家となっております」

 私は悲しい現実を突きつけた。先生はメガネの奥の眼を細め、不審げに

「馬鹿な、あれほど多く作品を書き続けたというのに」

 と気分を害されたようであった。私はいたたまれなくなり、思わず嘘をついてしまった。

「本は出ています。江戸川乱歩の全集と並んで書店で未来でも手に入ります」

「そうだろう。江戸川君の作も読み継がれるべき力を持った作品群だ」

 先生の機嫌は持ち直したが、少々心が痛む。

「先生のお作『支倉事件』のことですが」

「ほう、あれを読んでくれたかね」

「はい。先生は掲載誌に忖度して、女中を世話した老婆の証言を取り上げなかったり、支倉の妻が、アッサリ書生と再婚してしまって、作中ほど献身的ではなかったこととか、脚色されていますよね」

「……。」

「どうなんですか? 先生」

「脱稿後、判明したこともあってね、だから私はその後に弁明をしている。掲載先で抹消されたりもしたがね」

 先生は複雑な表情を浮かべていた。

「そうして犯罪実話で進めているのに、何故先生はいつもの手癖で、駅のホームで偶然重要な関係者が鉢合わせをするような超ご都合主義な筋の進め方をするのです。そこら辺が、のちの社会派に鼻で笑われてしまう所であり」

「社会派?」

「本格、変格の後に台頭してきた、動機を重視した社会性のある探偵小説のことです」

「ほう、興味深いね」

「そして、支倉の妻が支倉の知人に危うく強姦されそうになるシーン。これなどは、こんな事実があれば奥さんが決して証言するはずなどないですから、これは先生の創作ですよね。私みたいな大衆小説好きは、このようなシーンは大好きで、本作でも最も印象的なシーンだったのですが」

「そうだろう」

「あまりにメロドラマに過ぎ、事実を湾曲してしまっているのではありませんか?」

 先生は眉間に皺を寄せ、不快な表情を浮かべていた。

「イリュウジョンが!イリュウジョンが!」

「先生、待ってくださいッ!」

 そのまま先生は消えてしまった。と同時に私の頭がガクッと揺れた。どうやらデスクで寝落ちしてしまっていたようであった。

 夢とはいえ、先生にきつい物言いをしてしまったことを少し後悔しつつ、今後、甲賀作品を少しでも世に広める思いを更に強くするのであった。

 

〜完〜