呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

平林初之輔「山吹町の殺人」を読む。

 午前中に嫁さんが「映画に行きたい」というので付き合ったのだ。

 私の映画をチョイスする基準はSF映画か、スカッとするアクション映画なのだが、嫁さんの観たい映画は『感動もの』のジャンルであった。

 私は映画館で「わざわざ泣かされるのもなー」と思いつつも、まぁ自主的に選ぶジャンルではないし、思いがけない創作のヒントの起爆剤になるやもしれぬ、と思い直して乗り気になった。

 そして映画館に入る前、嫁さんが小声で「近くのマックスバリューで飲み物とお菓子を調達して行かへんか?」と耳打ちしてきたのだ。

 私は映画館の入り口付近で「持ち込みはアカンやろう。売店にはポップコーンも飲み物もあるんや」と至極常識的な返答をした。

 それを聞いた嫁さんは激怒。

「アンタの地声は大きい。映画並んでいる人が、全員こっち振り向いた」

 そこからは険悪なムードである。せっかくの夫婦休日映画デートであるにも関わらず、だ。

 そしてタッチパネル式の座席選びで、人気作なのか、全ての席が埋まり、最前列の左端しか空いていなかった。

「こんなもん首が疲れるわ。あんたは持ってないな」

 と捨て台詞。私を『雨男』的な扱いをし、席が取れないのは私の不運のせいだ、というのである。

 今の私の境遇の方がよっぽど不運だ。

 持ち込みの件だって、映画館は配信に押され、ちょっと割高な飲み物やポップコーンは重要な運営源になっているはずである。私の意見や返答は非常識であろうか?

 結局、映画館の入り口まできて引き返す羽目になってしまったのだ。

 そして映画館からの帰り際、途中の階の洋服屋で嫁さんが物色、文句も言わず付き合ってやり、そして映画館の駐車場、事前精算機の前。

「アンタ、さ、最初の三十分無料や、早く駐車券出しな」

 結局数分オーバーで映画も観ていないのに400円の出費。嫁さんはモタモタしながら駐車券を探していた私に向かって舌打ちするのである。

『それはお前が洋服屋さんで時間をロスしたからやないけー』

 とは決して言わない。ストレスを抱えたまま無言を貫く。天ぷら油火災の際に水をかけて、炎の勢いが増す動画がオーバーラップしたからだ。

 そんな午前中の悪夢を忘れたいが為に、私は読書に勤しむ。本は裏切らない。嗚呼、探偵小説は素晴らしい。

 順調に『平林初之輔探偵小説選1』を読み進める。五本目の『山吹町の殺人』を読んだ。

 冒頭、なかなかショッキングなシーンからの幕開けである。室内、女性の刺殺遺体を前に男はキスをしたり頬を撫でたりしているのだ。

 愛していたのだろう。男は涙を流しながらも冷静に状況を判断する。目の前の遺体にシーツをかけ、屋外へ出ようとするも自分の靴がない。

 見れば玄関が開いている。先ほどの自分の行動を盗み見られていたのではないか?

 特殊な状況を設定し、五本目にしてエンターテインメントを意識した扇情的な内容になっている。

 ここからはネタバレになるのでご注意を。

 この冒頭の遺体愛撫シーンは、叙述トリックに近い読者へのミスリードで、読者は「この男が愛情のもつれから女を刺し、泣いているのだろう」と思わせるもので、男が女に宛てた手紙が朝に着いていたことを思い出し、物色して処分してしまわなかったこと、その便箋が自分の勤めている役所のもので、見つかれば身元がすぐ割れてしまうことを危惧する。

 そして家に帰れば同棲中の女の、これは刺殺体の女性を目の敵にしていた説明があり、男は「同棲した女が嫉妬に狂って刺したのだな」と思い込む。

 そして身から出た錆、かばってやらねば、と男は決心する。

 夫婦は互いに犯人ではないか? と疑心暗鬼になる。

 そして最後に私立探偵が現れて、もつれた糸を解きほぐすのだが、鉄道のトリックを絡め、なかなか考えられた作品だと思うのだが、同時代の書評で国枝史郎は割と手厳しい評を残している。

 犯人はあっちかな? こっちかな? そしてもう一人、刺殺された女(カフェーの女給だった)の馴染みだった男のアリバイ崩しを絡めた意欲的な探偵譚。

 後半が性急すぎて、妻が殺された女性に謝る寝言の説明等もないのは紙片の都合だろうか。

 

山吹町の殺人」1927年1月(昭和2年)「新青年