呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

浜尾四郎「救助の権利」を読む

 暑くなってきた。水分補給のため自動販売機で甘い炭酸やコーヒーを飲むのを控え、アマゾンで注文した。

  この歳になって、初めてジム通いし、アミノ酸の疲労回復を知った。筋肉痛や筋肉疲労にアミノ酸の摂取が私にとって劇的回復を感じたからである。

 筋トレの後、寝る前に飲んで、翌朝爽快な目覚め。これは「アミノバイタル」を飲んだ個人的感想だが、その効果は栄養ドリンクなどの比ではなかった。

 効果は確かだったが「アミノバイタル」は結構お高い。

 なので海外製のこれを買い、ペットボトルに水を詰めてシェイクし、缶ジュース代を浮かせよう、という算段なのだ。

 微糖コーヒーは腹の贅肉の肥やしになるが、これなら疲労回復にも繋がる。

 夏が来てしまった。まだ腹筋はケンシロウのようには割れてはいないのだ。

「早くTシャツ姿が似合う身体になりたい!」(妖怪人間ベム風に)

 ※

 さて、今回は「救助の権利」を読み終えた。

 内容に踏み込んでいるので、未読の方はご注意を。

 読後、良い探偵小説を読んだ、と言葉が出た。見せ方、内容、演出、など、浜尾四郎の一つの到達点のような作品に思える。

 犯罪譚と文学の融合、という点から見ても目論見は達成されているのではないだろうか。

 目の前の自殺者をどうするか、というのが根底にテーマとしてある。読む方は当然「助けて説得する」と思うだろう。

 しかし、登場人物の一人が抱える事件で、自殺を思いとどまらせ、一円(当時の)を握らせた裕福な老人が、犯人が懐の財布にある300円を見た結果、衝動殺人を起こし、結果殺してしまう。

 刑は死刑を求刑されるだろう。助けようとした恩人に向かって、殺して金を奪うとは何事か、と誰しも思うはずだ。

 しかし犯人の心情はどうか。1円で数日死ぬ日が伸びるだけである。苦痛の先延ばしだ。三日目には何も食うものがなくなり、また同じ場所に戻って投身自殺するだけのことである。

 登場人物の二人(学生時代の友人で久しぶりの再会)は夜、床を並べて事件について語る。

 君ならどうする? 人は簡単に他人の命を殺めるのもそうだが、逆に簡単に「救う」権利もないのではないか。他人の人生に対し、安易に干渉できる権利などないのではないか。

 そうして翌朝、二人はそれぞれの生活に戻っていく、ここからがいい。

 美しい細君に見送られ、再会の約束をしながらタクシーに乗り、駅に向かう。友人をプラットフォームまで見送るためだ。

 事件のことを話しながら、二人は別れる。このラスト数行を読んで不意を突かれた。良い探偵小説を読んだ時に訪れる、鳥肌を伴った「アレ」だ。

 このラストシーンで、人間とは、人生とは、どう生きるべきか、など色々なことを考えさせられる。やるせない事件と幸せな家庭との対比。他人への干渉よりもまず、人間は自分の幸せのために、まずは一生懸命頑張らねばならない。そういうメッセージが私には聞こえた。傑作。

 

1931年(昭和6年)4月「文芸倶楽部」

浜尾四郎探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

浜尾四郎探偵小説選 (論創ミステリ叢書)