呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

松本恵子「拭はれざるナイフ」を読む

 よく「ブログを開設したが一ヶ月で辞めてしまった」みたいな声を聞く。

 その度に「勿体ない」と思うのだ。

 せっかく無料でブログを作れるサービスがあるというのに(ここの『はてなブログ』も無料です)なぜ続けないのか。

 辞める側にも理由があるだろう。

「自分には文才がないから」

「アクセスが伸びないから」

 そういうナーバスな理由もよく聞く。しかしそれは文才以前の問題だと私は思う。

 己を解放していないからだ。

 例えば貴方がスポーツジムに通っているとする。そして今日の日記のネタは、ジムに行ったことを書こうと決める。

〜ジムに通って半年、だいぶ筋肉が付いた。プロテインも高価なものを買った。トレーニングマシンに座ろうと思ったらタッチの差でおっさんに先を越された。ちっくしょう。今日は夏バテ気味だったので早めに切り上げて帰りました〜

 こういう日常の日記だ。これを読んだ人はどう思うだろう。

「で?」

 と言うのではないだろうか?

 まず貴方は文章において頭を七三に分け、詰襟のフックを上まできちんと締めて、行儀よく座っている。そんな文書になっているのだ。

 そんな真面目な姿を見て他人は面白いと思うだろうか。

 まず貴方は髪をオールバックにし、右目だけつけまつげをし、左の眉は剃り落とす。胸のボタンは第三ボタンまで開け、股間のチャックは全開にすればいい。そしてその全開にしたチャックから赤ふんどしを引っ張り出して、マフラーのように風になびかせるのだ。

 それが解放の第一歩である。

 そういう心持ちで書いてみた日記がこれだ。

〜ジムで気になる女性がいる。まゆゆに似た女性だ。話しかけたいがきっかけがない。なんとかして機会を作れないものだろうか。

 例えば感謝される、とかだ。

 彼女が先を歩く、下が暑手のカーペットなので手提げに入れておいた水筒を落とすが気づかない。

 それを私がすかさず拾う。そして爽やかに

「落とされましたよ」

 と話しかけるのだ。向こうは私のジェントルメンな物腰に対して、きっと感激するに違いない。

 そして「なんとお礼を言っていいやら」と目を潤ませるのだ。

 そして私は思い続けてきた欲求を、拾った謝礼として当然の如く要求するのだ。

「ではお礼に、その君の汗の浸み込んだ使用済みのタオルを頂けるかな」〜

 どうだろう。無茶苦茶である。しかし個性は出せた。解放する、ということは世間体や常識、倫理を取り去り、貴方が考えて恥ずかしくなり打ち消すことや胸の奥にしまいこむこと、これらを拾い上げて文章にすることなのだ。

 レッツ、ビギン(笑) 

 それこそが貴方の個性となり、やがてオリジナリティとなる。

 ※

 さて、今回は「拭はれざるナイフ」を読み終えた。

 老金満家、忠実な秘書、実直な召使い、金満家と仲の悪い唯一の肉親である甥。

 舞台は洋館である。

 金満家が密室で後頭部を杖で殴られ殺されていた。

 なかなかに本格テイスト。探偵はそれぞれに犯行が可能であることを話す。ある者は青ざめ、ある者は激昂する。

 3人のうちの誰かが犯人なのだが、探偵は所持品をテーブルに出させて、そこから推論を重ね、犯人を指摘する。

 こういう直球な本格作品の翻訳作業が、作家松本恵子の血肉となったに違いない。

 

1932年(昭和7年)9月「秘密探偵雑誌」原作 ハリントン・ストロング

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)