呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

松本泰「嗣子」を読む

 人間は動物、であるが「理性」を持つ。

 誘惑や快楽に流されそうになっても、例え家庭内で

「アンタの買ったクソ甘いプロテインの粉を台所にこぼしたおかげで、ゴキブリが出てきた」

 と嫁さんから仕事中、電話口で怒鳴られようとも、決して人としての道は踏み外してはいけない。

 まゆゆ似の女性にアタックしたら、これまでの経緯から、決して子供の付き合いのアレではなく、大人の付き合いのアレは避けては通れないであろう、って、さっきから何を不透明発言をする政治家のような物言いになっとるねん!

 きっとまゆゆ似の女性は新鮮で、稲妻のような快楽を得られるであろう。しかし、それはその時だけだ。終わらせる大変さをわかってのことか?

 お互い深く干渉しないでおこう、と最初に取り決めても、女性の気分でそれはいつでも破られ、一番かかって欲しくない場面で絶対に電話は鳴るだろうし、しばらくすると絶対に「手作り弁当」が出てきて、家に帰って2回目の食事をするのが大変になったりするのが常なのだ。

 人間には優れた脳がある。脳でイメージを作り出し、浮気に走らないストーリーを叩き込んで、今こそ煩悩から解き放たれるのだ。

 妻には「残業の後上司と接待」と嘘をつき、まゆゆ似の女性とベットを共にする。抜け殻のように疲れ果て、目を覚ませば私一人。

「どこへ行ったのだろう」

 寝ぼけた目をこすりながらシャワーを浴びにバスルームへ、するとそこにはルージュで鏡に書かれたメッセージが!

「ようこそ、エイズの世界へ」

 そうか、道連れを増やしたかったから、目の合う男性に対し積極的に応じたのだな。絶望で愕然とする。

「終わった…、だからこんなに簡単に肉体関係を結べたのか」

 軽率な自分の行動を激しく後悔する。

 泣きながら風呂から出てベットへ戻る。すると途中のフローリングの床にはルージュで書かれたメッセージが!

「タクシーで帰りたいのでお財布からお金を抜いたわ。ラブホテル代は残しています」

 マジか! タクシーじゃなく電車やバスみたいな公共機関を使ってくれよ。値段が段違いではないか。

 いや、そこで男を見られているのかもしれない。「身体を許した女性にタクシーすら与えないの?」という問いかけ。

いやいやいや、それでもエイズは割に合わんし。

 そして今から缶ジュース一本も買えないのだ。備え付けのティーパックで熱い紅茶を飲まねばならぬ。

 紅茶を作りに移動中、白い壁にはルージュで書かれたメッセージが!

「あなたとの思い出に、あなたのトランクス、もらっていくわ」

 ちょっと、それは困る。ジーパンを履いた時に玉がファスナーに当たったらひんやりするではないか。油断して勢いよくファスナーを開けたら、玉袋が裂けて破水し、中の玉が二つ、転がり落ちるかもしれない。

 ノーパンで街を歩かねばならぬのか。困りながらふと出口の扉を見ると、そこにはルージュで書かれたメッセージが!

「トランクスに少しウンチが付いていたので、やっぱりお返しいたします」

 と、土間のところにクシャクシャになって私のトランクスが捨ててあるのだ。せめて畳んでくれよ、と。朝に食べたヨーグルトがダメだった。あれで昼間腹を通す。朝にヨーグルトはダメ、今後これは教訓にしておこう。ていうか、最後のメッセージだけ親密さが取れて、スゲー敬語になりよそよそしくなっている。ウンチが見つかって愛が冷めた、ということなのか?!

 ひどい女だ。

 これで次にジムで会った時、嫌いになって、ますよね?(ここまで引っ張っておいて何故に疑問形か!)

 ※

 さて、今回は「嗣子」を読み終えた。

 うむ、これはなかなか良かった。内容もそうだが、松本清張の「社会派」に連なるものを見た。

 背景や当時の風軸描写も興味深かった。妾に子供を産ませ、それが普通にまかり通っている、みたいな感触である。

 今よりその辺は緩かったのであろうか? それとも現代では絶滅した「亭主関白」では、亭主の意見や行動は絶対であったということか。

 この話は本妻にも子供が出来、その子の誘拐事件と思いきや、という筋立てである。

 それだけに終わらず、誘拐に見せかけた、本妻と姉の計略、その犠牲となった女性の赤子との愛憎劇と、妾の本妻に子供が出来たことによる焦燥感、そして最後は血の繋がりを超えた「人間愛」までテーマが膨らんでいく。決して嫌味ではなく、一人の人間の成長として描かれているから後味が良いのだ。

 色々な要素がガッチリ決まった好短編である。

 

1928年(昭和3年)2月「クラク」

松本泰探偵小説選〈2〉 (論創ミステリ叢書)

松本泰探偵小説選〈2〉 (論創ミステリ叢書)