呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

松本泰「昇降機殺人事件」を読む

 私の心の中には、厳しい男が一人住んでいる。

 実際の男は、もっと杜撰なのだが、私の心の中のその男は、いつのまにか思い出補正やら何やらで成長し、時々現れては私に意見をしてくる。

 ノイローゼかもしれないが、見慣れた男なのでそこまで深刻には捉えていない。

 空想の中でいつも大げんかをするのだ。

「日記ブログを始めて、毎日文章を書くことは良い」

「おっ、珍しく褒めてきたな。が、分かってるぞ、お前が褒めてくるときは批判するときや」

「察しがええな(笑)」

「何が言いたいんや」

「文章修行してると思ってのぞいて見たら、何ぞ、ジムのまゆゆ似の女性とかにうつつをぬかしおって」

「やかましいわ。この身体から溢れ出すカリスマ性が、女性とも微妙な駆け引きを自然と生んでしまうんや。そこで恋愛体質のワシは駆け引きに一喜一憂してしまい、文章に書いてしまうんや」

 友はうんこを見るような目で私を見る。

「何が恋愛体質や、言葉は綺麗がただの女好きやないけ」

「何がただの女好きや、この脳内の葛藤が文学を生むんや、お前は逆に異性への関心がズッポリ抜け落ちてるやろ、その辺がストーリー漫画が苦手な要因となってるんとちゃうんけ?」

「関係あるかえ、で、お前はいつ、自分のオリジナル短編集か、次のワガツマの単行本未収録分を書き下ろしと一緒に纏めるねん」

「やるがな、今年もやるがな」

「今年ももう半分過ぎてるぞ」

「…」

「あっという間に12月や。昔からお前は構想はあるけど手は遅かったよな」

 色々と図星を突いてくる。彼奴のおかげで、私は時々フト我に帰り、サラリーマンで「ちんかす」のような仕事に追われながら女の尻を追いかけている日々に、くさびを打ち込んでくれるのだった。

 ※

 さて、今回は「昇降機殺人事件」を読み終えた。

 昇降機、つまりエレベーターのことである。昇降機の中で行われた殺人事件、もう題名からそそるではないか。大上段から振りかぶった堂々としたタイトル。

 で、中身はどうであったか? ここまで長く松本泰作品と付き合ってきて、多少の贔屓目はあるだろうが、松本泰はこの作品によって次のステージへと進んだ。

 私の大昔の「松本泰は『京料理』のような薄味」という印象は、一部撤回しなければならない。

 ここまでのベスト、である。

 乱歩の初期短編の一番調子の低い作品には、肩を並べる内容であると思う。

 横溝正史の初期短編にもよく見られる、登場人物が全員無駄なく意外な形に収まる、という趣向も盛り込まれている。

 当時の変格よりのシーンから見れば、松本泰作品は実に健全派であり、生真面目さが逆に物足りなさを招いてしまったかもしれないが、この作品は松本泰の勉強と努力の跡がしっかりと刻まれた作品となった。

 読者サービスも意識され、不倫を疑われる女性との関係、その女性の母親、敵か味方か、という人物配置、主人公の無罪を信じたいが横槍を入れられ、ぐらつくヒロイン、など、一級のスリラー作品(当時の)を構築してやろう、という意気込みがグイグイ押し寄せてくる。

 松本泰の代表作を問われたら、本作を挙げたい。 

 

1934年(昭和9年)7月「雄弁」

松本泰探偵小説選〈2〉 (論創ミステリ叢書)

松本泰探偵小説選〈2〉 (論創ミステリ叢書)