橋本治『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』を読んだ。私はもう決定的に読むのが遅くて、一週間もかかってしまった。文章は読みやすく、個性的な一人語りなので、普通の方なら数日で読めてしまうだろう。
ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件〈上〉 (徳間文庫)
- 作者: 橋本治
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 1989/06
- メディア: 文庫
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『異形の作品』を読んでしまった。というのが読後の感想。全編を覆う『昭和軽薄体』という独特の文体。これが目新しく映った。四大奇書への言及もあり、かなり接近した部分もあるが、私小説的要素の方が強く感じられる。
60年代のクレージーキャッツを代表とする『モーレツサラリーマン』『テキトー』『無責任』とは違う、80年代の『シラケムード』この昭和の終わり、80年代の感覚を切り取った、そしてその時代での問題提起を孕んだミステリー仕立ての文学作品、といった趣。
私は今年で50ですからね、小学生の頃の世間を騒がせた『金属バット事件』や『女子大生ブーム』『ケーハク』といった単語から、なんとなく当時の世相は理解できます、が、今の若い人がこの作品を読んだら、当時限定の流行語や芸能人が散りばめられているので、ちょっとその部分だけで敬遠されてしまうかもしれない。
そういう世相を(作者も作品を延命させる気は無かったのか? という書き方だが)取り敢えず横に置いて、章の頭に引用される思わせぶりな名作推理小説からの引用、冗談交じりの推理合戦、というミステリーの道具立ても、作者の狙いは『そこ』ではなく、一人の人間が何故殺人を犯してしまったのか。という問いと、自分探しという言葉を超えた赤裸々な自分語りがテーマに密着して、読後色々と考えさせられた。
・昭和軽薄体という独特な文体が面白く、それを味わうだけでも価値がある。
・横溝正史の作中人物と、依頼人の家族の名前が『被る』ので、きっと不吉なことが起こるはず、と騒ぎ出す依頼人の婆さん。そしてガールフレンドから適当に頼まれて適当に探偵になり、そのまま事件に飲み込まれていく主人公。
・終盤、発狂する犯人、それも探偵が事件の全容を二人きりで説明している途中で(これは相当怖い)温和な言葉遣いが、段々と方言交じりになっていく壊れ方の演出(個人的にポイント高し)
文学的要素も高い。主人公の両親が離婚し、母親に気に入られようと『良い息子』を演じて、そのまま東大まで行った主人公の心の空洞。
その人に合わせて、本来の自分は違うのに、その人に気に入られようと、頑張ってその役を演じる、というのは形を変え、誰にでもある心理だと思う。そういう掘り下げがチクチクと胸を突く。
そして作品でも重要な要素の『都市論』とその犠牲。身近でもある話だ。昔ながらの国道沿いにあった喫茶店、しかしその道を迂回する大きな幹線道路ができれば、その沿線は一気に死ぬ。
事件の舞台もそれに近い閉塞感に包まれているのだ。
そして未読の方はこの先読まないでね。
厳格な解決とは決して言えない、自供と状況証拠からの事件解決。
犯人の動機が
「色々とやんなっちゃったから」
という一見軽薄の極みのように見える、誠にリアルな心情。
今だって変わらない。状況は当時より悪化しているだろう。抜け出せない貧困。富裕層との二極化。真面目に働いても明るい未来が待っている、とは決して思えない社会制度。貧乏人は死ね、とでも言っているかのような世の中。
親の葬式が出せなくて、いい歳した大人が親の死体を放置したままニュースになる、その『仕方なさ』モロに我々の世代だ。
この作品当時の『シラケムード』よりも(まだ日本は豊かで逆転のチャンスはあった)絶望が蔓延している現代。
「色々とやんなっちゃったから」
という動機、未来を先取りした作品、とは言えないだろうか?