呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

呉エイジ2021年度最新短編集『OH! SHELLY!』堂々完成。

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最新短編集『OH! SHELLY!』ついに完成致しました。八本入りの短編集です。昨年からチマチマと書き続けて、ようやく完成することができました。

 

 愛機、金のMacBookちゃんの挙動が怪しく、買い換えも検討せねばならぬ事態に陥っており、これが売れてくれなければ今後の創作活動に支障を来します。ぜひポチって頂ければ(笑)

小酒井不木全集

 近況報告を兼ねて日記を更新しますよ! ずっと欲しかった小酒井不木全集を私のネット上の師匠(ヨーダのような存在)から格安で譲って頂き、嫁さんに睨まれながらもホクホク顔でございますよ。

 

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(※みっしり(京極夏彦風に) 

 全17巻です。短い人生であったのに物凄い執筆量ですよ。脳のクロック周波数が私なんぞとは桁違いなんでしょうね。

 

 私はといえば、新年明けてから、仕事が本当にシンドくて、疲れが全く抜けません。帰宅後、アンビリカブケーブル(帰宅後の自由時間)が抜けてからの活動限界時間が、年々短くなってきています。睡魔がすぐ来ます。

 

 残りの人生、終活も含めて自分の作品を作る方の時間に充てなければなりませんね。

 

 読書もほどほどにして。で、いきなり読めない(笑)

 

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 医談、と読むそうです(ネットの集合知は素晴らしい!)

 全集には生命神秘論も(ピカーン!)

 

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 この全集を使って、色々と遊びたいですね(小酒井不木完全攻略みたいな同人誌を作って文フリに殴り込み、東京に進出! みたいな)

 

 さて、己に課した締め切り、今年は月に一本短編を作る、と決め、一月と二月の構想だけあり、完成を見ぬまま三月へ。

 

 なんとか今年は短編集、私小説長編、ワガツマの新刊の三冊は疲れた身体に鞭打ち、出したいところであります。

日本探偵小説全集リミックス

 もっとアンテナをおっぴろげておけばよかった、って話ですよ。紙版は即完売だったらしい『日本探偵小説全集リミックス』

 

 それでも読みたいので電子版を買いましたよ。

 

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 これは東京創元社の例のアレへのオマージュでしょうね。愛を感じます。

 

 で、九鬼ひとみさんの「発狂する壁」と織戸久貴さんの「リゾーム街の落とし子たち」を読んだのですが、前者が角田喜久雄、後者が木々高太郎のトリビュート作品なのですが、もうトリビュートを飛び越えてどちらもオリジナルのムードを持つ出来で、私のような五十代、旧世代の探偵小説ファンの解釈とはまるで違う、探偵小説第七世代ともいうべき新風を感じました。

 

 これは私にとってドストライクな一冊でしたね。続きが楽しみです。そうなると尚更紙版を買い逃したことが悔やまれます。

 

 よい取り組みだと思うので応援したいです。おススメですので皆さんもこちらからどうぞ。続刊も希望です。

2021年 あけましておめでとうございます

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。こことかツイッターで呟いていきますので、どうぞ皆様、遊んでやってください。

 

 さて、昨年は色々なトラブルもあり、そのトラブルを乗り越えた後でも、ちょっと心を痛める出来事がありまして、ちょっと何も書けない失語症のような状況になっていました。

 しばらくは本を読んでも内容が入ってこないほど重症化していたのですが、最近少しずつ復調して参りました。

 恥を承知で書きますと、両親のことです。父親に対する母親の冷たい態度、考え方に心を掻きむしられました。幸せになるために、支え合っていくのが家族なのではないでしょうか。

 思えば母親は愛情が薄く、それを認識したくないから事実から遠ざけていた節もありました。毒親の部類に入るでしょう。

 が、自分が家を出て所帯を持つと、母親の『自分の人生だけを充実しようとする生き方』が、私の常識から懸け離れたものであることに漸く気付きました。

 そういう事を薄々感じていたから、とっとと家を出て、温かい家庭を築こうと思ったのでしょう。

 今、父親と独身の弟は、母親に支配され、骨抜きにされ収入の殆どを握られ、反論もせぬまま母の思いのままの生活で当たり前に暮らしています。

 母は年間に一人で日本各地を旅行しています。父の趣味は姫路港で釣りをすることだけです。その実情を連れ出したスーパー銭湯の露天風呂で父の口から愚痴として聞き、涙が流れました。

 弟は私に輪を掛けた世捨て人で、本さえ有れば人生ゴミ屋敷でも食べ物に困っても良い部類の趣味人間です。母親は弟が近所付き合いが苦手なことを利用し、町内にすむ役目、ゴミ当番や溝掃除などを『アンタがやらないからお母さんがやってるんやで』と恫喝し、一流企業に勤めている給料から月に七万しか与えられず(ボーナスも完全管理)衣食住を提供してもらっている引け目からそれを当たり前のようにして生きています。

 弟は国立大学を卒業し、ヒマな月でも五十万以上持って帰る優秀な男です。無口な男なのですが『それでええんか!』と詰め寄っても『母さんがなぁ』と煮え切らない返事ばかりで、マインドコントロールは完全に決まっているようでした。

 思えば私も、母親の愛情に飢えていた人生でした。しかし、いくら愛情の薄い人に思い描くような愛情を求めても、それはナンセンス、時間の無駄だと気付きました。

 自分の嫁さんと温かい家庭を守っていけば良いことなのです。

 私は父に向かって『寝たきりになって部屋の向こうにいたら目障りだ』などとても言えません。逆立ちしたって言えないフレーズです。ポロッと出た一言が母の本音なのでしょう。

 聞き流して実家から帰りましたが、その一言があまりに哀しくて、そこを批判するために母親と対峙したら、きっと母親は『親に向かってよくもそんな口の聞き方を』としか言わないでしょう。自分を悔い改めるようなことなどまずしない、勝ち気な性格なのです。父も矯正できなかった性格です。

 日頃から意見するので愛情は更に薄まり、相当な遺産も私には遺言で一文も渡らないようにしていそうです。いらないですけどね。

 私は妻と子供たちとの愛情に囲まれ、電子書籍で読者さんからレビューもしてもらえて、充実した人生を送れています。

 遺産以上の宝ですよ。

 なので、今年も書きます。まだ本調子ではないですけどね。思えば私の文筆活動は、フラットな状態だからこそ維持できていたものなのだなぁ、と。今は心に刺さったトゲを抜く日々です。

 人は幸せになるために生まれてきたのです。色々と考えさせられた年末でした。

喪は明けた

 喪は明けた。今、私の脳内には、チーンチーンと心地よい金属音が鳴り、そのままジョンレノンの『スターティングオーバー』が流れている。

 

 有休を取り、今から山荘へ籠もりに行く。この6月からこっち、私はどのような不幸に見舞われたのか。それを私小説のアプローチで纏めてみたい衝動に駈られたのだ。出来るかどうか分からないが、とりあえず追い詰めてやってみる。

「次は私小説のアプローチで書いてみる」

 すると相棒の金平は

「オマエ、充分私小説の資質ちゃうんかい。我が妻とか」

「あれはあったことそのままの日記の延長みたいなもんやないかい」

「あったことを書くのが私小説違うんかい! 自分では気付かんもんかのぅ」

 というやり取りを挟みながら、合間に志賀直哉なんぞを読み、私小説の指南本にも目を通し、今日を迎えた。

 一泊しかできないのが残念だが、出来れば24時間でおおまかな形にまで仕上げたい。

 その様子はまたここで。それでは!

近況報告

 呉エイジ業も完全に停滞ですわ。人間、生きていると突然の不運に見舞われることがあります。

 

 今、私は、そうですね、特定されないようにぼやかして書きますと、不当な圧力から、まぁヤ○ザみたいなものと考えてもらってよろしい。不本意なお金が、毟り取られている、と、そんな状況です。

 

 これまでの私は、印税から好きな本を買い、好きなタイミングでKindle本を出し、皆様に評価して頂き、ツイッターで平穏な心持ちで気ままに呟いたりしておりました。

 

 それが一変です。

 

 仕事を終えてから、内職にいそしんでおります。ボーナス三回分くらいの金が奪われるのですから。何も無い日常、ってものが人生何よりの幸せですよねぇ。

 

 これまで幸運すぎるくらいに来た人生の試練、しっぺ返しでしょうか?

 

 なので、セルパブシーンを盛り上げようと、新ブログを立ち上げたり、感想ブログを書いたりしましたが、新作の執筆なども中断して、全部が中途半端に終わっています。自我を保つのが精一杯です。

 

 幸い、毎日売れたりアンリミで読まれているのが心の救済となっております。

 

鬼嫁探偵 (呉工房)

鬼嫁探偵 (呉工房)

 

 

 しかし、私は半沢直樹並に優秀ですね。効率が良いので、二年、いや、一年くらいで従来のスタイルに復帰できそうです。この苦難は本にして回収してやるのだ。

 

 なので、今もせっせと、電子部品のネジをしめ、たまったら親方のところへ持って行ってお金にするのです。出来の悪いパーツは怒鳴られてお金をくれないのです(イメージしやすいように内職シーンを誇張)。

 

 小遣いは減りました。好きな本も買えません。でも前に進みます。必死に生きすぎて少しキャラが変わってしまいましたが、ツイッター等で今後とも仲良くしていただきたく存じます。

ポメラをポチる

 あうぅ、散々悩んだ末、遂にポメラをポチってしまったぁぁ。

 

キングジム デジタルメモ ポメラ ブラック
 

 

 ネットサーフィンも出来ない、SNSの通知も来ない。純粋なテキスト入力マシン『ポメラ

 コイツを導入することで、傑作を書き上げることが出来るはず。と、またしても形から入るモノ信仰である。

 iPhone11proMAXがあるではないか、と。あれとブルートゥースキーボードを揃えたではないか、と。

 もうほとんど脅迫、追い込み作戦である。でもまぁこの50代はセルパブに生きる、と決めたのだ。その為のツールだ。印税で執筆環境を整える。健全な自己投資ではないか。

 聞くところによると『屍人荘の殺人』の今村昌弘先生も、確かポメラDM200ユーザーであることをツイッターで見た気がする。

 

屍人荘の殺人 (創元推理文庫)

屍人荘の殺人 (創元推理文庫)

  • 作者:今村 昌弘
  • 発売日: 2019/09/11
  • メディア: 文庫
 

 

魔眼の匣の殺人

魔眼の匣の殺人

  • 作者:今村 昌弘
  • 発売日: 2019/02/20
  • メディア: 単行本
 

 

 プロも愛用する執筆ツールなのだ。ならば導入しよう、と。思い切りましたよ。『鬼嫁探偵』の次に書く予定の長編はポメラで制作するつもりです。

 

鬼嫁探偵 (呉工房)

鬼嫁探偵 (呉工房)

 

 

 次の長編も、来年の『セルパブ夏の100冊』に掲載してもらうために頑張ります。今年の『夏100』は7月に配布予定らしいので、そこからの化学変化が楽しみです。

 全くの新規のお客さん『鬼嫁探偵』読んでくれるかなぁ。もう街頭で一枚一枚手売りしながら歌う演歌歌手の精神で活動していきますよ。

 来年も表紙は波野發作さん、解説はじねんさんに再びお願いしたいなぁ。

 質、量ともに凌駕する作品となるでしょう。坂口安吾の『不連続殺人事件』あれを評した言葉に『ストリック』という言葉があります。ストーリーがトリックと融合している。

 この語句にやられました。この語句一点突破で自分なりの『不連続殺人事件』オマージュ作品、不謹慎な少年探偵モノを作ろうと思っています。

 ポメラを持ってスタバでドヤってくるつもりです!

 使用レビューはいずれまたここで。

大下宇陀児『情婦マリ』を読む

 本日はイチオシの個人レーベル、湖南探偵倶楽部さん発行の、大下宇陀児『情婦マリ』を読んだ。

 

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 私が若い頃は、世間では『新人類』などという言葉が流行り、世代間の相違がニュースで取り上げられたりもしたが、この作品のような戦中派と戦後の若者の思考の違いは、比べものにならないほど差があったことだろう。

 今回も有難く読んだ。コピー誌での復刊であるが、大下宇陀児の埋もれた作品群は、姫路という地方住まいでは簡単に読むことができない。

 甲賀三郎もそうだが、この大下宇陀児(おおしたうだる)も全作復刊せねばならない作家である。

日本の探偵小説黎明期を支えた江戸川乱歩甲賀三郎大下宇陀児の三人。正統派の乱歩、本格を標榜したゲーム小説の極北、甲賀三郎。後の社会派に繋がる人間観察、大下宇陀児

 現代では乱歩のみがリバイバルされ、どう見ても片手落ちだ。

『じゃあ復刻して現代の読者が何人付く? 誰が読むというのだ』

 という営業サイドの声も挙がるかも知れない。採算がとれないから、どこの出版社も復刻しないのだ。

 なので、微力ではあるが、甲賀三郎大下宇陀児の良さを広めていきたい。そう思っている。生きているうちに二人の完全全集が出る望みは、もうなさそうな気がする。

 さて、本作は戦後の若者の無軌道な生き方を軸にした犯罪譚である。謎解き小説ではなく意外性を狙った犯罪小説の括りになるだろう。

 こういうウェットな内容は甲賀三郎は絶対に書かない。だから三者三様、戦前の探偵作家は面白いのだが。

 日々、無軌道に遊んで暮らす若い男女。賭け事でスッた不良の男は、以前クビにされた薬局へ強盗しよう、と情婦のマリに持ちかける。

 マリは薬局の前で強盗に襲われた風を装い、長く独り身だった薬局の主人に、全裸で寄り添い助けを求める。

 親切心から家の中に匿う主人だったが、永らく女体に触れていなかった為、目がさえて眠れない。怖い、と部屋に入ってきたマリに、主人は一線を越えてしまう。

 家の中に潜り込んで、金のありかを探り、鍵を開け不良男に強盗の手引きをするための計画であったが、親切な主人は好きな物を買い与え、後妻に迎えても良い気持ちになってくる。

 そうなると当初の計画から気持ちは段々と主人に移っていくマリ。

 舞台が劇薬を扱う『薬局』が伏線になっているのだが。

 物語は学の無い奔放なマリの独白で終わるのだが、これもちょっと盛った感じの『そこまで愚かだろうか』と思わせるものだが、自暴自棄になって面倒くさくなって全てを投げ出す若い学のない女を描く、という点では成功しているといえるだろう。

 前回取り上げた甲賀三郎『女を捜せ』の白痴の木こりに対する目線のように、各作家の偏見の目を考えてみるのも面白い。そう考えれば乱歩には現代の目で見てもそれほど偏った偏見を感じることがなく、やはり理知的でバランスの取れた物の考え方をしていた人なんだなぁ、と書き終える間際に唸らされてみたり、と。

甲賀三郎『女を捜せ』を読む

 本日は甲賀三郎『女を捜せ』を読んだ。それはもう味わって読み尽くした。

 

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 じっくりと読んだので、思ったことを書き残しておこう。

第一章 釣り上げた髑髏 ときた。掴みはバッチリではないか。物語は男性二人が池の近くで雑草の間に身を隠しているシーンから始まる。

 嫌々ながらも好奇心に逆らえない尾竹、犯罪狩猟が趣味の橋口の二人。雑草の隙間から怪しい青年の行動を盗み見ている。必死になって池を釣り竿で掻き回しているのだ。

 この『盗み見る』という行為、懐かしの探偵趣味が読みながら沸き上がってくる。こういう興味で読者の気を惹いたのだ。

 橋口は探る気満々でのぞき見をしている。対して尾竹はそういう橋口を軽蔑しつつも嫌々ながら付き合っている。読者の気持ちを代弁し『不謹慎な』と思わせて優位に立たせて引っ張っていく手法である。

『尾竹君、郊外へ散歩でも行かないかい。付き合って呉れ給え』

 このように連れ出されたのだ。どうだ、この牧歌的な風景。こういう感じで物語は始められるのだ。

 橋口は『世の中に犯罪は充満している』対して尾竹は『そんな郊外に犯罪なんて起きるわけが無い』そんな言い合いをしながら、この池のほとりの雑草に身を隠しているのだ。そうして現れた青年の謎の池さらい。

 そうしているうちに青年は池の底から髑髏を釣り上げた。そこで草陰から『あっ』と声を出してしまった尾竹。気付いて逃げ出す青年。怒る橋口。

 ここで『ちょっと待て』のボタンを押さざるを得ない。

 令和の今、偶然に誘われて、嫌々ながら林に中に分け入り、盗み見したそのタイミングで、そこでは怪しい青年が池さらいをし、見ているその場で髑髏を釣り上げる。

 何億分の1の可能性であろうか。ここら辺の筋運びが、現代の目では『超ご都合主義』と言われても仕方の無い所以である。しかし私は愛する。三郎の豪快な筆捌きを愛する。

『この二人がこの時間にこの池に行ったから、この物語は始まったのだ』と剛胆に言い切る三郎の作話を愛する。これも日本探偵小説黎明期の一つの形ではないか。ここから進化、改良、反省が繰り返されたのだ。

 無茶を無効にする『味』がなによりあるではないか。膨大な作品群を埋もれさせる理由にはならない。

 そうして二人は逃げた青年の先で老人に出会う。そこで一悶着あり口論になる。どうも風貌から先ほどの青年の父親らしい。これも、このタイミングで夕方にこの場所で散歩をしていたのだ。まるでRPGNPC(ノンプレイヤーキャラクター)のようではないか。

 そうして章が変わる。タイトルに『白痴』とあるから、こういうところも現代では色々と復刻が難しいのだろう。この時代の人々は、平気で当たり前のように低脳とか白痴とか言う。

 私が子供の時に学校で『あばばば』と言いながら『インディアン嘘つかない』と遊んでいたのも、悪気があったわけではない。そういうもの、だったのだ。今ではネイティブアメリカンと言わないと、色々とまずいようだ。それと同じ理屈だろう。コンプライアンスの水準は時代で変わるものだ。

 物語はそこから町の茶店に入り、甲賀一流の聞き込みシーンを見せてくれる。店の女将に適当な相槌を打って、町の様子を詳しいような風を装いながら、先ほどの親子の話や、ここらへんの情勢を引き出す。ちょっと強引な展開だが、読者は『おぉー』と感心する場面であろう。

 そこで橋口はタイトルに連なる台詞をここで口にする。犯罪を探すのが趣味の橋口は、犯罪の影に女あり、の逆を行き、まず『女から捜す』というのだ。これもちょっと強引な論だが、橋口は得意げに演説をかます

 そうして情報を聞き出し、また先ほどの池に戻ると、今度は別の男が池の周りをうろついている。

 ここでも『ちょっと待て』のボタンを押さざるを得ない。

 これも何兆分の1の確立であろうか。天文学的数字の可能性である。茶店から出て池に戻ったら、別の怪しい男が池を見ているのだ。

 現代の書き手の人が見たら鼻で笑ってしまう展開なのではないか? しかし私は甲賀三郎の探偵小説を愛する。あくまで擁護派だ。

 これは物語では無い。甲賀の頭の中にある探偵劇を見せられている、とは捉えられないだろうか。新喜劇のように池の書き割りの前で演者が代わる代わるでてくるのだ。絶妙なタイミングで。そこには時間も空間もない。甲賀流探偵劇を座席で観覧しているのだ。そういう楽しみ方、純粋に『筋』を見てくれ、と。その他のリアリティなどどうでもいい。人間が書けていない? それがどうした。この力強さ。一種の相当偏った作話を我々は味わうのだ。

 その白痴の木こりは池に斧を落とした。というのだ。パズルのパーツのように二人の目の前でばらまかれていく。

 そうして謎の女にハニートラップを仕掛けられたり、といろいろとあって、物語は謎の池の水をポンプで全部抜く。というシーンになる。ここでお気付きの方もいるだろう。人気番組で『池の水全部抜く』というのがあるではないか。

 昭和の初めの作家である。着眼点が素晴らしい。興味は切れ目無く持続する。一種の探偵趣味ではないか。

『変格の作家達が描く変態趣味ばかりが探偵趣味ではない。町の池の水を全部抜いてみる。曰わく付きの謎の池の水を抜けば何が出てくるのか、そういうものでも知的好奇心を刺激できるのだ』

 という甲賀三郎の高らかな宣言を聞いているようではないか。

 池からは二体の骸骨が出てきた。

 ここからは何本もの人々の物語が交錯し、最後一本に力業で纏める甲賀流の探偵小説が味わえる。

 正統派の乱歩、このように頭の中の探偵劇を寸劇のように魅せる三郎、パズルよりも人間のウェットな部分を描いてみせた宇陀児。芳醇な戦前の探偵小説群。埋もれさせるには余りにも惜しい宝である。

『新青年』趣味 甲賀三郎特集

新青年』研究会が発行している『新青年』趣味。待ちに待った甲賀三郎が遂に特集された。

 

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 先に出た大下宇陀児特集も未だに読み返す愛蔵本であるが、この本も長く楽しめそうな一冊になりそうである。

 皆さんも、ぜひ売り切れる前にお買い求め頂きたい。

 

 

 さて、この甲賀三郎、戦前はたいへんな人気作家だった。膨大な数の作品を残したのだが、終戦辺りで亡くなってしまう。

 そうして今はどうだ。同時代に活躍した江戸川乱歩横溝正史に比べ(※戦前は横溝を凌ぐ仕事量だったはずだ)現代では完全に埋もれてしまっている。乱歩、正史が何度も蘇るのとは逆に。

 古くさい、描写された時代、風俗が風化して読むに堪えない、国策小説など今では読む価値も無い。

 果たしてそうだろうか?  昭和初期のロマン、歴史的価値も現代の読者に対して充分にアピールできる作品群。

 戦後、全集はおろか、ろくに纏まった選集すら出ていない状況は疑問に感じる。陰謀論を考えたくもなる。乱歩史観にそぐわないからか?

『血液型殺人事件』『体温計殺人事件』『緑色の犯罪』『乳のない女』『虞美人の涙』『妖光殺人事件』

 どうです? この堂々とした稚気溢れるタイトル。なぜ業績が纏められないのか意味が分からない。

 この特集号が偉大な作家の復活の契機になることを願うばかりである。