コツコツと集中力のない私が、朝から単行本の編集作業を頑張って続けております。
嫁さんは昼から主婦仲間五人と、姫路の駅前の屋台へ飲みに出かけて行きました。
集中できるのでどうぞどうぞ行ってらっしゃい、てなとこです。
後は「あとがき」と「変換作業」を残すだけとなりました。
昨年に出した「我が妻との闘争2017〜名古屋夫婦二人旅編〜」内で「毎年絵葉書感覚で近況を報告できたら」と自分で言っておいて、年明け、冬が終わり、花見に行けず、狂ったような暑さが続き、気が付けば9月になっていました。
「アカンがな。このままじゃ今年終わってまう」
私は焦りました。そこからエンジンの回転数を上げて作業に取りかかりました。
前作は本当に皆様に可愛がっていただきました。自分で言うのも何ですが「ロングセラー」です。たまに売れ行きグラフを覗きに行ってびっくりします。
その前作を前にして、もう一人の私が「前作を超えられるだろうか……」「皆さんの支持を得られるだろうか」とビビり始めます。
「じゃあ出すのやめる? ここまで作っておいて」
もう一人の私が怒ります。いやいや、出します。これからも「呉エイジ」として頑張って行きたいので、出します。
発売予定の9月4日。呉(9)エイジ(4)の日、であり、嫁さんとの生活で苦(9)し(4)む、から発売日は9月4日にせい、という相棒、金平からの美味しいアドバイスを受け、最後のひと頑張りです。
それではまた!
※
さて、今回は「戯曲 隼登場(一幕二場)」を読み終えた。
戯曲仕立ての探偵劇。いや、探偵劇と言っても良いものかどうか。
色々と物議を醸した一本である。小説の体裁ではなく、場面を描写した説明の後、脚本のように会話で進行するからだ。
筋は鉄道大臣が田舎へ視察へ訪れ、熊を献上したい、と大臣に取り入り、それを仕留めた猟師が一人反対し、一悶着起こす。という内容。
カラクリはどちらもグルで、貧しい田舎で飯代もかさむ熊を、体良く大臣に押し付けよう、という腹。
この作の発表された後、西田政治が苦言を呈している。
手を替え品を替え、というか「表現する」ということに対して、久山秀子は相当にオープンな感覚の持ち主であったようだ。
それが現在に続くミステリの「形式の破壊」や「実験精神」にも繋がる、探偵小説の「別の一面」を背負っていることは間違いない。
だが、真面目に創作を発表する作家には、と言っても真面目とは何か、形式に沿う作品作りを皆がしなければいけないのか? という考えは一旦横に置き、探偵小説雑誌に、戯曲形式で、最後は主人公が歌舞伎役者のような見栄を切って幕が下りる。こういうお巫山戯は如何なものか?
という声が上がっても然るべき、とは思うのだ。
久山秀子のスタンスは「謎」「解決」この式に対して自分の色を塗る(芸事色が強いが)のようだ。
次回はこの作の批判に対しての反論なので、内容的には続く。
1926年12月「探偵趣味」