明日から嫁さんは、ママ友と北海道へ二泊三日の旅行に行くのである。
「食費、アンタになんぼ置いていったらいい?」
と嫁さんは凄みを利かせて聞いてくる。自分の旅行で家計が赤字になったから、その他の経費を浮かせたいのだ。
「まず、明日の昼は手作り弁当がないから500円」
「500円?!」
私は思わず2オクターブ高い声を出してしまった。
「今日び中学生でも、もっといいもん食べてるぞ」
「じゃあ600円」
本当にセコイ。
「夜は千円でええか?」
「おいおい、せめて千二百円は置いてくれよ。最近はちょっとしたラーメン屋でも、チャーハンと餃子付けたら千円オーバーや」
「千円で足りんのかい!」
「お前なぁ、自分は北海道で美味い海鮮丼とか食べてくるんやろ? なら留守番してるワシにもちょっとだけいいものを、とか思わへんか?」
舌打ちされた、ような気がした。
この旅行も、私の給料から大半が出ているはずだ(大喧嘩になるから口が裂けても言いませんけどね)私も日頃の感謝を込めて気持ちよく送り出すのだ。いい時にはブワーッと使えばいい。留守番の者を節約の対象にするのはやめてタムレ。
嫁さんは乱暴にスーツケースへ衣類を詰め込んでいる。こんな現実から逃避するために、今宵も私は探偵小説の世界へと潜っていくのだ。
さて、今宵は「或る探訪記者の話」を読み終えた。
ジャーナリズム残酷譚、とでも言おうか。前に読んだ「人造人間」に通じる、報道と犯罪、今作は自らの悪行を絡めたストーリー。
特ダネを求めて歩く記者。特ダネに当たれば社から特別報酬が貰える。
記者は偶然目にしたニュースに特ダネの匂いを嗅ぐ。
ある教授が「胎教」の新学説を発表し、その内容というのが「妊婦が妊娠中、一人の男性を深く尊敬したり想い続けたりすれば、夫に関係なく、その想い続けた男性に似る」というもの。
マユツバ物と思いながらも周囲を探る記者。
ここからはネタバレになるのでご注意を。
学者の近くで働く婦長は、教授の女性関係がだらしない事を漏らす。
「ここだけの話でね」と前置きしながら。
聞き出して見れば、どうも教授は麻酔で眠っている間に、患者の裕福な夫人を陵辱し、妊娠させてしまったらしい。
そして生まれて見れば教授にそっくり。
あの新学説が出たのは、それから間も無くのことである。
自分の汚点を学説で覆い隠し(DNA鑑定の無い時代)有耶無耶にしてしまおう、という魂胆であった。
記者の聞き込みでのやり取り、女性を持ち上げて、時折反対の事を言いながら、余計な事まで引き出すシーン。
そして「一度他人に喋ったら、それは広まるものと思え」と言わんばかりの警告を含んだ非情なラスト。
主人公の記者は良心の呵責と取っ組み合いながら、ジャーナリズムで生きていくために自分を殺す。
当の平林初之輔はどうだったのであろう。記者が手を下した結果は残酷だ。そのニュースで自殺した人がいても、更にそれがニュースとなる皮肉。
なかなか記者と同じ事は出来ない冷酷なラストシーンであるし、小説として「凄み」がある。
爽やかで聡明な印象の平林初之輔は、この作品で人の心の「悪」にグッと踏み込んだ感がある。
1929年(昭和4年)12月「新青年」