呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

甲賀三郎「本当の探偵小説」を読む

 読書傾向がこの日記のタイトルにもある探偵小説で、ドリフの8時だよ!全員集合で八つ墓村の祟りブームから横溝正史を知り、姫路の大手前通りの、お城寄りにあった古本屋二軒で(片方は閉店)百均棚から金田一の角川文庫を買ったのが始まり。

 それ以来、長い間探偵小説を読んできた。

 で、たまに文学作品を読む。私は偏った読書傾向のためか、純文学作品は「難しいもの」「難解なもの」「高尚なもの」という思い込みがあって、これまでなかなか手に取ることはなかった。

 探偵小説が、どんな形であれ驚きの大小はともかく私の中で最高のエンターテインメントなので、普通の小説を読むと「あれ? 謎解きがない」とか「え? そういう風に物語が終わるんだ」という、ちょっと間違った読み方をして、一人で損したような気分になることがある。

 そんな中でも芥川賞作家、町田康先生の「パンク侍、斬られて候」は、私の純文学の思い込みを吹っ飛ばしてくれた一冊であった。

 

パンク侍、斬られて候 (角川文庫)

パンク侍、斬られて候 (角川文庫)

 

 

「え? こんなに爆笑していいものなの? 文学は」

 まさしくカルチャーショックであった。

 そして、最近、本屋でタイトルを見て発作買いした一冊、こちらも芥川賞作家、吉村萬壱先生の「ヤイトスエッド」 

ヤイトスエッド (徳間文庫)

ヤイトスエッド (徳間文庫)

 

  この本もなかなかカルチャーショックで、過剰なエロ表現で突き抜けている一冊。

 これまでの私なら「純文学でエロ表現なんて書いていいの? もっと難しい言葉を並べるのが純文学なんじゃないの?」という思い込みがあった。

 しかし、谷崎潤一郎だって、倒錯した人間を克明に書いていたりする。いや、商業エロとエロチシズムを混同している私が悪いのだ。

 この「ヤイトスエッド」には、なんというか、過剰で理性が衝動を抑え込むことを拒否したまま突き抜けて、そこに魂のスパークを見る、そんな感じなのだ。

 男が不倫している女性の股間に顔を埋め、嗅いだ匂いに「金属臭」と呟く生々しいシーンとか、社内のひどい乱痴気飲み会で、同僚の女性に下着姿で三点倒立させておいて、股間から覗くものに「もずくのような陰毛は頂けなかった」みたいな「異様な状況で何平然と観察しとるねん」と突っ込みたくなるモノローグとか、他にも爆笑ポイントが沢山である。

 ダメな男が社会の中でもがいている様も共感できて良い。

 短編集なので全部読んだら、またここで感想を書きたい。

 ※

 さて、今回は「本当の探偵小説」を読んだ。

 興味深いフレーズが続く。本題に入る前に江戸川乱歩の「魔術師」を批判している。乱歩の通俗長編である。

 私は未読で、真相に触れている、という注意書きもあったが、エイヤッとばかりに読んでしまった。ものすごい犯人を設定しているのだな。

 その犯人の心理的矛盾を書き連ねている。「通俗ものの乱歩を責めないで」と心情的には乱歩の肩を持ちたくなってくる。

「日本には全然探偵小説など流行していない」

 こういう物言いも、他の作家にはカチンときたことだろう。が、歴史を見れば横溝正史が本陣殺人事件で本格長編小説を発表したのが戦後。

 戦前は変格の比重が高く、甲賀の言うことがご尤も、なのだが、なんだか憎まれ役を買って出ているような感がある。

 実作で(本格長編探偵小説の見本)世に問うていないので、反感を持たれもしただろうが、不運なのは戦前の用紙事情や雑誌の形態で理想とするものを形に出来にくい状況に置かれていたことが惜しい。

 終戦直後に亡くなっているのも不運。横溝正史の本陣を見たら、どのような本格長編を見せてくれたのだろうか。 

1931年(昭和6年)9月「探偵小説」

甲賀三郎探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

甲賀三郎探偵小説選 (論創ミステリ叢書)