子供が巣立つ、これは嬉しい事だが、サラリーマンだと「扶養手当」の問題が浮上してくる。
これが一人消え、二人消え、していくと、結構大きい。
気持ち的には長く勤めているのに、手取りは手当が無くなる分、減っていく。
年数とともに給料というのは右肩上がりになってほしいものだ。
次男ちゃんも扶養から外れ、嫁さんの家計の切り詰めぶりは更に加速するだろう。
そうこうしているうちに、今度はどちらかの両親が体調を崩し「介護」という問題も他人事ではない話になってくる。
まぁ「死ぬまで馬車馬のように働け」という事か。
「小遣いを減らす」
というとんでもない提案を持ちかけようとする動きも水面下で動いていそうだ。
あぁ、嫌だ。
嫌な事は溜め込まない性格だ。楽しいことだけを考える。
欲しい本、読みたい本、書きたい話、売れて欲しい単行本、偽DA BUNPの二人にナンパされたのはいいが、他の女の子とも仲がいいので、ベンチで寂しそうな顔をして座っていた「まゆゆ似」のジムの彼女のこと。
相棒が姫路に帰ってきたら、また赤穂岬にでもドライブして海を見たい。
元気でなんでもできるから幸せじゃないか。
※
さて、今回は「虚実」を読み終えた。
浜尾四郎お得意の「if」の物語である。自身も弁護士だったせいか、浜尾四郎の頭の中には、数多くの事件を前に、常にこのような「もしも」が渦巻いていたのではないだろうか。
それを公の場で話すには問題がある。職務はあくまで厳粛に、そして鬱積した推測や妄想は作品へと昇華されていった。ように思える。
どれも水準の高い浜尾作品だが、これは「並」の印象。それでも最後まで興味深く読ませる。
金持ちの兄が盲腸炎で苦しむ。心配して見守る若くて美しい妻。弟は医者で開腹手術を急ぐ。念のために老練の医師にも応援を頼む。
事は一刻を急いだ。妻に許諾を取りベテラン医師の到着を待たずオペを開始。
ここで偶然に持病の貧血を起こし、弟は手術の最中に倒れる。一瞬意識が飛んだが、実は介抱されている時には意識は戻り、嘘寝をしていたのだ。
悪魔が囁く。ここで意識を失ったふりをしておけば、兄は死んで遺産は自分のものに、そして思いを寄せる美しい兄嫁は未亡人に。
そしてその後、弟は未亡人となった兄嫁と結婚する。
事件は続く。二人が避暑旅行中、夜のボートで弟が湖に飛び込み、妻の目の前で溺死したのだ。
これは事故なのか、殺意があったのか。
こういう似通った事件を浜尾四郎は手がけたのかもしれない。作中に断り書きとして「決定的な物証はない、だがこれが真実だと思えるのだ」と書き添えている。
犯罪の「if」譚。これが浜尾四郎の持ち味かもしれない。
1930年(昭和5年)11月「新青年」