呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

平林初之輔「評論」を読む。その1

 自分はポジティブか? と聞かれたらポジティブな方だとは思うのだが「鉄の意志」を持つ人、というのは世の中にいるものだな、と思える昔話がある。

 結婚前、友人と四国へドライブしに行った時のこと、その友人がノリで「泡の店に行きたい」と言い出したのだ。

 私はいい格好をするわけではないが、そういうことにお金を使うのならば、本を買いたい人種なので、乗り気ではなかったのだが、せっかくの男二人旅、水をさすのも野暮な話だ。

 結果「いいな!」みたいに乗っかって、初めて入ってみることになった。

 諭吉が何枚飛んだであろうか。でもまぁこれも社会経験だ、と諦め、どんなかわい子ちゃんであろうか。芸能人みたいな子であった場合、持続できるであろうか?

 と期待に股間を膨らませながら、案内のおばちゃんの後に続いて、薄暗く狭い廊下を個室まで歩いた。

 するとその案内のおばちゃんは、私より先に部屋に入ると、そのままワンピースを脱いで、みるみるうちに背中ヌードになった。

「オイオイオイ、何しとんねん!」

 がその時の正直な感想である。案内のおばちゃんだと思っていたのに、それが諭吉何枚分のサービスの相手だとは思いもよらなかったのである。

 アイドルのような女の子が出てくるのではないか、という甘い幻想は完全に打ち砕かれてしまった。

 今思えば詐欺もいいところである。成人まもない男二人旅、足元をみて待機している予備人員を当て込んだのであろう。

 肋骨が浮き出て、容姿も酷かった。昔のテレビCM「ねるねるねるね」をこねくり回す老婆の魔女のような感じであった。

 私のせがれが反応するはずもない。両手ブラリ戦法も真っ青なブラリ加減である。

「隣の個室の友人はどうなっているのだろうか?」

 後で聞いたら「ロングヘアーの小錦」が相手だったそうだ。なんとか事には及んだらしい。強者である。

 考え事をしている私に老婆が話しかける。

「兄ちゃん、長旅で疲れたんか?」

 なんというポジティブさ。

 アンタのせいだ。

 虚しく飛んで行った諭吉。二度と帰ってこない諭吉。私は涙が出そうであった。

「風邪でもひいてるんか?」

 いいや、アンタのせいだ。

 どのようなことをされても私のキングコブラは死んだままであった。鎌首を持ち上げてもクニャっとなって弛緩しきっていた。

「違う土地に来たら緊張するもんよ。兄ちゃんまぁ気にせんとき」

 それが別れ際の最後の言葉であった。

 あれほどポジティブな人に、その後、私は会ったことがない。

 ※

 さて、収録分の小説、翻訳を全て通しで読み終えた。なかなか良い体験ができたと、満足している。

 続いて評論を通して読んでいきたい。が、評論の感想、と言うのも変なので、気になったポイントを備忘録的に書き残していこうと思う。

 なんと評論関係だけでも本の半分を占めている。結構な分量だ。

まずは有名な「私の要求する探偵小説」に目を通す。1924年の8月「新青年」。江戸川乱歩でいうと「二廃人」と「双生児」の間の発表になる。

 この論では平林の探偵小説の好みが書かれている。

1.荒唐無稽な事件ではないこと。

2.直感や電光石火の判断ではなく探偵の方法が科学的であること。

3.舞台は都市が良い。地理的関係が理解しやすい場所が良い。

4.犯罪者と探偵は互角の力量が良い。

5.常識的でないことが必要(これは一寸理解できなかった。エンターテインメント的に一般人より並外れた探偵の思考力を描く、ということだろうか)

6.時事問題や国際問題を扱う際の注意(教訓めいたことにならず普遍的なパズルに徹せよ、ということだろう)。

 最後に日本の探偵小説の発展の遅れについて、大多数が未だ非科学的であること。開放的な日本家屋が探偵小説の舞台に不向きであることを指摘している。

 当時としては重要な指摘が行われているといえよう。

 あぁ、評論を読むのは小説を読むのと違って、考えながら読み進めるので、脳みそがすぐオーバーヒートしてしまう。

 今宵はここまで。

平林初之輔探偵小説選〈2〉 (論創ミステリ叢書)

平林初之輔探偵小説選〈2〉 (論創ミステリ叢書)