嫁さんと同じジムに通っているのだが、ジムでは他人同士なのだ。会話はおろか目も合わせない。
嫁さんはジムに友達がたくさんいる。私はストイックに筋トレに励んでいるので、トレーニングしている男の人に声をかけたりはしない。
遠目に嫁さんは私をチェックしているらしい。そこで本日、私の頭の白髪が気になった、と。かなり老けて見えるそうで、急遽家の風呂場で毛染めしてもらうことになった。
呉「そないに老けてるか?」
嫁「襟足真っ白やで、前回の毛染め、もう抜けてるわ」
浴槽から出て胡座をかき、嫁さんがムース状の毛染め染料を盛って、私の肌につかないよう塗っていく。
呉「ちょっとてっぺんのところが痒いな」
嫁「動くな! 動いて泡落ちたら、タイル汚れるやろが!」
嫁さんの命令は我が家では絶対であった。
泡が鼻の上に落ちた。でもここで気持ちわるがって、動いてはいけないのである。
呉「泡とってええか?」
嫁「絶対下に落とすなよ」
そして約五分、じっとした後、嫁さんがゆるい水流でシャンプーをする。噴射がきついと水しぶきが壁に付着して風呂場を汚すからだ。
ストレスを抱えながら細心の注意を払い、浴槽を汚さないようにする。
逃げるように風呂場から先に出る。嫁さんは鼻歌を歌いながら浴槽に浸かっていた。
ドライヤーを終え、リビングに帰ると、iPhoneに相棒の金平からラインメッセージが。
「すまん、忙しかったか?」
「いやいや、嫁さんに毛染めしてもらっててん」
「えっ? お前ら夫婦一緒に風呂入るの?」
「ん? んん」
「いや、ウチの両親、一緒に風呂入ってなかったからな、じゃあ呉とこの両親、一緒に風呂入ってた家庭なんや」
「いや、ウチの両親は一緒に入ってなかったなぁ」
「じゃあなんで一緒に風呂入ってるねん」
「なんでやろな」
「気色わるっ」
どうも独身の相棒の理解を超えていたようだ。
※
さて、今回は「実は偶然に」を読んだ。
甲賀三郎の探偵作家デビューに至る経緯が書かれたエッセイで非常に興味深い内容であった。
東大応用化学科を卒業、凄い秀才。大会社への就職口もあったが、そういう大手は先輩がうじゃうじゃ居るので、容易にうだつが上がらない、と判断(笑)
すごく賢明で理にかなっている。新興会社の染料会社に就職。
小説家になろうとは、一度も思ったことがなかったらしい。
そしてほんの気まぐれで書いた「真珠塔の秘密(青空文庫で読めます)」を雑誌「新趣味」に投稿。一等当選で発表された。
江戸川乱歩の切り開いた探偵小説ブームの潮流に乗り、そのまま作家専業へ。
一夜漬け、とはいえ「真珠塔の秘密」は堂々としたものである。この本には収録されていないが、機会があればレビューもいずれ。
1931年(昭和6年)2月「新青年」