呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

俺は最低

 スポーツジムに通っている人なら知っている方もいるだろう。スタジオプログラムで『ズンバ』というメニューがある。

 野生的なダンスがメインで、音楽も民俗音楽をベースにした、リズムが強調されたサウンドを使う。

 最近『まゆゆ似』の彼女は、このメニューしか入らなくなった。

 足繁く通っても、他のプログラムには参加しておらず、逆にこのプログラムで見なくなったら、退会している可能性がある、という事だ。

 私は入口前から伸びる行列に加わった。何気ない風を装って、彼女の姿を探す。どうやら来ていないようだ。

 一番最後の事件、勇気を振り絞って話しかけて、返事がある、と思っていたのに、向こうは言葉を詰まらせて、目を泳がせながらかわされた格好になったのが最後であった。

 進展させるためには、もう一度自爆覚悟で挨拶をする。これしかないのだろう。しかし相当の勇気が必要であった。

 一度フルパワーで、いうなれば『界王拳五倍』である。『いつもダンス上手ですね』を繰り出したのだ。今、限界を突破し、ちょっと触られたら激痛が走る、そこまで精神を酷使してトライしたのだ。

 次に何といえばいいのだ。

 そんなことをボンヤリと考えていた。

『あと、五分で開始です。横四列で詰めてお待ちください』

 インストラクターが声をかける。その号令で人の波が動く。

 私の列は二列だったので、後ろから繰り上がって四列になった。

 私の左に後ろからスッ、と人が割り込んできて並んだ。

 私はガッツリ見るわけにもいかないので、横目で確認した。見慣れたウェアーの色。まさか!

 私は緊張した顔でゆっくり左を向いてみた。

 私の真横に『まゆゆ似』の彼女が座っていた。真剣な表情だった。いや、それはどうなのだろう。自分に都合のいい解釈をしてはいないか?

 真剣な表情、とも取れるし『困惑』の可能性もあるではないか。インストラクターの号令で、私の後ろに偶然並んでいたのに

『あっ、この人、前に通路で面識もないのに、いきなりダンスのこと褒めてきた人だ。困ったな』

 という困惑、の表情。

 目が合った瞬間、私は目を大きく開いてしまった。驚いたからだ。

 そうして前に向き直って下を向き、下唇を噛んだ。

 横並び四人でスタジオの入り口から列が伸びる。前から全員綺麗に並んで体操座りをしている。

 私の真横に『まゆゆ似』の彼女が体操座りしている。

 横目で確認すると、向こうも俯き加減でボンヤリしている。

『あと三分ほどで入場です』

 どうする。どうするのだ。向こうは挨拶をして欲しいから、勇気を振り絞って私の真横で体操座りをしているのか?

『呉さん、今年50でしょ? 情けない。偶然ですよ偶然。向こうも40台でしょ? そんなロマンスあるわけない』

 という外野の声が頭の中で鳴る。声をかけない方が失礼じゃないのか?

 少し身体を動かせば肘が当たる距離だ。心筋梗塞を起こすのではないか? きっと私の顔は真っ赤であろう。

『時間です。皆さん立ち上がってご入場ください』

 タイムオーバー。そのまま人波に流されなだれ込む。

 もしも、もしもだ。彼女が今日、勇気を振り絞って挨拶をしてもらおうと私の横に座ったのであれば、きっと幻滅し、不甲斐なさに呆れたことであろう。

 そう、何も話せないまま、プログラムは終わり、解散となり、人波の中、私は彼女の姿を見失い、何も起こらないままジムを後にするのであった。

 


佐野元春  おれは最低 (ライブムービー)