呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

松本泰「指輪」を読む

 今日は「まゆゆ似」の女性はジムに現れなかった。

 少し物足りなさを感じつつ、ジムの一階にあるマッサージチェアの部屋に入った。

 そこは会員なら誰でも使えて、中には高級マッサージチェアが5台置いてある。並べば誰でも利用できるのだ。

 いつもは人気で混んでいるのだが、その時は空いていたので、並ばずに中に入れた。

 部屋は10畳くらいのスペースで案外狭く、照明は薄暗い。気持ちよすぎていつも寝てしまいそうになる。

 最近のマッサージ機は凄い、足を空気圧で挟み込み、ふくらはぎ、足全体に足裏まで押してくれる。更に手も肘掛のポケットに手を入れれば、空気圧で圧縮され、心地良くマッサージされるのだ。

 機械は人一人通れるだけの間隔で並べられており、横はとても近い。

 私は何気なく右隣を見た。そこには井川遥に似た熟女がリクライニングを思い切り倒してマッサージを受けつつ熟睡していた。

 そしてジムに通う熟女の大半がそうなのだが、皆、スポーツシャツ一枚みたいな薄着なのだ。

 隣の井川遥は恍惚の表情のまま眠りに落ち、機械は背中を等間隔でローラーが押し上げていく。

 その度に、胸元が「ツン」と突き上げられるのだ。

 私はそれを鹿並みの視野角で横目から盗み見る。

 まるでバーチャルな性行為のようだ。

 そうはなっても理性の塊のような私のことだ。この心理状態にもう一人の私がジャッジメントを下しにくる。

「お前は変態か?」

「変態ではない、これは人間観察であり、谷崎潤一郎の流れを汲む、女性の仕草の一部を切り取った文学実験である」

「失敬、揺れ動く胸元をただ見ていたわけではないのだな」

「心外である。最新テクノロジーの高級マッサージ機で、身を仰け反らせ、恍惚の表情を浮かべながら突き上げられる乳首、それを横で見る主人公、そのような女性の顔、愛し合い結婚せねば決して拝める表情ではない。それなのに数センチ横で見られる不思議、これを切り取ったのだ」

「申し訳なかった」

「ちゃんと謝罪してもらいたい。ごめんなさいは?」

「ごめんなさい」

 心の中の邪魔者は消え、私は目を充血させながら、横目に力を入れ観察を続けるのであった。

 ※

 さて、今回は「指輪」を読み終えた。

 少し前に「ゆびわ」という題名の短編を読んだ。泰先生、タイトル被り気味である。

 短い掌編、主役は刑事。スリの後をつけ、金持ちの家にスリが入って行ったところから物語は動き出す。

 何故、あのような金持ちの家に、スリのあいつが招かれるのか。

 職質をしてみると百円札を持っている(物価が分からないので、どれくらいのものなのか)

 この作品はスリが何故金持ちの家に出入りできるのか、何故身分不相応な大金を所持しているのか、という謎で引っ張っている。

 そしてスリは通じ合っている女給に宝石屋で指輪を治させており、その指輪の出所を刑事が探って、事件全体の謎を解明していく。

 この作品では読者は推理に参加できない。データーが与えられないからである。

 何故こうなっているのか、という謎は、最後の数行、急転直下に説明される。

 [謎]を作中で提示し[手がかり]も[ヒント]も与えず、刑事が足で掴んだ[結果]だけを提示して、読者を納得させる、という型の作品。

 日本探偵小説界、黎明期の一本といえよう。

 

1926年(大正15年)6月「探偵文藝」

松本泰探偵小説選〈1〉 (論創ミステリ叢書)

松本泰探偵小説選〈1〉 (論創ミステリ叢書)