温存しておいた一篇、谷崎潤一郎の『白昼鬼語』を遂に読んだ。
光文社文庫からの新しいシリーズ。日下三蔵神のお仕事である。以前ちくま文庫で出ていた怪奇探偵小説シリーズのようなテイスト。次回は芥川龍之介だそうだ。支持したい。
さて、本作、さすが文豪谷崎、終始クライマックスかのような異様なテンションで引っ張られ、そのまんま振り回されてしまった。
構造へのヒントとなる発言もあるかと思うので、未読の方はご注意を。
冒頭から乱歩や久作の匂いが立ち込める。実際は逆なのだが。谷崎が黎明期の日本の探偵小説文壇の方向性に多大な影響を与えたのだ。
読めば頷ける。これは名前を伏せれば探偵小説誌に掲載された短編、と教われば疑いもなく信じてしまうような純日本風な探偵小説だ。
退屈を持て余した裕福な男と、その数少ない友人の作家という登場人物だけで、乱歩の短編を思わせるではないか。
この変わった男は作家の目から『発狂しているのではないか?』と思われている。徹夜明けの作家に『すぐ来てくれ』と呼びつけ、行ってみれば『今夜殺人現場を目撃できるかもしれない』という告白をする。
この時点で読者と作家の目線は重なり『危ないやつ』という目で変わり者を観察する。そういう興味でグイグイ読者を引っ張る。
聞けば映画館で前に座った男二人、女一人の客が秘密の暗号で書かれた紙で殺害計画を立てていることを察知した、更に互いの手に指文字で殺害方法まで交換していた。と言うのだ。手紙はポーの黄金虫に習った暗号で、それを解いた、というのだ。
これを熱っぽく語るシーンを見て、読み手も『こりゃ完全に神経衰弱だな』と哀れみの目で見るようになる。読者を優位に立たせる効果をも持つ。
そして実際に付き合って、荒唐無稽な妄想であることを悟らせ、論破しようと暗号に書かれた場所へ深夜タクシーで出かけていく。
すると田舎の奥まった一軒家、壁に節穴もある日本家屋で、深夜明々と電気を照らし説明のあった女と角刈りの男が中年男をどうやら殺害し、今からまさしく溶解液で死体を金盥に入れ、処理する寸前の場面を二人は目撃してしまうのだ。
そうなると先程まで熱心に荒唐無稽な暗号の説明をしていた変わり者の男の言動が逆転してくる。見てきた光景の意見交換をする場合にでも、妄想だと前半思われていた言動も、この異様な事件を理路整然と説明しているようにしか見えなくなっているのだ。
こういう面白さの演出も抜群に上手い。
そしてバレないように二人はその場から逃げ出すのだが、今度は変わり者の男が『あの男を殺した時に記念撮影する(溶解前に記念撮影していた)殺人狂の美女に恋をしてしまった。近づきたい』
と言い出すのだ。作家はもちろん止める。読者も『やめとけやめとけ、ヤバイヤバイ』と志村後ろ、の気分にさせられる。
そして男は執念深い張り込みの結果、女に接近し交際に発展する。女は男の資産しか眼中にないのは明白。
そして作家の忠告を聞かないまま絶交。そして数日後〜これは遺書だと思って欲しい〜というその後の経緯が書かれた封書が作家の家に届くのだ。
見事な探偵小説的フォーマット! 日本式のレールを見事に引き切っているではないか。
そうして物語はどんでん返しを含めクライマックスを迎えるわけだが、漠然と思ったこと。この現実に引き戻す手法を本格擁護者であった乱歩はマナーに沿って『赤い部屋』で実践したのではないか。つまり文豪の敷いたこのレールが『本格』であると。
個人的な希望を言えば、ひどい死が待っており、その経緯が書かれた手記で終わって欲しかった、のだが、それは変格寄りの考え方だろう。
読後の印象が『そうだったのか!』と感心するのか、ガッカリくるのか。リアルに引き戻さないままの犯罪譚構成が探偵小説では恐らく圧倒的多数だと思う。
その不満が、異変を明晰に解析しないで(本格)異様な人物、異様な趣味嗜好、それに巻き込まれ現実に帰らぬまま悲惨な終わりを告げる型が、自然と変格になったのではないか。そんな読後の印象を持った。
良い探偵小説を読んだ! という気分だ。乱歩の未発表短編を読んだ、くらいの探偵趣味充実感であった。