あけましておめでとうございます。
2019年もツイッターとこのブログを通じ、マイペースで呉エイジの妄想等をつらつらと書き紡いでいく所存でございますので、どうぞ気楽にお付き合いください。
新年からは、先ほどのことでありますが、嫁さんから頭を叩かれました。
「ええ歳こいて、何を見とるんじゃ!」
無実です。私は無実なのです。
iPhone8プラスの画面でツイッターを開いていたのですが、どこぞのフォロワーさんが、水着のグラビアアイドルの画像を添付しており、それを私が自分の意思で検索して見入っていた、と嫁さんは勘違いしたのです。
「違うがな、他の人がアップしてたんや」
「見え透いた嘘ついて」
信じてもらえないですし、叩かれ損であります。まぁ、その数分前には今どハマり中の吉川友ちゃんの写真集を物色していたので、完全に無実とは言えないのでありますが(汗)
みなさま、今年もどうぞよろしく御願い致します。
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さて、今回は「塞翁苦笑」を読み終えた。
内容に踏み込んでいるので、未読の方はご注意を。
橋本五郎を読み始めて今回で4本目だが、当時の探偵文壇に照らし合わせると、残虐な殺害現場の描写とか、変態心理みたいなものとは縁遠く、今で言う『日常の謎』を純文学に近い文体で紡ぎ、上質なユーモアも醸し出している。そのユーモアも作者が狙って読者に仕掛けているようなものではなく、それまでに吸収してきたものが自然に文体となって表現されているように感じた。
冒頭の共同生活をしている貧乏画家二人の会話も、この作品に『謎』というものがなければ、そのまま文学作品の短編の一本になりそうな軽快さである。
前提として『運命のいたずら』を描いてはいるが、橋本五郎の筆致に力があり、不自然さはそれほど目立ってはいない。
貧乏画家二人が生活に行き詰まり、田舎に帰ろう、ということになる。最後の一円を握りしめて夜の酒場に出て、酒を酌み交わし、いよいよ明日の生活費も底を尽き、二人で道行く人に乞食のフリをして恵みを乞う。
偶然出会った裕福そうな紳士は『仕事があるから』といって名刺を渡し、手付金として五円を二人に渡す。
ここからは読者も作中人物と同じ視点に立たされ、サスペンスを共有していく。ここを作者は書きたかったのだろう。
都会を引き払い、田舎の駅に降り立つと、見知らぬ男が『お迎えに参りました』と、スーツケースを持って豪邸に案内するのだ。
貧乏画家は実家に帰る途中で宿に泊まる金もなく、後で謝ればいいか、と間違ったまま招かれることになる。
読者は『全く予備知識もないのにどうやって誤魔化していくの?』とか『誰と勘違いされて、この場合どういう返事をすれば乗り切れるの?』といったことをあれやこれや考えながら一緒にドキドキする寸法だ。
どうやらスーツケースに貼っている、夜の街でもらった紳士の名刺、これで勘違いされているのだ、と貧乏画家は悟る。
この豪邸の主人から不正に遺産をせしめてやろう、という奸計を察し、この家に本当の使者が向かってきている、というカウントダウン要素も絡めながら、最後はカラッと爽やかな大団円を迎える。
終盤には不覚にも、ちょっとグッときてしまった。
橋本五郎は本当に探偵小説作家になりたかったのであろうか? こういう作品を読むと、純文学に近いものを感じるのだ。
1927年2月「探偵趣味」