昨日の夜、嫁さんが私の捨てたゴミの中からジュンク堂のレシートを拾い上げて、一万円近く本に使っていることを罵るのである。
「よくもまぁ、本にそれだけ使えるわね」
私は無言でパジャマに着替える。よいではないか。禁煙してその分本に使うことができるようになったのだから。
「それだけ小遣いにゆとりがあったら、今度の休み、割り勘でランチ行かへん?」
全く理解出来ない相談であった。金銭的ゆとりは、私が禁煙した努力の賜物ではないか。
それを二人のランチで割り勘にせよ、と嫁さんは平然とのたまうのである。
休日夫婦のランチなど、家計から出て当然の出費であろう。
本のレシートは現場で捨ててくること。また一つ私は学んだ。
さて、論創ミステリ叢書『平林初之輔探偵小説選1』から三本目「犠牲者」である。
あらすじはゴム会社の事務員が冤罪を受け、投獄される話なのだが、何だろう。この浜尾四郎よりも早く、松本清張にも連なる社会派的アプローチは。
まず冒頭から一市民の平凡な生活が淡々と描かれる。安定したサラリーを得て、大人しい妻と暮らし、マイホームの夢を描く。
そのような、なんてことのない市民にも、理不尽な災難は降りかかる、というのが主題だ。
主人公は残業を終え家路を辿る。暗い夜道、予期せぬ衝撃が頭部を襲った。
主人公は雪の夜、道端で数時間気を失ってしまう。
この時点で原因は分からない。
そして、目が覚めて自分の不幸を慰めながら家に近付くと、数名の警官から有無を言わさず取り押さえられ、そのまま警察へ。
「自分が何をしたか分かっているだろうな」
と問われても、主人公は何のことだかわからない。
そこから尋問が始まるのだが、聞けば勤めている会社の同僚が会社内で撲殺され死んでいるという。
近くに主人公の手袋が落ちており、警察は頭から犯人として主人公を見ていた。
ここで、読んでいてももどかしいくらいに主人公の答弁が内気な性格からくる下手くそさで、警察の印象は益々悪くなる。
しかしその描写も、作家のような頭の回転の早い人間ではなく、平凡で会話が得意ではない人間なら、警察の言い分に押し流され、反論するチャンスを失ってしまうだろうな、というリアリティを生む。
帰り道の頭への衝撃は、真犯人が主人公を殴り、アリバイを有耶無耶にし、手袋を置いて罪をなすりつけようとしたのか。
その間に愛する妻は逃げ、世間は疑いの眼差しを主人公へと向ける。新聞は犯人として書き立てる。雪だるま式に膨らむ災い。
そんな恐怖を作者は描いてみせる。
探偵小説の黎明期に、なんという重いテーマか。
ここからはネタバレになるのでご注意を。
話を進める弁護士は、事件のことを友人と話しながら、互いの意見を交換し合う。
その後、主人公の会社は倒産して、社長は自殺を遂げるのだ。
弁護士は「犯人は社長だったのではないか」と自分の意見を述べる。
社員に秘密を握られ、殺害し、手袋を落とすことと、帰り道に主人公を殴って気絶させることで、罪をなすりつけようとしたのではないか。
それを聞いた友人も自分の意見を述べる。あの主人公の通った道で、落ちた枝を見た。
結局、頭への衝撃は落下した木であったのだ。そして、死んだ同僚は心臓発作で、たまたま倒れた時に頭をぶつけたのだろう。
社長は経営悪化で自殺したに過ぎない。
三人とも何も関係がないのだ。それを世間は疑いの目で全てを結びつけようとする。
意見交換をした弁護士は、真相決定不能のまま筆を置く、という図らずもアンチミステリのような体裁を取る。
時代を先取りした作品だと言えるだろう。
「犠牲者」1926年(大正15年)5月「新青年」