夕方の愛犬ラッキーちゃんの散歩は私の担当だった。
「ん? アンタ、ラッキーちゃん足引いてるで」
「嘘ぉ?」
「どんな散歩の仕方したんじゃ」
「どんな散歩て、普通に町内一周やがな」
「段差とか行ったんか? この子14歳で老人なんやで」
「そら多少は段差あったやろうけど」
「それや、原因は」
段々大声になっていく嫁さん。そしてそのまま夜の救急動物病院へ。
診断の結果は「捻挫」でした。
「初診料と夜間料金の五千円、払ってもらうからな」
「(なんで? なんで? なんで?(心の声)」
愛犬の散歩をして、延々と嫁さんに愚痴られ、確固たる証拠もないのに罪を着せられ、その上少ない小遣いから五千円持って行かれ(号泣)
ラッキーちゃんが自爆で自分で石の上に足を置いて、グリッとひねったかもしれんやんけ!
ブログに書いて気持ちを落ち着かせねば、とてもやり切れません(何冊本が買えたか…)。
※
さて、今回は「ユダの歎き」を読み終えた。
この作品も解説にある通り探偵小説ではない。松本恵子の創作の業績を俯瞰する意味での収録である。
タイトルからも分かる通り、イエス・キリストを題材にしたもの。ここで私がその辺りの造詣が深ければ、上手いツッコミを絡めつつ感想を述べることもできるのだが、知識はほとんど皆無。
唯一、大昔に観た80年代アダルトビデオ内で、確か篠宮とも子であったか、篠宮に襲いかかる男優に対して、もう一人の男優が「ペテロお前もか!」と叫んだシーンが?マークを浮かべながらでも思い起こされるエピソードである(罰当たりもの)。
主人公はユダで、いうならばユダは「武闘派」。キリストが絶対的な力や奇跡で王になることを信じている。
物語は一方通行な意思疎通の無さが生む悲劇。
武力や奇跡の力で「国を治めてくれい」と待ち続けるユダ。それを悲しげな目で見るキリスト。
「ちゃうねん。そうじゃないんやでユダ」
諭しても武闘派のユダは自分の考えを曲げない。
人と人、わかり合うのはとても難しい。「折れ」て、我がことに置き換えて考えねば、他人の心情など欠けらも掴めないであろう。
結果は自分が思わぬ悲劇に転じてしまい、世を儚む。
なんか私もあったような気がするなぁ、会社の先輩、偉い人とかに私の人間性を注意されたこととか。
「呉は趣味にお金使いすぎ。本とかそれだけ買って読む時間あるの? お金は残しとかなきゃ」
悲劇の前に悔い改めねば、貧しい老後が訪れるかもなぁ。悔い改めよ、アーメン(また罰当たりなオチを)
1938年9月「現代」