呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

感情論で読み解く佐野洋『推理日記』1

 

 佐野洋のイメージは、というと厳しくて融通の効かない学校の先生、といった印象である。

 学生時代からそんなタイプの先生には反感を抱いて、反抗してきた。この推理日記を読むと、ところどころに学生時代を思い出す、なんとも言えない感情に包まれることがあるのだ。

 ちょっと言語化しにくい感情だが、私が推理日記を読みながら、どこに引っ掛かっているのか、書き進めながらボヤいていきたい。この日記は佐野洋ファンには反感を買うことだろう。だが、私がどこにイラっときているのか、読んでもらえればきっと理解はしてくれることだろうと思っている。

 さて、この写真に映る本の、186ページからである。小峰元の『アルキメデスは手を汚さない』についてのあれこれである。

 本作は江戸川乱歩賞受賞作である。内容に踏み込んでいるので、未読の方はご注意を。

 この頃の佐野洋の立ち位置はどの辺りだろう。大御所とまでは行かず、中堅のご意見番、といったところだろうか。

 作品に二、三、気になるポイントを挙げ、それもなかなかの辛口な物言いだ。新人が聞いたら結構刺さるだろうなぁ、と同情してしまう。

 そして決定的なポイントである。ここがあまりにも酷かったのだ。刺傷の場合、引き抜かなければ、筋肉の収縮もあり、歩いても外部には血が出ない。この医学的知識を利用して、密室に至った経緯が描かれるのだが、ここに佐野洋は引っかかった。

 移動すれば血が床に落ちるはずだ、という指摘を先ほどの医学的知識でやり返されたのだ。そこで佐野洋は一旦謝る。しかしこれは単なるポーズである。

 そこから誌面上で、そんな専門的な知識、医者でなければ知りようがない、一般の読者は私が間違えたのだ、インチキ、と言われても仕方がないし、そういうレッテルでまかり通ってしまうだろう。この私でさえ間違えたのだから、みたいな感じで噛み付くのだ。

 そこでそういう誤読を防ぐために、医学的知識のあるキャラが『刺殺の場合は引き抜かなければ血は流れ落ちないよね』と一言あるべきだ、とアカペン先生よろしく言うのである。

 これは作者の小峰元に激しく同情する。そりゃあんまりだ、と。医学的知識として正しいのに、アンフェアでもないのに、現実ではそうなのに。あなたがそう思ったから大多数の読者もそうだろう、という難癖的なマウント取りはどうよ、と。

 作家なんて打たれ弱い、豆腐メンタルの人は多い。こんなことを言われて『医学的に正しいのに、どないしたらええねん!』と思ったに違いない。

 続けて連続殺人事件は起こるが、それに関連性は無い、という指摘も森村誠一としている。せっかく難関、乱歩賞をとったのに、これじゃ意気消沈だったことだろう。