呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

戯作・私小説

「金平先生、それでは原稿、お預かりします」

 若い編集者は老齢の漫画家から原稿を受け取ると軽く頭を下げた。

「年々パソコンが新しくなってね、デジタル化に移行したんだけど知識が追いつかなくなって。聞けばアナログ原稿は僕だけらしいね。悪いね」

「いえいえ、今の時代、それも珍しくて『売り』になっていますよ」

 

コレハラ? (ヤングキングコミックス)

コレハラ? (ヤングキングコミックス)

 

 

「あっ、そうそう、周囲から『ボケたんじゃないか?』って言われるんだけど、君たちなら知ってるよね? 僕が表紙をデザインした物書きの呉エイジのことを」

 

 

我が妻との闘争2018〜昼下がりの冤罪編〜 (呉工房)
 

 

呉エイジ? さぁー? 存じ上げませんが」

「ホント? 知らないの?『我が妻との闘争』という作品で電子と紙の書籍も出ていたんだけど」

「いや、勉強不足で、すいません先生」

「誰に聞いても知らない、って言われてね。そんなはずはないんだけど。じゃあ原稿よろしく」

 老齢の漫画家、金平は、膝を庇いながら椅子から立ち上がると、重い足取りで編集部を後にした。

「金平先生、顔色悪いね」

 同僚の編集者が金平の担当編集者に声をかける。

「そりゃ90歳で現役の漫画家だもんな。それもアナログ原稿」

「身寄りはあるの? あの先生」

「独り者らしいよ。てか病気してるんじゃない? 調子悪そうだったけど」

 心配そうな顔つきで、金平が出て行ったドアを見つめる編集者二人。

 金平はゆっくりと歩いていた。健康のためにアパートから編集部のビルまでの道のり、3キロを歩いていくことに決めていた。

 歩きながら編集部で言われた言葉が引っかかった。呉エイジを知らない。誰に聞いても知らない、という。中には『ボケて作中の人物が現実にいる、と思い込んでるんじゃないですか?』とまで言われてしまった。

「そんなはずはない。奴とは幼馴染だ」

 金平は懐からスマホを出すと、旧友の名前をタップした。

「あけましておめでとう。塩屋氏」

「おめでとう金平氏、どうした? 急に」

「塩屋氏は最近、呉エイジと連絡取ってる?」

「誰? それ」

 金平のスマホを持つ手が凍りつく

「誰? って高校の時の同人じゃないか。同人誌も作ったし一緒に遊びにも行ったろ?」

「沢山同人いたからなぁ。ちょっと思い出せないなぁ」

 金平は呆然としたまま道路で立ち尽くしてしまった。『本当にボケてしまったのだろうか』自分の記憶力に自信がなくなってきた。

 道の先には公園の入り口があった。休憩して頭を冷やそう。金平は小さな公園に入り、ベンチに腰を下ろした。

 座ると何度も咳き込んだ。痰が絡まっているのか、気道で変な音がする。

 激しい咳で涙目になり、前を向くと光の中から一人の少年が歩いてくる姿が目に入った。

「お、お前は呉」

「久しぶりだな」

「な、な、なんで初めて会った小学6年生の時の姿なんだ? 呉エイジの孫か? 俺は夢を見ているのか?」

「俺はこの世に来て小学3年の時から漫画を書いていたんだ」

 

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「教室でいつも漫画を描いている子供だったんだ。最初はクラスの子どもたちも珍しがって、一緒になって騒ぐのだが、そのうち私の真剣な締め切りの催促、8時だよ全員集合!の話題よりも、4コマ漫画のオチの話に段々と『気味の悪いもの』を見るような目で見られだしてね。学年が終わる頃にはいつも一人さ」

「……。」

 

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「こっちでもずっと思い続けていたことなんだ。この人たちと私とは、何かが決定的に違う、ってね。そのうちに変格探偵小説を読み出して、その影響で『奇妙な味、奇妙な味』と呟く気味の悪い中学生になって、書くものもドきつく奇妙なものを描くようになって」

 

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「初めて君と会ったのは、小学6年の時の漫画クラブだったね。君は僕にこう言ったね。『小学生でペン入れしてるの? すごいね』って」

「あれは驚いた。カブラペンで描いてたよな、お前。ていうか、説明してくれよ。なんでお前は小学生の姿なんだ?」

「そうして俺が同人誌を作ろう、と言えば、君は真剣になって付き合ってくれたな。俺より描いたくらいだった。そんなことは今までになかった」

 

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「この街(下界)に越してきて、君が心を開けるただ一人の友人だった。君の親切が本当に身に染みたよ」

「お、お、お前、その両手の丸い穴はどうしたんだ? い、痛くないのか? 大丈夫か?」

「見えるのか? これは『愛の傷』なのだ」

 金平は太陽を後ろに、眩しくて直視できない少年呉エイジの姿を見ながら、理由もわからず嗚咽とともに滝のように溢れ出す涙を止めることができなかった。

「今度は僕が君の親切に報いる番だ。さぁ、一緒に行こう。パラダイス(天国)へ」

 翌朝、公園の植え込みで老齢の漫画家が自然死している姿が発見された。冬だというのに漫画家の身体の周りには、白い花が咲き乱れていたという。