呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

甲賀三郎「『呪われの家』を読んで」を読む

 結婚してから長い間、嫁さんは「浮気がバレたら5万払ってもらうで」と私を脅したものだった。

 おふざけの延長のような会話ではあったが、5万という金額が妙にリアルで、女遊びよりも本にお金を使いたいタイプの私は、決して嫁さんに小遣いから五万も取られてなるまい、と肝に命じたものだった。

 それが結婚生活も20年を超えると、こうも変わるものか。

「アンタ、私ジムで知り合った人にな『あなたも出会いを求めてジムへ?』って聞かれたんやで。結構誘いを待ってる人妻、多いみたい」

「マジか?!」

「試しに声かけてみるか? まぁアンタみたいなオッサンには無理やろうけど(笑)」

 と小馬鹿にした感じでからかってきたのだ。

「私もな、実は昨日声かけられたんやで」

「どんな奴にじゃ!」

「ハゲたおっちゃん。飲みにいきませんか? やって。お断りしたわ(笑)」

 知らぬところで、いつの間にか嫁さんはナンパされていたらしい。

 私だって、視線の合う人妻はジムで何人かいる。満更でもないのだ。

 無理だろうけど、という嫁さんの言葉は癪に触った。

 翌日、ジムで筋トレを終えて、男女共用の休憩スペースで、いつもより長く座っていると、小柄な年齢の近いであろう、よく目の合う女性が私の隣に座った。

 髪はセミロングで色白、鼻がスッとして高い。まゆゆ似の美人であった。

 お互い汗をタオルで拭いていると目があった。私は会釈した。

 すると向こうから

「あっ、アップルウォッチのスポーツタイプ」

 と、私の腕を見て話しかけてきた。それをきっかけに、私はなんとか話を途切れさせないように、向こうも少しでも長く話を続けたそうな感じで、しばらく話をした。

 聞けばパートで事務の仕事をしているらしい。なんでジムに通っているか、それは美の追求と、個人経営の社長と知り合いになるため、らしい。

 どうもお金が欲しいらしく、そういう社長と知り合いになると、副業や美味しい話にありつけるらしい。

 それを聞いて私には縁のない女性だ、と感じた。私の小遣いは月に二万円で、彼女が友達として求めている個人経営の社長とは正反対の男であるからだ。

 それでも離れぎわ、意外な言葉が耳に飛び込んできた。

「電話番号交換しません?」

 断る理由もなかったので、私は電話番号とラインアドレスを交換した。

 ここまで大胆だったのは、嫁さんが小馬鹿にした腹いせも、大いに影響していたのだろう。

 そして数日後、業務中に私は心臓の高鳴りを抑えることができなかった。

「夕方、少しだけ会えません? 二時間くらいでも」

 というメッセージがiPhoneに届いていたのだ。あの子は社長目当てでジムに来ていたんじゃなかったのか?

 それでは何故私に? それは単純に私のことが好みなのだろう。何年も忘れていたときめきが、心の中を満たしていた。

 私は上司に嘘の用事を報告して、早退させてもらった。

 待ち合わせ場所は向こうが指定してきた。市の真ん中を通る、大きな川の河川敷だ。駐車スペースも結構ある。

 ジョギングやウォーキングをする人も多かった。

「俺は何を求めて河川敷に向かっているのだろう…」

 中年から初老へ、もう一度「男」を試して見たかったのだろうか。

 期待を胸に約束の場所へ車を走らせる。世間はまだ仕事をしている時間だ。

 河川敷の駐車スペースには車が一台しか停まっていなかった。彼女の車なのだろう。車の向こうに夕陽が映える。車も人もシルエットになっていた。

 距離が段々縮まる。人影は二つあった。

 仁王立ちで腰に手を当てている女性。シルエットだが、それは20年以上、見間違うはずもない見慣れた人影であった。

 色々なことが頭の中で瞬時に繋がっていった。嫁さんが出会いを求めて? と聞かれたのは彼女だったのだろう。

 きっと意気投合したに違いない。そしてジムで他人のふりをしている私のことを話したのだろう。おおよその特徴と、大事にしているアップルウォッチのスポーツタイプ。

 ジムで私の色と同じものを見たことがない。格好の目印となったことだろう。

 そして私をからかうシナリオ、お金が欲しい彼女。二人で折半する結末。

「浮気したら5万円やで」

  怒りで湯気でも出ているのだろうか、その見慣れた人影の後ろは、まるで蜃気楼のようにユラユラと揺れていた。

 

〜目が覚める〜

 

 という夢を見ました。嫁さんが「ナンパなど無理」と言って笑うのでムキになって見たのでしょう。オチだって現実でもこうなりそうな悪夢です。

 目のよく合う奥さんも妄想の夢の中に登場して、正直ドキドキしていました。

 実際、浮気なんてチキン野郎の私には無理です。話しかけることも恥ずかしくて無理です。

 起きたら寝汗、びっしょりでした。

 さて、今回は 「『呪われの家』を読んで」を読んだ。ここからは本書、評論に移行する。紙面の約半分が評論になるわけだ。

 創作もそうだが、甲賀三郎の評論を読むのも現代ではレアなこと。誰かの心に引っかかるまで、甲賀三郎の良さに関しては、今後もSNSを通じて発信していきたい。

 これから出版関係に就職したい若人よ。甲賀三郎全集の企画、頼みましたよ。

 この評論は小坂井不木の「呪われた家」の分析である。幸い、この作品は青空文庫で手軽に読める。先に小坂井不木の本編を読み甲賀三郎の評論と照らし合わせて読んでみた。なんたる贅沢に至福。

 ここでは評論と重複するので、テキスト読了を前提の上で進めていきたい。

 さて、平林初之輔の「甘ったるい仲間内への賛辞などやめて、探偵文壇に活発な議論を」という声に思うところがあったのか、どうか。

 ここでの甲賀は創作とは全く別の顔のように見える。

 後々の文壇からの孤立を考えると辛辣すぎたか、と思える文章もあるが、それもこれも「探偵小説の健全な育成のため」という使命で書いていたのだとすれば、その信念は賞賛に値するものであろう。

 あと、甲賀三郎の評価が「本格の論客」という点だけで確立されているところも、本書に収録された創作を読んでみて、首肯けるところもある。

 評価は的確で辛辣、歯に衣を着せぬ物言い。しかし自作ではどうか? 批判された方は「なら自分の作品ではどうなんだ?」という不満もあったことだろう。

 どうしても他人に厳しく、自分に優しく、と結果的には見えてしまう。

 この作品の弱点も見事に突いている。作中の「特等訊問法」これを推すべきで、呪われた家というもう一つのライン、怪奇的因縁話、これとのバランスが悪い、というところなど尤もだ、と思わせる。

 タイトルも「特等訊問法」にした方が、私も良いと思う。

 あと、前科者の男が、あっさり自殺するのも、キャラクター的におかしい、という指摘。これも言われてみればそうだ。

 しかし自分はどうだ。この人間心理、キャラクターの矛盾を指摘しておいて、自作では荒唐無稽な偶然プロットの作品を書いているではないか(笑)

 私も甲賀作品をじっくり読み込んでいくのはこれからだ。

 評論、創作を含め、私なりの感想を今後も楽しみながら面白く皆様にご紹介していきたい。

1925年(大正14年)6月「新青年

甲賀三郎探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

甲賀三郎探偵小説選 (論創ミステリ叢書)