音楽というものは、気が付けば思春期に夢中になって聴いていたものを、また繰り返し聴いている気がする。
そしてそれは小説や映画と比べ、違うジャンル、新しいものへの耐性が、同じ娯楽であるにも関わらず、著しく低いような感じがする。
私の音楽のベースは、佐野元春、大瀧詠一、杉真理、松田聖子、吉田拓郎、クレイジーキャッツ、ビートルズ、ビーチボーイズ、浜田省吾、尾崎豊。
この辺りで「流行りの音楽を聴いてみようか」となると途端に億劫になり、上記のアーティストの再発リマスターが出たりすると、旧版を持っていても買い直したりしてしまう。
娯楽でも脳を刺激する場所が違うのだろうか? 面白そうな小説とかなら買ってきて読んだりするのだが、音楽は「今ヒットチャートの一位のアルバム」を試しに買ってきて、最後まで聴いてみる、ということを自分はまずしない。
そしてリマスターですごく気になる一枚を、また見つけてしまった。
街路樹(2枚組スペシャルエディション)(Blu-spec CD)
- アーティスト: 尾崎豊
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2009/04/22
- メディア: CD
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尾崎豊の「街路樹」二枚組リマスターである。
このCDのオリジナルは、現代ではとても録音レベルが低い。昔のCDは全部そうだが、この街路樹は特に低い。
そして尾崎豊のアルバムの中でも、ひときわ地味な一枚なのだ。
きらめく初期三部作、圧倒的な作曲と音圧、ほとばしる才能の二枚組「誕生」そして遺作のラストアルバム。
楽曲も大人しめで、先行シングルの「核」がボーカルの表現方法を含め、色々と物議を醸した。ドラックで逮捕された時期でもあるドラックソングだからだ。
それでも私がこの一枚を推すのは、アルバムに未収録だったシングル「太陽の破片」がリマスターで収録されたことと「街角の風の中」もリマスターされて収録されているところ。
ゴメン、シングルのB面曲で「なにそれ?」と言われるマイナー曲だが、私の中で尾崎豊のベストはこの「街角の風の中」なのである。
爽やかな演奏、ちょっと哀しくて切ない歌詞、若い時に一緒になれなかった女性を想いながらも、自分といるよりも今は幸せになっていることだろう、と募らせる詩情。
あぁ、この再発を知ってしまった今、今月は小遣いから本代を減らして、きっとこちらに回すことだろう。
※
さて、今回は「二人の盲人」を読み終えた。
都市計画によって盲人の玄石の家は立ち退きが決まっていた。玄石には周りからも評判の美人の細君がいる。
同じく独身で盲人の友人、藤木は、いつも朗らかに玄石を訪ねてくる。
何故、あいつは頻繁に我が家へ訪ねてくるのか? 妻が目当てではないのか?
俺が見えないのをいいことに、話しながら手でも握っているのではないか? 首に絡みついているのではないか?
被害妄想は立ち退きの寂しさも加えて加速する。
ここからはネタバレになるのでご注意を。
読後、ちょっと声が出た。「ひねり無し、か」と。
過剰などんでん返しばかりを期待するのは良くないが、それでも盲人の偏執的な嫉妬の感情、目の前で痴態を見せているのではないか? という被害妄想など、良いモチーフなのに、最後は二人をただ毒殺して終わるのである。
おそらく、殺された二人に男女の関係はなかったであろう。その告白すらも聞かぬうちに、二人は飲み物に仕込まれたモルヒネで死んでいくのだから。
狂気の殺人、といえばそうなのだが、やはり同時代の大乱歩との差が歴然と浮き彫りになる。
乱歩なら偏執的な独白が続いても、そのままでは決して終わらない。その斜め上をいくオチをいつも味わえた。
ここが余技作家の烙印を押された平林初之輔の限界か、それとも今後の作で更に飛翔するのか。
1930年(昭和5年)12月「祖国」