本日はですね、嫁さんと長女ちゃんも結局付いてきまして、大阪でシルク・ド・ソレイユ「キュリオス」を観て参りましたよ。
素晴らしい内容、大迫力の技の数々で、夫婦喧嘩も忘れて楽しんでまいりました。
三人でのバスツアーでの参加です。バスは真ん中に通路、左右に座席二つ、が普通です。人気ツアーなので「相席」が宣告されておりました。
「アンタ、バスの席やけどな、相席の場所、長女ちゃんがええ、と思わへんか?」
「なんでや?」
「相席がおじさんの場合、若い長女ちゃんが隣やったら嬉しいよな」
「そうやろうな」
「でももしもやで? 若い綺麗な女性が相席としてよ? 隣がアンタやったらその若い娘、がっかりするよな?」
「どういうことや」
「だから、誰がきても問題のない長女ちゃんを相席に座らせるのがベストやと思うねん」
私は行く前から、なぜこのように精神が摩耗せねばならぬのか。ジワリジワリとメンタルをすり減らされていく。
いやいや、人生嫌なことばかりではない。新刊、発売から売り上げを伸ばし、本日二位を達成したではないか。パチパチパチ。
こういう嫁さんの暴言が積み重なって、次の2019年版のネタになっていくのだろう。
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さて、今回は「四遊亭幽朝」を読んだ。
短い作品、この単行本で僅か3ページ。ショートショートといってもいいだろう。
前回の批判、反論から、この隼シリーズがどのような変貌を遂げるか、興味深く読み始めた。
タイトルを見て「あっ、諸作家に注意されたのに、性懲りも無く今度は落語のパロディか?」とドキッとさせられた。
これで本当に落語のパロディの探偵小説を書いたら、他人の意見など気にせず我が道を行く真からの反骨精神の人だ、と思ったが、どうやら雑誌「探偵趣味」の特集である怪談特集に沿って書かれたもののようだ。
話の導入で寄席に入るために「隼お秀」を使っているだけで、本筋には何ら関係がない。ナビゲーター的な使い方である。
肝心の怪談の方は、というと、語り口は上手いが、内容はストレートすぎてチト物足りなかった。構造は「のっぺらぼう」と同じ感じ。
幽霊を見て慌ててその場を逃げ出し、遠くからその現場が火事に包まれているのを見る。心なしか炎も青く見えた。というもの。現実か、幻影か、火事は偶然か、それとも最初から全て妄想なのか。怪談なので解決はなく、余韻だけが残る。
1927年1月「探偵趣味」