呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

近松秋江『黒髪』三部作・雑誌初出版『霜凍る宵』

 

 読後、興奮冷めやらず、の状態に未だある。この歳になると、すれっからしの頭では大抵の読書では驚くこともないが、この本、とんでもない読書体験であった。

 純文学ファン、私小説ファン、そして探偵小説ファンにもお勧めする一冊である。あるうちに入手しておくのが精神衛生上よろしいかと思う。

 黒髪シリーズと呼ばれているこの作品集。巻頭に谷崎潤一郎の序文『黒髪』『狂乱』『霜凍る宵』『霜凍る宵 続編』そして巻末に宇野浩二近松秋江論が収録されている。

 私小説作家の作品だけあって、この作、ほぼ実体験を元にした小説だと言われている。主人公の男は作家(本文中でははっきりとした明記はなかったが)。そして恋焦がれる女は京都で芸奴をしている。

 男はおおよそ五年、金を貢ぎ続けている。借金を完済して、商売から足を洗わせ、身請けしたいがためだ。

 男は愚直に、ひたすら実直に、金を送り続けているが、相手の気持ちも身の振り方も、今一つはっきりせず、悶々としている。ただあるのは『これほど好きで、身を切る思いで送金しているのだから、この気持ちが伝わらぬはずがない』という信念だけである。

 このあらすじを読んでどう思うだろうか。あまりのドン・キホーテぶりに逆にユーモラスに映る、といった評もあるが、悲壮を通り越して滑稽に映る、ということはよくある。しかしそれは読み手が上からの目線に立った場合である。精神的優位の場合は

「バカだなぁ、そんな相手に金を送り続けて、確実に約束が守られると思ってるの? お金だって何に使われているか分かったものじゃない」

 と、幾分余裕をかまして、そのような感想も持つかもしれない。しかし自分が恋愛の、それも熱烈な恋愛中の、相手の気持ちが分からない、常に不安な状態で判断も何もあったものじゃない状況を思い返して欲しい。その渦中にあらば、この主人公のことを笑い飛ばすことなど決してできぬであろう。

 当時の作家の収入がどれほどあったのか。読みながら何度も東京から京都へ行き来し、その度に旅館をとって、飲み食いする描写に、男の懐具合も心配になってくるのだ。

 プラトニックラブ、といった綺麗なものではない。普通の感覚なら、一年以上会わないのに、東京から送金だけし続けて、その進捗が気になって京都に乗り込んでみれば、芸奴から『ここでは会えまへん』旅館の場所を変えれば『今はまだ言えまへん』など、さっぱり要領を得ない返事ばかりを喰らえば『もしかして私のこれまで貢いだ金は、無駄になっているのではないか』と、頭をよぎっても良さそうなものであるが、男はそんなことを考えたくもない。ゴールは女を自分のものとすること、なのだから、不安材料は片っ端からブルドーザーのように脳内から除外していく。

 周りも悪い。勤め先の女将、や、芸奴の母親など。男がしつこく付き纏うと『病気でもうここにはおりまへん』『精神に異常を来して叔父に連れて行かれました』など、男に対して全て適当にはぐらかす。

 普通の感覚なら『彼女が好きなのです。長年送金してきました。一目でもいい、会わせてください』となった段で『あー、もう娘はもう病気でここにはおりまへん、おりまへん』となったら『嗚呼、金は無駄になったかもな。詐欺だったのだ』と察するだろう。

 しかし男は近松秋江である(笑)。病気と聞けば心底心配し、どうしても見舞いに行きたい、と詰め寄って、母親や女将を困惑させるのだ。何故、引かない、と逆にビビるのだ。

 男は誰一人『あんさんのやってきたことは無駄だったんどすえ』と言ってこないから、恋は終わるはずがないし、終われないのである。

 さすがクソ騒がしいガキに向かって『元気よろしいお子さんどすな』と吐き捨てる京都人である。

 そんな遠回しの嫌味など、近松秋江に通じるわけがないし、察するわけがない。叔父の家はどこですか? と聞き、歩きで漠然と住所も知らず夜まで彷徨い歩くのである。嘘なので、当然居ないし、村人もそんな女性知らない、と言われてしまうのだが。

 この作品群には有名な、女がいる、と当たりをつけた長屋に、母親が来客を見送るために出ていった一瞬の隙を見て、不法侵入し、女と再会する有名なシーンもある。

 これは単純に犯罪、では括れない話だ。男は身請けするだけの大金を貢ぎ続けているのである。周りは『往生際の悪い。見苦しい真似はよして察しろよ』と思うだけで口にしない。男としては

『いつ一緒になれるのだ!』

 という想いしかないのである。失恋をした後、普通の人間なら、あれこれ妄想してゆっくり忘れていく行動をとるだろう。この作品は、失恋しても謎の馬力で接触し続ける悪夢のような展開なのだ。

 そして驚愕したのが最終章ともいうべき『霜凍る宵 続編』だ。この作品だけ毛色が違っている。

 ここまでの道のりを芸奴の同僚と、勤め先の女将からの証言を、男が聞く、という体裁をとった作品なのだが、この作品を読んで私は目を見開いた。

「この感覚、完全に探偵小説の解決編ではないか」

 と。私は重厚な探偵小説の解決編を読んでいるときと、同じ感覚に陥ったのである。ここまで起こった出来事の、裏側を別の人間の視点で語る、真相というべきものだ。

 私は驚嘆した。これは変格長編探偵小説の到達点ではないのか。

 理知文学である探偵小説は解明される。しかし本作は芸奴本人不在で真相が語られる。完全ではなく不透明である。恐らくそうだったのではないか、という答え合わせだ。

 しかし本作には未収録だが、この一連の事件の後日談ともいうべき短編があるそうだ。全集を購入し、確認せねばならないが、その作品では結局、芸奴はその後発狂し、狂女となって隠匿してしまったらしい。

 殺人を恋に置き換えれば、謎から解明の手順を踏む探偵小説の様式、それも変格としての完璧な体裁を、大正十一年、およそ百年前に成し遂げていたのだ。

 純文学ファン、探偵小説ファンの両方から怒られるかもしれないが、暴言を敢えて承知で言わせてもらえれば、長年探し続けていた木々高太郎の探偵小説芸術論、本作はその見事な完成形である。

 文学史でも異彩を放つ本作、きっと貴方にも強烈な読書体験となることだろう。愚かだなぁ、と簡単に笑って済ませるだけの作品では決してない。

 本作を読書中、常にDMで意見を交換し、多くの有益な示唆を与えてくださった、巻末解説を担当された杉山淳さんに心から感謝いたします。

杉山淳『怪奇探偵小説家 西村賢太』を読む

 

 初版は瞬殺となり、オークションサイトで数万円まで跳ね上がった個人誌を、どうにかこうにか入手することができた。

 芥川賞作家である私小説作家、西村賢太を怪奇探偵小説(変格探偵小説を含む)からの観点で捉える、という試みで、あっという間に本書が売り切れたのは、西村賢太そのものの人気もあるだろうが、西村賢太がエッセイで言及する、マイナーな探偵小説作家、若い頃に読み漁ったその辺りの蓄積が、実作に反映しているのではないか、という考察が正しいことの証明であろう。

 検証するには、なかなか書店で手にすることの出来ない大河内常平や倉田啓明ではあるが、そもそもの日本の探偵小説の発生に、江戸川乱歩のポーからの影響、というものは、勿論筆名を見ただけで一目瞭然であるが、それはスタイル、形式や様式の衝撃であって、その新形式の文学を我が国に移植する場合、母国語に変換する必要がある。

 ここで、専業探偵小説家である江戸川乱歩は、日本語で語る際、何をよりしろにしたか。この辺りは横溝正史の随筆でも有名な、乱歩の初期短編を読んだ横溝が『宇野浩二が変名で書いたのかと思った』という感想からも伺えるように、当時の日本文学シーンからの影響、それも破滅型、歪な心理を曝け出す私小説のスタイルに依る所が大きいのではないか、という考察である。

 これは正しい。しかし、この方面での深い考察や指摘は、これまであまりなされていなかった印象がある。娯楽作品と文学作品の分断である。

 そこに目をつけ、問題を提起し喚起した本書の功績は大きい。

 私小説の中でも情痴文学というものがある。男側の一方的な、それは非常識とも言える女性に対しての常軌を逸する行動。現代の言葉で言えばストーカー。

 そういう歪な心理の活写は、間違いなく変格探偵小説の重要な要素であろう。本書を読むことで作品と系統を知り、これまでに縁のなかった文学作品を読み始めた。田山花袋の『蒲団』は作家の元へ弟子入りしてきた若い女性に、妻子ある作家が恋心を抱いてしまう、というもの。これも世間一般の常識な倫理に照らし合わせれば、思っても人に言うべきことではなく、隠したり、そのような想いを人として正さねばならぬことであろう。

 それを包み隠さず描写したところに、この作品が今も延命している作品自体の力があるように思う。

 近松秋江の作品では、別れた妻が、浮気相手とどこに泊まったか、宿帳を丹念に捜索する、という偏向した心理が描かれる。そこには、如何ともし難い人間の偽りのない業が掘り込まれている。

 同時代作家の娯楽作品が、現代では全く読まれずとも、田山花袋の『蒲団』は未だに版を重ねる。

 江戸川乱歩の『人間椅子』が、椅子の中に人間が忍び込み、そこに座った女性と密着する、という願望の成就、という私小説的な心理をミスリードに使う理知文学の案出。

 本書は私小説と変格探偵小説との様々な繋がりを夢想させる格好の一冊である。

 今後、本書が受賞し、増補版が出る暁には、是非とも本書では敢えて明言を避けている、西村賢太作品の最も怪奇変格探偵小説に接近した具体的な作品名を明記して頂きたいものだ。

 現時点ではそれは本書を読んだ読者の作業となっている。とはいえその解決の仕方も、いかにも変格探偵小説的ではないか。

池田得太郎異端小説集を読む

 

 探偵小説ではないのだが、変格探偵小説好きの嗅覚がムズムズと動き、ネットでポチってしまった同人誌である。結果は正解であった。

 

booth.pm

 

 三島由紀夫に絶賛され、倉阪鬼一郎には『戦慄のカルト作家』と紹介され、平野謙には難色を示され(笑)、まぁこれは時代に埋もれて、長く入手困難な作品になるわな、と納得できる小説であった。

 この『家畜小屋』という作品、芥川賞候補になり、受賞は逃している。しかしよくもまぁ候補まで行ったものだ。一言で形容するなら『相当ひどい小説』である。

 今のコンプライアンスに照らし合わせれば、ちょっと題材だけでもヤバいのだが、豚の屠殺業が主人公のお話である。

 そして年齢から腕が落ち、一発で豚を仕留められなくなった主人公が、若者にその座を奪われ、花形から豚の糞始末係に降格され、給料も減る。

 ここまでの一連の舞台が、精密な描写で語られる。ネチョネチョのぐちょぐちょだ。足元の糞、血に染まる川、その川下に住む主人公、絶えず臭う血、隙間風吹きまくる自宅の薄いトタン壁。過酷な環境で働くプロレタリア文学、という側面で考えれば芥川賞の候補にまでいったのも頷けるが、なんせ夢も希望もない。

 太った妻が給料も減り、絶えない夫婦喧嘩の果てから、夫から言われた一言に逆上し、そのまま飼育している豚小屋に住み始め、言葉を発さず(発狂した?)ワラの上で糞をして、餌皿に顔を突っ込んで四つん這いで食事をするまでになってしまった、というのが話の核である。

 主人公は飼育していた豚と、かつて妻だった豚もどきの飼育に追われる。

 そして訪ねてきた同僚に家畜部屋を見られ『雌豚を譲ってくれねぇか、言い値を出そう』と持ちかけられる。

 散々悩んで血に染まる川を横に、川上の職場に歩いていく主人公は、妻を売るのか、どうするのか、そんな幻想譚である。

 いやぁ、参ったね。なかなかこんな小説はないね。全部で四作収録。残りもこんな調子なのだろうか。この復刊事業の先に、再びスポットが当たるとは思えない。ヘンテコ小説が好きな方は、あるうちに押さえておいた方が良いだろう。

浜尾四郎『死者の権利』を読む

 2023年になりました。今年一発目の本ブログ、更新であります。2022年は娘の結婚、長男ちゃんが彼女と同棲を始め引っ越しなど、プライベートで色々と変化がありまして、このブログも開店休業中だったのですが、今年もマイペースでポツポツと活動を続けて参りますよ。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 さて、新年第一発目は、どんな話題でいこう。炬燵から出て二階の本棚に行くのが寒い。というわけで、キンドルの無料本、浜尾四郎の『死者の権利』を読みましたよ。

 なんで浜尾四郎か、と申しますと、これもまだ全然未定なのに口に出して自分を追い込んでおく私の得意の戦法なのですが(笑)浜尾四郎のレビュー本を同人誌印刷して出したいな、という願望があるのです。死ぬまでにやりたいことの一つです。

 その為には浜尾四郎を全作読んでおかねばなりませぬ。

 法律への深い懐疑を抱き続けた探偵小説のマイナーポエット、浜尾四郎。その魅力が盛り込まれ、更に向上した探偵小説スキルも垣間見える好編でした。

 初出は〈週刊朝日〉秋季特別号 昭和四年九月二十日号となっております。

 

 まずタイトルが良いですよね。死人に口なし。もし冤罪だったら、もし不当な屈辱を受け、墓に入った後も辱めを受け続けるのならば。死者の権利を法律は考えたことがあるのか。

 という作者の喘ぐような心の声が聞こえてきますよね。ましてや時代は戦前の昭和。今のように街角に防犯カメラが設置されていたりDNA鑑定できる時代とは天地の差です。被害者と加害者、法廷では加害者の陳述と状況証拠で判決を下すのですから、もしも自分の判断が間違っていたら、という苦悩を、法に仕える者は絶えず抱き続けていたことでしょう。

 オープニングはいかにも探偵小説【らしい】談話のシーン。実際の事件は探偵小説家の方にとっては余り面白くありませんよ。逆に探偵小説家に興味の薄い事件は、我々法律家の方が興味を惹く場合が結構あります。というやりとりで幕を開ける。

 かつての東京地方裁判所検事で、今は弁護士の土田八郎(地味なネーミングセンス)氏と作者のやりとりである。

 そうして『この話は多少参考になるかも、後はあなたの書き方次第で』という実際の事件のテイでスタートします。

 事件の概要は須山春一という実業家の息子、いわゆるボンボンの道楽息子と、カフェーの女給、小夜子。痴情のもつれから小夜子が死んでしまい、これが殺人なのか、正当防衛なのか、というのが話の根幹。

 ここからはネタバレを含みますので、未読の方はご注意を。

 さて、ボンボンの道楽息子と、まだ世間を知らないうら若き乙女、十九歳だった小夜子。小夜子は妊娠していました。この春一の子供です。

 当時はDNA鑑定もなかったですから、こういう事件は難儀だったことでしょう。

 春一に良い条件の見合い話が来たので、小夜子と別れたくなり、手切金で済まそうと思っていたのだが、小夜子は受け入れるはずもありません。

 法廷で自分の主張を述べる春一。はて、相手はカフェーの女給だから、誰の子供か知れたものではない。酒もタバコもやる女です。どのような素性の女か察していただけることでしょう。兄はヤクザ者のような男で、そいつが裏から手をひき、ゆすろうとしているのではないか? などと好き放題、自分の都合の良いように証言します。

 ここでは死人に口なし。二人は話をつけるために今でいうラブホに落ち着いて、春一は酒を小夜子は炭酸水を注文します。

 当時の宿がどのような作りであったか、イメージしにくいのですが、宿の従業員である老婆が、二人が大声を出すのを聞いています。そして隙間から小夜子が酒の瓶を振り上げるシーンを目撃して証言します。

 そこで春一は正当防衛とばかりに小夜子を突き飛ばし、鋼鉄製のストーブに頭を打ち付け、それが原因で亡くなってしまいます。

 そこで春一は素直にお縄につくのですが、法廷で殺すのなら人目のつかない雑木林で始末する。なんでこのような衆人環境の真ん中で殺人を犯すのか、考えてほしい、と証言。

 実刑数年、執行猶予有りの判決です。

 これを隠れて傍聴している一人の男。怒りに燃える男はお察しの通り、小夜子の兄です。

 春一のひどいこと。勝手な印象操作、カフェーの女給に対する侮蔑。何通も送られてきた感情の昂った小夜子の手紙を脅迫、として提出。

 会見したのも莫大な額を請求してきたから、と言います。

 そこで土田氏は事件を振り返って言うんですね『金の請求は春一が述べているだけで、手紙に金銭的なことは一切書かれていない』と。読みながら私は『ホンマや!』と声を出してしまいました。

 言葉巧みに状況と照らし合わせ、そういう時には金の話だろう、と聞くものに思い込ませ、ゆすりのように私も思わされていたのです。

 しかし懸命な読み手なら、薄々と小夜子はそんなふしだらな女ではない、ということを察していることでしょう。

 何通も送られた激情の手紙は、恋を知らず、生まれてくる子供の養育の不安、捨てられ今後一人で育てていく恐怖が起こしたものである。という裏を返した事実を推測することでしょう。

 泥を塗られた名誉、純真を踏み躙られ、世間には金の亡者、淫売といった印象を死者になすりつける判決。隠れて怒り狂う兄。

 ある話ではないでしょうか。まさに死人に口なしです。

 復讐に燃える兄は計画を立てます。春一を殺すために、そして法の目をすり抜けて殺人罪にならぬように、業務上過失致死で地獄に叩き落とそうと画策します。最大で禁錮3年の罪です。

 兄は免許を偽造し、タクシーの運転手に偽名で潜り込みます。ここが探偵小説の弱いリアリティな所で、ご都合主義と言われてしまうところなのです。頭の弱い兄がそんな繊細な作業ができるのか、というところなのですが、これも事件を回想して会話するメタ的なシーンを挟む浜尾四郎なら『そんな頭の弱い兄がそこまで巧妙な工作をしたのですから、怒りの度合いがわかるというものですね』的な記述をすれば良かったのではないか、と思いますね。

 そして芸者遊びの為にタクシーを呼んだ春一、電話を取る兄、この辺のご都合主義も目を瞑りましょう。戦前の探偵小説には、もっとひどいご都合主義が山ほどある(笑)。

 タクシーの利用も戦前、そんなに多くなかったでしょうから、目を瞑れる範囲です。

 兄は旅館の従業員に飲酒する姿を見せつけます。後に運転は大丈夫なのだろうか、と印象付けに成功しています。昔は飲酒運転などガバガバでした。

 私も若い頃、飲み会の帰り、グデングデンに頭を回しながら運転して帰ったものでした。恐ろしい話です。

 そしてタクシーの二人は運転を誤り、山中のガードレールを突き破って川に落下した。春一の死体は確認され、運転手の衣類は見つかったが、遺体は発見されておらず。

 という結末を迎えます。復讐はなされました。

 この顛末が土田氏に届いた兄からの手紙で解明するんですね、事件の真相、というものはこの手紙も嘘の供述ではないか、という疑いを残しつつも、真実を担保するツールとしては、当時これしかなかったのではないか、と思いますね。

 復讐に燃える、嘘偽りのない兄の手記。

 しかしここで浜尾四郎は、向上した探偵小説スキルを見せつけてくれます。もう一捻りしてくれます。

 車から飛び降りて、酒に酔った後部座席の春一の地獄行きを見送った兄。しかし春一には遺書が自宅に残されていたというんですね。それを同僚の検事から聞きます。

 芸者遊びも今生の別、のどんちゃん騒ぎだったわけです。その姿を『金さえあれば女性の純情など容易く手に入ると思っている鬼畜』と思っていた兄も、裏側の見方をしていたということになりますね。この辺の筆運びや、思い込みに対する気付きが浜尾四郎的です。

 その動機は、祖父が体の崩れていく病気(梅毒的なもの?)で、自分にも兆候が出てきたから、というもの。

 ここも私としては、小夜子を死に至らしめたことを後悔しての自殺の方が皮肉が効いて、物語的になるのではないか? と読みながら思ったのですが、現実的な浜尾四郎はそこでも視線はウエットになりません。

 やはりこういう人間は最後まで自己中心的な人種、という冷たい分析や実例の目撃があるのでしょう。

 せっかく殺した兄の気持ちは? 落ちていくときには旅館で飲み干した粉末が効いてきた頃ではなかったか、毒が先か、激突が先か、みたいな状況を同僚の検事から土田氏は聞きます。

 ひねりました浜尾四郎。現実的探偵小説で捻りを効かせた探偵小説を構築した独自の作風。常に法は正しいのか? 法は正義に味方するのだろうか? という懐疑が、常に人生につきまとっていたのでしょう。

コミカライズ版『新・我が妻との闘争』第二巻発売記念

 相棒金平の手によるコミカライズ版『新・我が妻との闘争』第二巻の作業が大詰めを迎えている。コミックスの時に選考から漏れた初期エピソード、その復活である。

 単行本には『クレーム』『娘よ』『ドキドキプレゼンテーション』の三本が掲載される。販促企画として後書きの先行プレビューを掲載し、盛り上げていこうと思っている。

 

 第一回目『クレーム』はこちらから。第三回目『ドキドキプレゼンテーション』はこちらからどうぞ。

 

 

 この作品は1999年11月の後半に掲載された。マックOSが9になる直前で、デジカメはまだ200万画素、定価11万円! フロッピーの容量を超えたジップドライブが出た頃であった。

 では先行あとがき、どうぞ。

 

娘よ

 

 続いては『娘よ』連載は八回目で、マックピープル1999年11月号の後半に掲載された。

 この頃のマックピープルは月に二回刊行で、二週間に一回、締め切りがやってきた。

 今思い出しても恐ろしいスケジュールである。よく乗り越えられたものだ。

 うなされる夜もあった。喧嘩のネタが無いときは平和な証拠であり、喜ばしいことなのだが、それでは連載を落としてしまう。ネタが出来れば締め切りのプレッシャーからは解放されるが、実生活が息苦しい状態となる。

 どっちに転んでもアカンやん!

 さぁ、掲載誌を読んでみよう。この頃はマックOSが9になる前夜であった。

 新製品の紹介欄では、フィルムからデジタルに置き換わる過渡期で、たった200万画素のデジカメが11万円もしていた。

 今はスマホで4k動画が無料で撮影でき、若い女の子が尻を振りながらティックトックに動画をアップし、インフルエンサーとなってガバガバ収益化できるのだから、技術革新とは凄まじく生活を変化させる。

 そうして本編の『娘よ』であるが、これが編集会議でボツになったのは、作者として猛烈に惜しい。

 日記・書簡体形式がネックになったのだろうが、今回の復活を読者の皆さんと喜びを分かち合いたい。

 これは発表後、ずいぶんと長い期間、電子メールで読者さんからいじられた回であった。

『マリオのオーバーオールは、まだ着ますか?(笑)』

 といった具合で、長く読者さんの記憶に残る、初期の代表エピソードの一つであった。

 私の陶酔シーンが、ベルばらみたいな貴族風に茶化されているのが白眉であろう。

 便せんで書かれた通り、コマに収められているので、これも金平の技術勝ちな回となった。

 

 

 この頃の話題を続ければ、あの頃一緒にマックでときめいてくれた読者さんが帰ってきてくれるのではないか(笑)相棒の販売促進に繋がれば幸いである。

甲賀三郎全集復刻版を落札す

 ババーン。今回はタイトル通りの内容だけである。

 

 

 苦節数年、甲賀三郎全集復刻版を落札してしまったのである。後先考えずに落札ボタンを押してしまったので、現在財布の中は爆死、オケラピーである。

 ここまで旧版を集めていたのだが、これがまたゲロ高い。サラリーマンの小遣いをいくらだと思っているのだ。一冊の古書単価が高すぎて、コンプリートは叶わなかった。復刻版で妥協、と言っても結構なお値段だったので、私の身分ではこいつの所有が限界である。

 常日頃、甲賀三郎好きを公言しておいて呉さん全集持ってないの? とこれで言われずに済む(何に対しての配慮だ!)

 宅配便さんが宅配ボックスに入れておいてくれたので、嫁さんの隙を見てザイオン(屋根裏部屋)へと運び込んだ。離さんぞ、もうお前を離さんぞ。

 そして今後はじっくりと作品に向き合っていこう。生涯の読書はこの全集と定本久生十蘭全集でいいかな、と思えるくらいの満足度だ。

 2022年、探偵小説の復刻ペースは落ちている気がする。乱歩、横溝以外の探偵作家は、まだ埋もれた作品が沢山ある。

 これからもこの場で細々と、探偵小説の良さを呟いていこう。

 ひとまずは届いた全集に頬擦りしながら。

倉野憲比古『弔い月の下にて』を読む

 

 

 短編集が出る、ということなので、楽しみに取っておいた倉野憲比古『弔い月の下にて』を読んだ。

 個人的に楽しみにしていた長編探偵小説である。

 ここで表明しておくと、これはもう、私の後半生の勲章ともいうべき出来事なのだが、ミステリ界の生きるレジェンド、あの『匣の中の失落』や『ウロボロス』シリーズの竹本健治先生から、変格ミステリ作家クラブへお誘い頂いたのだ。

 もちろん私はスマホを持ったまま、直立不動でお受けした。ツイッターでよく呟いているので、変格探偵小説ファンのお情け枠の位置だろうけど私は感動した。

 

 

 倉野憲比古さんも変格ミステリ作家クラブ会員である。つまり同窓だ(笑)

 そして本作は〜変格探偵小説なのか? はたまた異形の本格なのか?〜という作者から読者への問いかけが著者の言葉として冒頭に掲げられているのだが、私の読後感を表明しておきましょう。

 本作は変格探偵小説ですね。それも【新変格】と呼んでもいい、濃厚な探偵小説趣味、空気感を感じさせつつ、現代にアップデートされている一篇、だと思いますね。

 曰く付きの島、興味本位でボートで近づく三人の若者、からの拉致、不気味な使用人マーカとミーシャ、この二人から主人公の夷戸らは携帯を取り上げられ海に捨てられる、ボートに穴も開けられて沈没、帰ることができない、ここは隠れキリシタンの島、軟禁状態のままバベル館へ。すると先に拉致された三人組が館内に。

 もうこの導入だけで私は読みながら『ええぞー、ええぞー』となるわけですね。もっと変わったものを読ませてくれ! と。

 私の本格観、それは谷崎潤一郎の『白昼鬼語』になるのだが、それに照らし合わせれば、本作はその割り切れない不気味さを含め、相当変格に寄った内容だと思う。

 怪奇小説の色も濃いのだが、推理、とは敢えて言わず、心理学を専攻する夷戸の知識に裏打ちされた解釈、了解操作、この行為が一種の発明で、これを挟み込むことによって変格長編探偵小説という骨格を維持できている、と思う。

 しかしこれはかなりぶっ飛んだ解釈の内容なので、頭のお堅い読者なら『与太』扱いしそうなほど(笑)しかし、もともとそういうものも探偵趣味ではないか。小栗虫太郎の『失楽園殺人事件』海野十三の『点眼器殺人事件』あたりの解決を読んで眉を顰める向きは、頭の良くなる小説だけお読みになれば良いのかな、と思う。

 褒め言葉ですけど、登場人物、会話、長尺の自分語り、軟禁しておいてリクエストすると高価なお酒でも振る舞う使用人(笑)など、変なところは山ほどあるが、もうそれらの世界、空気がたまらない。作者の脳内で自己培養された虚構世界観、そういう場所で淫しても良いではないか。

 スゴイの読んじゃったな、というのが率直な感想。読者を選んでしまうかも、という危惧を抱きつつ、次作ではもっと振り切った世界観を見せてー、というリクエストを添えて。

 製作中の短編集、とても楽しみである。ビバ! 変格探偵小説。

 

 

 

倉野憲比古『弔い月の下にて』を読む

 

 

 短編集が出る、ということなので、楽しみに取っておいた倉野憲比古『弔い月の下にて』を読んだ。

 個人的に楽しみにしていた長編探偵小説である。

 ここで表明しておくと、これはもう、私の後半生の勲章ともいうべき出来事なのだが、ミステリ界の生きるレジェンド、あの『匣の中の失落』や『ウロボロス』シリーズの竹本健治先生から、変格ミステリ作家クラブへお誘い頂いたのだ。

 もちろん私はスマホを持ったまま、直立不動でお受けした。ツイッターでよく呟いているので、変格探偵小説ファンのお情け枠の位置だろうけど私は感動した。

 

 

 倉野憲比古さんも変格ミステリ作家クラブ会員である。つまり同窓だ(笑)

 そして本作は〜変格探偵小説なのか? はたまた異形の本格なのか?〜という作者から読者への問いかけが著者の言葉として冒頭に掲げられているのだが、私の読後感を表明しておきましょう。

 本作は変格探偵小説ですね。それも【新変格】と呼んでもいい、濃厚な探偵小説趣味、空気感を感じさせつつ、現代にアップデートされている一篇、だと思いますね。

 曰く付きの島、興味本位でボートで近づく三人の若者、からの拉致、不気味な使用人マーカとミーシャ、この二人から主人公の夷戸らは携帯を取り上げられ海に捨てられる、ボートに穴も開けられて沈没、帰ることができない、ここは隠れキリシタンの島、軟禁状態のままバベル館へ。すると先に拉致された三人組が館内に。

 もうこの導入だけで私は読みながら『ええぞー、ええぞー』となるわけですね。もっと変わったものを読ませてくれ! と。

 私の本格観、それは谷崎潤一郎の『白昼鬼語』になるのだが、それに照らし合わせれば、本作はその割り切れない不気味さを含め、相当変格に寄った内容だと思う。

 怪奇小説の色も濃いのだが、推理、とは敢えて言わず、心理学を専攻する夷戸の知識に裏打ちされた解釈、了解操作、この行為が一種の発明で、これを挟み込むことによって変格長編探偵小説という骨格を維持できている、と思う。

 しかしこれは想像の斜め上、目羅方式を含むかなりぶっ飛んだ解釈の内容なので、頭のお堅い読者なら『与太』扱いしそうなほど(笑)しかし、もともとそういうものも探偵趣味ではないか。小栗虫太郎の『失楽園殺人事件』海野十三の『点眼器殺人事件』あたりの解決を読んで眉を顰める向きは、頭の良くなる小説だけお読みになれば良いのかな、と思う。

 褒め言葉ですけど、登場人物、会話、長尺の自分語り、軟禁しておいてリクエストすると高価なお酒でも振る舞う使用人(笑)など、変なところは山ほどあるが、もうそれらの世界、空気がたまらない。作者の脳内で自己培養された虚構世界観、そういう場所で淫しても良いではないか。

 スゴイの読んじゃったな、というのが率直な感想。濃密なB級感は読者を選んでしまうかも、という危惧を抱きつつ、次作ではもっと振り切った世界観を見せてー、というリクエストを添えて。

 製作中の短編集、とても楽しみである。ビバ! 変格探偵小説。

 

 

 

開化の殺人-大正文豪ミステリ事始 中公文庫を読む

 

 最近の中公文庫は攻めている。ミステリアンソロジーでも、ちょっと違った角度からの、探偵小説ファンの心を掴むような、そんなアンソロジーを出してくれている。

 このアンソロジーは大正文豪たちの作品集。乱歩が本格始動前夜の作品群だ。

 

◆目次
・一般文壇と探偵小説/江戸川乱歩
・指紋/佐藤春夫
・開化の殺人/芥川龍之介
・刑事の家/里見弴
・肉屋/中村吉蔵
・別筵/久米正雄
・Nの水死/田山花袋
・叔母さん/正宗白鳥
・「指紋」の頃/佐藤春夫
・解説 大正七年 滝田樗陰と作家たち/北村薫

 

 芥川龍之介佐藤春夫の名前も見える。まずは一本、何から読もうか、と題名を眺め『肉屋 中村吉蔵なんてちょっとドキッとするタイトルだな、と惹かれつつも『Nの水死田山花袋から読んでみることにした。

 内容に踏み込むので未読の方はご注意を。

 こういった古い探偵小説は、空気感や世界観だけで個人的に満たされるところがある。文豪の手がけたミステリで、初めから驚天動地の大トリックみたいなものは望んでいないから、作家が雑誌からの依頼で、どういう角度から自分なりの『探偵小説』を組み立てるのか、そういう興味を持って読み始めた。

 谷崎や芥川が実際に取り組んでいるので、ポーの草案した新形式である探偵小説は、やはり文壇内でもある程度の影響はあったようだ。

 しかし専門作家でもない純文学作家が、簡単においそれと探偵小説の短編を作り上げられる訳でもない。

 田山花袋は本作でどう謎文学に取り組んだか。主人公は病に犯され、死期の近い老学者である。そしてその美しい妻。若い頃水難事故で亡くなった老学者の親友N。

 学者はうなされながら、Nのことを口にする。妻は看病しながら少しづつ過去を思い出す。

 Nと学者の妻は若い頃恋仲であった。老学者と三人で若い頃は一緒に青春を謳歌した。二人なら親の目、世間体もあるが、三人なら大丈夫だろう、という恋仲同士の思いもあった。

 避暑地の海で男二人はよく泳いだ。妻は微笑んで眺めていた。老学者はニコニコと物静かで、二人の邪魔をしないよう、適度に距離を保った。

 そんな青春の1ページであるNの名前を、病床のうわごとで繰り返す老学者。

「オマエはこの人生で幸せだったかい?」

 苦しい息の中、学者は妻に尋ねる。当たり前じゃないですか。二人は仲良く夫婦生活を続け、子宝にも恵まれ、子どもたちは皆独立し、老学者は地位も名誉もあり、裕福な家庭を築けた。

「本当に幸せだったかい?」

 ここまで他人から見たら羨ましいくらいの人生を歩んでいるのに、美しい妻も夫の問いかけに困惑するばかり。

 Nのうわ言が出るたびに、過去の記憶が少しづつ蘇る。老学者とNは泳ぎを競って遠泳をした。老学者は負け、Nは沖の方まで行き、急に頭が沈んだ、何度か浮き上がっては沈み、老学者と岸辺で見ていた妻は異変に気付く。

 恐怖でただ傍観するしかない妻、泳いで駆けつける老学者。ここで妻は辛さから封印していた記憶を呼び覚ます。親友の危機であるのに、その時夫は全力で駆けつけていないように感じたのだ。

 結果、Nは水死し、漁師に手伝ってもらい遺体を引き上げてもらった。悲しみから遺体に取り縋って泣きじゃくる若き頃の美しい妻。愛する者を失った真の姿を目の当たりにした若き老学者。

 その過去を病で苦しむ夫の『嫉妬』だけでは割り切れない妻、そんなはずはない、と思いたい妻。現に自分はその後、夫に好意を持ち、実際に所帯を持ったではないか。その人生に偽りはなかった。

 これを告白せねば死んでも死に切れない、と病の床で老学者は告白する。あの日、遠泳に誘い目標まで誘導したのは老学者であったのだ。そうして自分よりも泳ぎの上手いNは老学者を打ち負かし、岸から遠い場所まで泳ぎきった。

 心の奥に秘めていたこと。それはNと恋仲の若い妻への淡い恋心であった。しかし友情を裏切る訳にはいかない。

 しかし、もしNが死ぬようなことになったら、妻はどうなるだろうか……。

 トリックではなくプロバビリティの犯罪にあたるであろう、禁じられた恋心の招いた遊戯は、実際に足がつるトラブルを引き起こしてしまい、Nは沈んでしまう。そして助けなければ、という思いと、このまま死ねば妻を独占できるかもしれない、という心が葛藤し、それが遠くから見ていた妻が感じた『全力ではない、ゆっくり泳いでいたように見えた』という感想に繋がるのだ。

 白く冷たくなった岸辺のNの遺体に抱きついて泣きじゃくる妻。妻の恋は本物だったのだ。その心から愛するものを失った真の悲しみに暮れる女性の姿を目の当たりにした老学者は、その後、一生苦しみ続けることになる。

 この事実を告白したところで物語は終わるのだが、どうだろう。私は感心した。謎やトリックを超越して、心の複雑な不思議の断面を見事に切り取っている。木々高太郎の提唱した、探偵小説芸術論、このカテゴリーに入るべき短編ではないだろうか。

 実際に恋した女性を陥穽から手には入れたが、夫婦になり子も作り、裕福なのに何も満たされない。あの悲しみに暮れた妻の涙、どうやったってNには勝てない。

 聞かされた妻は困惑するばかりだろう。自分達の歩んできた人生を全否定することになるのだから。書かれてはいないが、もしかしたら妻も悲しすぎる心を紛らわせる、忘れさせるために、Nの親友である学者と勢いで結婚したのかもしれない。そういう気持ちが全くなかったとは言えないだろう。現実的な女性脳なら、選択しそうなことで清廉潔癖に描かれている妻にも、最後、正直であろう、と告白した夫の前で我が身のことも考えさせられるのだろうが、でもそれを明確にしてどうなる! という叫びしか出ないではないか。裏を返せば、女性のその防衛本能から選んだ選択を老学者が肌でうっすらと感じ続けていたからこそ、この死の床の物語が初めて成り立つ、という皮肉。

 人生の縮図さえ描いているように思える。この短編は収穫であった。他の短編も楽しみである。

古畑任三郎DVDコレクション2『殺しのファックス』

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 刊行された順に試聴を続けている古畑任三郎のデアゴスシリーズ。毎回、私の天才的洞察が鋭すぎるので(自分で言う)(笑)このまま記事を纏めていったら『金田一耕助さん、あなたの推理は間違いだらけ』的なKindle本が編めるのではないか? みたいなことも考えたが(ひらめきが持続したら加筆して出します)今回のエピソードを観て、その計画もちょっと小休止、である。

 

 個人的に古畑任三郎シリーズをこき下ろす気は全くないので、むしろ楽しみまくって試聴しているので(今泉の扱いとか)今回も感想を書き留めておこう。

 

 観終わった方に向けた文章なので、ご注意を。

 このエピソードは相当無理があった。世間ではどういう評価なのだろう、と気になって検索してみたら、作者は結構叩かれたようである。ミステリ好きをやめよう、と思ったくらい思い詰めたそうだ。

 まず、令和の今、ファックス全盛の当たり前が風化しており、私も仕事の上でそんなにファックスを使ってこなかったので、古畑の推理する『全送信が終わったことを告げるピー音が鳴る前に立ち去った。何枚届くか彼は知っていたんです』という洞察も『え? ファックスってそうなの?』みたいなポカーン状態であった。

 そしてパソコンを使ったファックスタイマー。これも犯人が警察と一緒にいる時に送信されてきているので、確固たるアリバイ、とは言い難い弱さ、である。

 犯人の作家(笑福亭鶴瓶)が仕事場としているホテルで受信し、警察もいて逆探知などを行うのだが、誘拐された(既に殺害されている)妻は、自宅付近で買い物帰りの姿を近所の人に目撃されているのである。それならば捜査の中心は自宅(犯行用ファックスが設置されている)になるはずで、そうでないにしても、失踪の痕跡を探すために自宅へ警察は入るはずである。

 そういうところに気付かない警察世界、というファンタジー目を持っても、決定打となる一分以内にワープロで出力してファックス送信できない、というのは『パソコンのソフトでテキスト入力して即送信できるのあったよな』と思っていたら、これも案の定、ネットでは散々指摘されているようである。

 最後の今泉を使った衣装のひっかけ、妻が誘拐されているのにホテルのレストランであんかけのトンカツを食べる犯人の図太さを指摘されるシーン、そして幕切としては最高な、ファックスで送られてくるある物。

 ミステリ、としては穴もあったが、ショーとしてはこれまで見た中で一番楽しめた。

 犯人の名前。幡随院大がヴァン・ダインのもじりなのも個人的に評価が高いポイントである(ヴァン・ダインラブ)