呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

佐野元春ニューアルバム「或る秋の日」濃厚レビュー

 

或る秋の日(受注生産限定盤)

或る秋の日(受注生産限定盤)

 

 

 長く佐野元春のファンを続けている。リアルタイムではヤングブラッズのリリースから。傑作アルバム『ビジターズ』は後追いの昭和44年生まれファンである。

 昨日発売の佐野元春のニューアルバム『或る秋の日』

 このアルバムは、ここ数年のアルバムの中でも傑作である。詩、メロディ、そしてボーカルの表現力など、新境地と言っていいほどで、内容はとても内省的で聴く者の感情に強く訴えかけてくる。

 既発の先行シングル4曲に新曲の4曲の全8曲構成、時間にして30分。曲数といい時間といい『ミニアルバム』の体裁だ。

 これまでに佐野元春は雑誌のインタビューで『今度のアルバムはコンセプトアルバムだ』とか『アルバムを一本のロードムービーのようにして纏めた』という発言をしてきた。

 そして実際に『ミスターアウトサイド』を後半にリプリーズで配したり、庭で始まり庭で終わる、という狙いや、コヨーテのロードムービー仕立てなど、提示されてはいるが、中にはバラエティに富む多彩なソングライティングから、その狙いがぼやけてしまうナンバーも収録されていた。

 これまでのキャリアで唯一『コンセプトアルバム』『トータルアルバム』として突出しているのは、単身ニューヨークで作り上げた『ビジターズ』である。

 ピリピリするほど統一されたサウンド。日本を離れ『訪問者』となった視点からの詩。それはとても内省的なものから発していた。

 そして、今回のこのアルバムの印象、下世話な話をすれば、ツイッターで得た又聞きだが、佐野元春が近年、離婚と再婚を経ている、ということ(佐野元春自身はそういうワイドショー的な興味でアルバムが売れる理由の一つになるのはたまらなく嫌だろう)。それを踏まえれば、この熟年離婚、失恋、喪失、失意、傷心、といった感情が、万華鏡のように展開した、真のトータルアルバムになっていること。

 それは恐らく佐野元春の本意ではないだろう。

 世間は佐野元春にどんなものを求めているか。それは『強さ』である。社会に異議申し立てをする姿勢。『警告通り計画通り』に見られるジャーナリズム性。硬派なロッカー。本人もこれまで『強い』佐野元春であろうとしてきた。

 だから、この『自分への癒し』となるサウンドの数々は、深く哲学的で恐ろしくトータルアルバムの形に仕上がっていく過程でも、強くあろうとした佐野元春は『だけどミニアルバムだけどね』と、崩れ落ちずにシャンと背筋を伸ばす。

 聴き終えた今では『この世界観をフルアルバムで聴いてみたかったよ』という気持ちがないでもないが、そこが佐野元春の強さであるし、長年信頼している音楽への誠実さでもある。

 ミニアルバムだよ、とこちらの心配をスカしてはいるが、描かれているのは、とても傷付いている佐野元春、こんなに傷付いて弱々しく心情を吐露している佐野元春はとても珍しい。これは失意と再生、それらを癒す極めて内省的なヒーリングミュージックだ。

 録音は2014年。相対化するまでに五年もかかっているのだ。傷の深さが伺えるし、収録された楽曲が生まれ落ちるのも納得できよう。

1・私の人生 傑作。佐野元春流ウォールオブサウンド。〜愛って何ていうか 空回りの理想〜という詩。そして〜このありふれた愛すべき日々の人生〜への繋がり。

〜人のことなんて誰もわかっちゃいない〜作中の相手は『妻』なのだと私は読んだ。日々深まり、感じる『齟齬』。長年連れ添っていても人のことは、自分以外の人生なのだ。だから改めて見つめ感じ直す〜日々の人生〜それは誰もわかっちゃいないが、生きている限り続いていく、ものなのだ。

 ツアーに明け暮れる日々。『子供が巣立ったので別々の道を歩みましょう』という会話を妄想する。それは仕事に明け暮れるサラリーマンにも当てはまる。家には目もくれず家族のために身を粉にして働いてきた男。いつの間にか冷え切っていた愛すべき、絶対に崩れるはずがない、と盲信してきた相手からの別れの言葉。「え?」としか言えないではないか。

2・君がいなくちゃ 色々と含みのある歌詞である。〜いつの日か二人を分かつ時が訪れるとしても〜終わりが生活の中で見え始めてきている。その中で祈りのように響く〜君がいなくちゃ〜〜心が落ち着かない〜男は全然強くなんてない。弱い生き物なのだ。女性より強いのは腕力だけ。たったそれだけ。

3・最後の手紙 個人的の本アルバムのベストトラック。男はロマンチストなのだ、と思わせる世界観。失恋は男を詩人にさせる。出会った頃の情景、思い出は美しい、そうあってほしいよ、という歌詞に、張り裂けそうな失意が伝わってくる。

 男は叫ぶ。君のために書いた唄を心に留めておいてくれ、これが君に書く最後の手紙になるだろう。そう思うと涙が止まらない。子供達にもよろしくと伝えといてくれ。

 男は感傷で心が押しつぶされそうになる。それでも精一杯立とうとする。しかし『女』という生き物は、男のそんな感情を他所に、作ってもらった唄も忘れ、新しい生活の準備や、未来のことで頭がいっぱいなのだ。感傷には決して付き合ってはくれない。関係が終わった女、という生き物は、この世で一番冷酷な生き物なのだ。終盤には伝家の宝刀「デュデュデュ」スキャットが出てくる。古くは「グッドタイムス&バットタイムス」「グッバイからはじめよう」などで聴くことのできる、無条件に郷愁感を誘う元春の武器。

4・いつもの空 これまでの佐野元春のキャリアでは、まず出てこないであろう内省的な歌詞とメロディ。しかし若い頃には『バッドガール』のような弱く女々しい一面も持つのだ。そしてこの作品は寂しさが残酷なまでに響く。カーステでツッコミが止まらなかった。〜朝、小鳥のさえずりが楽しげじゃなけりゃ、寂しくはない、君がいなくても〜さっきは君がいなくちゃって、言うてたやん。まずそこが痛々しい。それに朝は大抵小鳥は楽しくさえずるやん。さえずらん日はないやん、ならずっと寂しいやん! 曲は二番に続く。〜朝、台所がシンとしてなけりゃ 平気さ 君がいなくても〜奥さん出て行ったんやろ? なら台所は絶対にシンとしてるやん! じゃあ平気じゃないやん。寂しいやん! 三番に続く。〜朝、木漏れ日が優しくなけりゃ 平気さ 君がいなくても〜木漏れ日は絶対に優しいやん! 曇り空や雨の日はまず普通でも絶対に寂しいやん。晴れの日は確実に木漏れ日やん! じゃあオールマイティで寂しいやん! ものすごく弱い男の肖像が浮かび上がる。逆説の詩作の極致。ボーカルの表現力も素晴らしい。

5・或る秋の日 先行シングル。アナログで言えばここからがB面。これは再会してしまった唄。それも昔好きだった人と。酷い別れを経て、新たな恋の始まり。

 サウンドプロダクションが素晴らしい。メロディも〜初めて会ったあの日から〜のところなどとても力強い。再生の音楽。

6・これは少しづつ心が修復されていく過程を思わせるナンバー。まずアコギと、冒頭と最後のチャラチャラと鳴るパーカッションが元春本人の演奏。普段元春はそんなことしない。失恋の痛手、一人部屋に篭り、手癖のように触っていたギターが生み出したフレーズだろうか、何かを癒すようなパーカッション、一点を見つめ、無心で鳴らす様子を妄想する。

7・永遠の迷宮 これは再スタートを妄想させる。新しいパートナー。それは過去に想いを寄せた人。〜今までの隙間を 全て埋めたい〜に現れている。男は別れたとしても『自分の愛は正しかった』と思いたい。だから引きずる。次になかなか行けない。次に行くには新しい『恋』しかないのだ。『愛』はズタズタに破れているのだから。

8・みんなの願いかなう日まで 離婚しても失恋しても祝う日や祭りは関係なく訪れる。今日はクリスマス。みんなここにいる。大事な人は今ここにはいないけど、今日はクリスマス。詩を写しながら涙が出そうになる。なんというセンチメンタリズム。離婚しても新しくやり直せばいいんだ。新しい恋は前の愛を否定するものではない。それは日々、人生は続いていくものなのだから。そして人生は『楽しく』なければならない。人は一人で死んでいく。それは分かってはいても寂しすぎる。欲しいものなんて何もない。ただ君がいてくれるだけでいい。いろんなサヨナラがあって、みんな今ここにいる。今日はクリスマス。昨日まで互いに辛い日々だったかもしれない。でも祝おう。だって今日はクリスマスじゃないか。そして私は天を仰いで祈る。みんなの願いがかなう日まで。

 こんなトータルアルバムを私は知らない。これこそ一人の傷付いた男のロードムービーではないか。

 離婚、喪失、失意、傷心、再会、再生、希望。そんな魂の流れが『秋』という季節を背景に流れていく。

 これは『外』に向けて力強く放たれる、世間が求める佐野元春の『ロック』ではない。傷付き、そこから再生していく姿を描いた、哲学的な作品集だ。

 だから本作は『トータルアルバム』となった。ミニアルバムだよ、と本意ではないような強がりも含めて。

 

或る秋の日(受注生産限定盤)

或る秋の日(受注生産限定盤)