呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

松本恵子「雨」を読む

 昨日、不覚にも心をかき乱してしまった、某オークションの小倉優香ちゃんの生写真「透け乳首」騒動。

 識者の方から「CGであろう」というご意見を頂き、迷い、煩悩からようやく吹っ切れることができた。

 危うく入札ボタンを押すところであった。偽物に貴重な小遣いを投入した、と知れたら末代までの恥。

 危機は水際で食い止めることができ安堵である。

 しかし良くできている。CGの技術は大したものだ。コンピューター黎明期の「合成」なら、アイドルの「顔」があり、技術者にデッサンの素養がないのか、貼り付けが雑で、身体の方向と表情が微妙にずれて「ホラー」のような感じになったり、下は丸裸でも首の結合部分の処理が甘く、キリンのようになってしまっていたり、というのはザラにあった。

 今回のは「自筆サイン」がメイントリックとしてあった。加工した写真の上に本人がマジックでサインをするはずがないではないか。というもの。

 逆にこれは今、冷静になって考えてみて、詐欺に引っかかる人の典型なような気がしてきた。

「本物であって欲しい」と強く願う心が、色々と捻じ曲げて解釈する、ことだ。

 今人気急上昇中の小倉優香ちゃんが、若気のいたりで撮影した透け乳首写真がブレイクした後にオークションで流出してしまった、というストーリーだ。

 しかし、あそこまで可愛い子がそう簡単に脱ぐ筈などないではないか。実際。

 改めて私は当該ページに飛び、悪い評価のコメントを確認した。すると

「サインはプリントアウトされたものです」

「何が自筆だ」

「いつまでも偽物を売ってるんじゃない」

 というコメントが目白押しであった(先にここを見ろよ、と)。

 自筆サインが崩れたなら、事件は解決したも同じだ。

 オークションなので、双方の需要と供給が噛み合えば良いのかも知れないが「嘘」の表記はいただけない。詐欺ではないのか?

「あんたも一旦は買おうとしたんじゃないのかい?」

 私の脳内の売り手側キャラがグラサンとアロハシャツで向かいに立つ。

「だって小倉優香ちゃんの透け乳首だよ? 買いそうになるでしょうが」

「そのプリントをあなたが手にし、思った感情こそが本当のものなんじゃないのかい?」

「だってCGで切り貼りした偽物だろ?」

「でも実際に写真は今、あなたの手元にある」

「……」

「あんたは今から付き合う女性がそれまでの交際人数が「10人です」って言うより「いませんでした」って言う嘘でときめくタイプの人間なんだな。現実に目の前に立つその女の子、そのものを見てはいない。その写真も一緒さ。その時点で目の前にあるリアルと、あんたがどう付き合うか、向き合うか、そこが問題なんだよ」

「わ、悪かったです。女性を「消費の目」でしか見ていませんでした。考えを改めます」

 って、なんで最後「ちょっといい話」に持っていってるねん! ダメよ、偽造は、許しちゃダメ。ノーモア偽乳首!

 さて、今回は「雨」を読み終えた。

 前回の「子供の日記」同様、だいぶ時間の飛んだ創作の収録である。「赤い帽子」から20年の開きがある。

 松本恵子の創作法は「これ」という決定的な骨格とも言える「核」があって、そこにどのような味付けをしましょうか、という感じがする。決して「核」をおろそかにしない、ツボを押さえた創作法である。

 今回もタイトルにまず「雨」と付け、犯行の発覚、証拠の提示が雨にまつわるもの。

 そして登場人物に姉妹。姉は美人だが少々世間に疎く、妹は進歩的で行動的、というもの。その二人が織りなす世界が、トリック小説でなくとも単体で楽しめる。ここが重要。

 そして姉は冤罪を被るのだが、前に紹介した「無生物がものを云う時」のように、どう見ても犯人としか思えないような状況から、観察によって一発逆転になる作話が松本恵子は好みのようだ。

 今回も妹の冷静な観察によって、動きようのない証拠を突きつける。降雨のデーターはさりげなく伏線として提示してある。

 後期は次第に探偵小説からフェードアウトして行ったことを思えば、このスタイルが松本恵子の到達点だった、といえよう。

 

1951年11月「宝石」 

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)