「アンタ、ジョーバ捨てるの、ちょっと延期しちゃるわ」
私の私物を捨てる件に対して、嫁さんの弁は撤回ではなく延期なのである。
「その代わり二階の本棚の近くに置いてあるクソ邪魔なダイエットベルト、粗大ゴミで捨てよか」
「ちょっと待ったれや!」
私は叫ばずにはいられなかった。
確かに使用頻度の点から言えば、ジョーバちゃんよりはダイエットベルトの方が使ってはいない。
だからといって捨てて良い、という法はない。
これは私の未来のシックスパックに貢献する、文字通りの「変身ベルト」なのであった。
腰に巻いてスイッチを入れると、ベルト内のモーターが高速振動して、内臓脂肪に刺激を与えてくれる。
愛犬は「何事か?」とばかりに起き上がって吠える。静まれい、怪しいことをしておるわけではない。
これも私の少ない自由時間を有効に使うための秘密兵器だ。腹の脂肪燃焼と読書が同時に行えるのだ。
今は五月、夏はもうそこまできている。
男たるもの、文武両道を目指したい。探偵小説を読んで、自分なりに解釈して、感想文を日記に書いて、なおかつ腹筋バキバキに割れている男。
なろう、きっとなろう。
腹の贅肉を摘みながら、夜のオヤツ、ポテチもそこそこに、私の瞳の奥は燃えているのであった(夜の間食あかんがな!)。
※
さて、今回は「探偵小説はどうなつたか」を読んだ。当時の探偵小説シーンを見渡した時事エッセイである。
江戸川乱歩が「二銭銅貨」を提げて華々しく日本の探偵小説が始まってから五年、甲賀三郎は探偵小説界の「不振」を危惧している。
「えっ? スタートしたばかりなのに、シーンは五年で行き詰まりを感じているの?」
と読む方は驚きだ。
一つは江戸川乱歩の沈黙が大きかったようだ。確かに現代の目から見ても、あの江戸川乱歩の輝かしい初期傑作短編群、あのクオリティでいつまでも続けられるはずがない。
そして探偵小説の芸術化と、大衆にアピールする作品についての言及。そして当時の雑誌の事情、与えられたページ数が少なくて、短く書かざるを得ない、と言う愚痴も見える。
戦前の日本の探偵小説シーンにおいて、長編が生まれにくかった背景が窺えよう。
1928年(昭和3年)8月「新青年」