会社帰りにツタヤで松田聖子のニューアルバムを買ってきた。
この前行った大阪城ホールでのライブが良かったからである。
前半のニューアルバムからの曲も、ここ最近の楽曲と比較したら、かなりキャッチーな出来なのではないだろうか。
今、ステレオで鳴らしながらこれを書いているが、ライブで聞いた時のことが鮮明に蘇り、スクールメイツのようなダンサーさんの衣装や動きも思い出された。
聖子ちゃんの作曲である。相当頑張っている。かなり勉強を積んだのだろう。
自身が今出せる「一番いい音域」を自分が一番良く知っているのが強みだ。
配信で買っても良かったのだが、値段もだいぶ安いし。が、ライブが楽しめたし、オーディオで鳴らせば音質も良い。
アーティストに対するリスペクトの意を込めて、CDを購入した。
私の良いアルバムの条件は、シングルベストを除き、三曲目までが全部気持ちよくて流れるような感じなら愛聴盤になる、というもの。
このアルバムはその条件を満たしている。
あと甲賀三郎も迷いなく購入。私の使命は甲賀三郎、大下宇陀児の良さを広め、復刊を買い支えていくこと。
速攻で小遣いが消えた。まぁいい。また働くさ。
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さて、今回は「不幸な人達」を読み終えた。
内容に踏み込んでおりますので、未読の方はご注意を。
想いを寄せる女性に睡眠薬の話をし、男女のじゃれあいから双方の思惑は上手く噛み合わない。
作者である浜尾四郎が睡眠薬を使っていた事は割合有名な話で、用法や量を間違えれば命に関わる、というのは創作だけでなく実生活でも気をつけていた事だろう。
女は効き目に対して軽くあしらう。男は蔑まれた感じがして意地になる。
「よし、それじゃあこっそり酒に混入してやれ」
昭和6年の作、いくら男女の恋愛感情を書いてミスリードを施したところで、これは読めてしまう。
繰り返し「分量」を書くからで、読者は「きっと致死量を飲んでしまう」と見抜いてしまうだろう。
ミステリの構造的には少々弱い。
予想を超えてくれたのは主人公の男性の取った行動。その突然の死が「後追い自殺」と受け取られ反論できない皮肉な状況。
遠のく意識。タイトルはここにかかってくる。
1931年(昭和6年)1月「文学時代」