今度相棒が帰って来たら、まぁ、来年の春が完成なのだが、ドライブがてらに「尼崎城」を見に行こうと思っている。
ネットで批判的な意見も見た。コンクリの土台に石垣をスライスして貼り付けているのが残念、というものだ。
しかし、これはそれほど目くじらを立てるものでもない。
この復興天守は個人が私費で寄贈するものなのだ。
「やるなら考証を徹底的に」
という話でもない。これはあくまでも市のモニュメントとして大らかに捉えるべき話だと思う。
建てられる場所も本来の場所ではない。逆に言えば、本来の遺構はコンクリの基礎で荒らされることもなく残るのだから良いではないか。
続きはまた書こうと思うが、私は城郭の復元は賛成派である。石垣だけ、の遺構というのは少々物足りない。
城の整備は地域の活性化にも貢献すると思う。
無茶苦茶なものは駄目だと思うが、何庁だったか? が条件としている三方向の古写真、木製の雛形、地質調査、これらが揃わないとゴーサインが出ない。というのもキツすぎだ。
明治の古写真一枚あれば、今なら一緒に撮影されている木から寸法は割り出され、スケールの算出はできるだろう。
古写真一枚で復元を許可、これくらいの寛容さがないと駄目。景気回復にも貢献するはず。金を持っている老人は歴史散策が好きだからね。城見学のついでにお金を落としていくと思う。
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さて、今回は「無生物がものを云う時」を読み終えた。
ここに来て、本格テイスト溢れる短篇である。時代的には平林初之輔が「オパール色の手紙」浜尾四郎が「富士妙子の死」を発表した辺りである。
本格の骨法を遵守した作品に仕上がっている。
内容に踏み込んでいるので未読の方はご注意を。
卸し問屋の支店には二人勤務。代表と田代という社員だ。田代が出先から帰ると代表が机でうたた寝しているのを見た。手提げ金庫も開けっ放しである。
田代は途中で腹痛を覚えたので一旦帰って来たのだ。先にトイレに行くと物音が。出てみると代表が絞殺されている。ちょうど御用聞きに来ていた氷屋に田代は警察を呼ぶように頼む。
そして氷屋は田代が代表を抑え込んでいるように見えた。と供述。警察は田代を容疑者として拘留した。
・営業先から便所だけに帰ってくるのが不審
・氷屋は田代が代表を押さえつけているように見えたと言っている。
・田代は人員整理で解雇を言い渡されている。動機足りうる。
・便所に行っていた、という証人もない。
ここまで書いただけでも田代の容疑は濃厚である。
そこでここから田代の妻が嘆願書を送る。妻は田代の無罪を信じている。状況証拠は田代に不利で、その目で見れば犯人は田代しか有りえない。だが無罪を信じた目で見ればどうか。妻は現場を見せてもらう。そして考えるのだ。
〜部屋の中のあらゆる無生物に向かって呼びかけました。椅子、卓子、金庫、ガラス戸(略)それらの無生物だけが、誰が真犯人かを知っているのです〜
そして私はタイトルを思い返す。「無生物がものを云う時」ゾクゾクくる。なにこの繊細な筆運び。私も文章書きだが、このようなアプローチは思いつかない。
女流作家ならではの繊細さだ。
そして妻は発見する。床に落ちていたチラシが踏みつけられて落ちているのを。妻は云う。主人はこういうものを放っておけない性分だ、と。
このチラシは主人がトイレに入った後に投函されたに違いない。と妻は推理する。
そして警察がいう「営業先からトイレに帰ってくるのが不自然、至る所に公衆便所はある」と云う見解も、妻は夫が大便をするときは必ず自宅で、と云うこだわりを知っているので、公衆便所では汚くてとても用をたすことができず、仕方なく事務所に帰って来たに違いない。と推理する。この「気付き」の着眼点も女流作家ならでは。生活からの観察だ。そして説得力がある。
もう「大正時代の日本のクリスティ」と言っても良いのではないか?
概ね満点なのだが、唯一私が気になったところ。それは誰がチラシを踏みつけたかの説明がないことだ。
これは夫が用を足している時に投函されたから、時間が問題で「誰が?」と云うのはどうでも良い、といえばそうなのだが、真犯人はまず時間的に踏まない。おそらくその後に流れ込んで来た捜査陣によるものだろうが、少しだけ引っかかった。
いやぁ、松本恵子。完全に夫を凌駕している。
1929年(昭和4年)10月「女人芸術」