稀代の論客、平林初之輔の短編だ。本格を奨励し、変格には手厳しく、その時は「不健全派」と名付けて分類したのだが、レッテルを貼られた方は複雑な心境であったことだろう。
怪奇小説と、谷崎から継承された耽美で猟奇的な世界観を「不健全」と括られるのだから。作家にとって作品は我が子、気持ちのいいものではなかったことだろう。
さて、その論客の初之輔、人には厳しく、自分にはどうであったか。
多くのアンソロジーに採用され、代表作とも言える「予審調書」を読んでみた。
物語の大枠は二人の会話劇で進む。篠崎予審判事と原田老教授のやり取りだ。
予審判事は渋る。
「この段階で話をすることは出来ない」
それでも老教授は食い下がる。
「息子は精神を病んでいる」
と、冒頭で予審判事がどのような判決を下すのか、息子の刑が気になって仕方がない老教授は、なんとか罪が軽くなるよう駆け引きを続ける。
老教授の息子は、自分の敷地内にある空き家で、見も知らぬ女性を殺した、と自首しているのだ。
親である老教授は「息子はノイローゼ気味だから言っていることを間に受けてはいけない」と警告する。
しかし判事は息子の証言は破綻していない、と判断し、食い違う状況を説明するのだ。
空き家で女が撲殺された。死因は撲殺なのだが身体にはナイフが刺さっている。
入り口付近で倒れていたのだが、台所まで移動した形跡がある。
これが中心の謎としてある。
第一発見者の林は、家を借りに下見に入った所を屍体に出くわした。と証言。その時の屍体は冷たくなっていて、死後数時間は経過している。
息子は扉を開けるとき力を入れすぎて、入り口付近のタンスを倒してしまい、中に入って確認したら知らない女性が下敷きになっていたから、私が過失で殺してしまったのだ、と正直に自首。
その証言をあくまで狂人の妄想だ、と主張する老教授。
判事の想いはどこにあるのか。
二転三転させており、本格を擁護する初之輔の面目躍如の感がある作品。
ここからネタバレを含むので未読の方はご注意を。
女を台所まで引きずったのは父親で、その時、血の跡も付いて雑巾で拭き取っている。この時はまだ父親が他殺に見せかけたナイフを遺体に刺してはいない。
説明はないが、これは撲殺した時に頭なり鼻からなり出た出血のことだろうか。
ナイフは結局老教授は恐ろしくて刺せず、犯人の林が後で気が動転して(ここがちょっと弱い気もする)刺した、と証言しているからだ。
息子はタンスを倒して殺してしまった、と悩み、それを知った老教授は死刑になりそうな息子を庇おうと、屍体を台所に移動させ犯行を撹乱。真犯人は前日に殺害後、入り口に糸を張ってタンスに結び、開いたら置いてある屍体の頭を潰すようにセッティング、のつもりが、翌日台所に移動している屍体を見て動転。ナイフを改めて刺し逃走。これがあらましなのだが、判事の納得できるまで調書の矛盾を取り払おうとする職業意識と、親子の愛情に同情し、最後はちょっといい話みたいになっている。
初之輔は怪奇幻想に向きかけた日本の探偵小説を警告するかの如く、実作で「文学性」を盛り込んだのであった。
「予審調書」1926年(大正15年)一月「新青年」