金平「お前なぁ」
相棒の金平の苦言で10日は幕を開けた。
呉「ワシも言うことあるぞ、オマエ、いびきかいてたな(笑)」
金平「何いうとるねん。オマエが先やがな。速攻で酔っ払って、そのまま大いびきや!」
呉「その耳、オマエ耳栓持ってきてたんか?」
金平「持ってきてよかったわ」
朝食はホテルの一階にコンビニがあったので、後でサンドイッチでも買うこととして。
金平「呉、もっかい展望風呂入らへん?」
呉「朝風呂か。ええな」
ウキャウキャ言いながらタオルを持って展望露天風呂へ。早朝なので誰もいない。湯気の中を並んでフリチンで歩く二人。そのままザブン。
金平はそれほどお城を見たくはなさそうなのであるが、そんなこと知ったこっちゃねぇ(笑)日本の城をこの先も延々連れ回して城好きにしてやるのだ。
ホテルから国宝松江城までは歩いて行ける距離であった。私は一眼レフカメラを構えてテンションマックス。
黒く無骨な天守がお出迎え。手前の三基の櫓は近年復元されたものである。それは明治に撮影された古写真のお陰なのだ。
明治に輸入された写真術のおかげで、廃城令前の写真が残った。当時は高価なものであったことだろう。
昭和にバンバン作られた史実を無視したコンクリート天守は反対だが、こういう古写真が残っていれば復元しても良いと思う。
今はどこの庁か知らないが、復元には高いハードルがある。特に天守の復元は二方向の古写真、雛形の模型と図面が必要だと聞いたことがある。うろ覚えだが。
そこまで必要だろうか? 仮にその三つが揃っていたとしても、建築当時と寸分同じか? となれば『否』だろう。どうしたって現代の建築になるのだ。
無茶苦茶な復元は反対だが、こういう古写真一枚あれば規制を緩めてもいいと思うのだ。城は観光客を呼ぶ。地元姫路城も外国人観光客が増えた。
前回に金平と行った旅で寄った大洲城。あれは見事な復元であった。
この大洲城は当時、高価であった写真だが、奇跡的にアングルの違う写真が残っていたおかげで復元に繋がった。
木製の雛形も残っていたので、こういうケースは本当に稀であろう。ここまで揃えなくても古写真一枚あれば、写り込んだ樹木からコンピューター計測して、おおよその寸法は割り出せるだろう。
近年、天守台を整備し直し、あとは工事だけなのにゴーサインが出ない四国の高松城。
ここまで鮮明な古写真が残っているというのに、他の方向からの写真がない、雛形がない、の理由で復元できないのだ。阿保か、と。
この写真一枚で可能ではないか。どこの偉いさんがストップをかけるのか。なんという勿体無い話か。建物は人を呼ぶ。地域活性化に必ず繋がるのだ。
こういう話を松江城に向かう道すがら、怒り狂って金平にまくし立てていたのである。いい加減聞き飽きたのであろう。金平が最後に行った言葉がこれだ。
金平「俺に言うなや!」
姫路城に負けず劣らずの巨大天守。よくぞ残してくださった、明治の方々。
国宝を訪れて大満足であったのだが、天守内で我々はミスを犯してしまった。
この日、雪こそ降らなかったが、気温は低かった。厚手の靴下を履いてはいたが、5階まで上がる頃には足の裏が凍傷になりそうなくらい冷たかった。
最上階からの展望が絶景であったが、足の裏を意識しながら眺めていたのだ。
一階では入場券を受け取る綺麗な熟女の受付嬢がお二人。私は頬を赤らめ、隣で相棒の金平は内心「無類の熟女好きがっ!」と私のことを罵りながら。
私は綺麗な受付嬢に話しかけた。平日の早朝なので客は我々だけなのだ。
呉「いやぁ、満喫してきました。素晴らしい天守でした」
受付嬢「それはよかったですね(ニッコリ)」
呉「でも冬場は足元が冷えますね。足の裏が凍りそうでして」
受付嬢「お客様、もしかして靴下だけで登られたのですか? その端にスリッパがございましたのに」
金平と慌てて見てみると、端っこにスリッパ置き場が! 勢い勇んでスキップしながら私が早足で入って行ったので、金平も仕方なく付いてきたのであった。
受付嬢に見えない角度で、私の脇腹に綺麗に入った金平のボディブロー。
冗談抜きで凍傷になりそうだった我々二人は、この会話の時バレリーナ立ちだったのである!
城へ行くたびに集めているメダルもしっかりゲットして帰りました。
あっ、CMを入れておきます。この番組の提供は呉工房がお送りいたします。いたしまーす(幼児の声の追っかけエコー風)(※高速代、ガソリン代、飯代が印税で賄われております。ありがたいことです)
〜続く〜