通っているジムでトイレに行くときは、更衣室の中にあるトイレを使っていて、昨日、初めて正面入り口入ってすぐ横のトイレを使ったのだ。
そこは広く作られており、赤ちゃんを寝かせる台とかも備え付けられていた。
事件はそこで起こった。
私が便座に近寄ったとき、便座の蓋がウイィィィンと自動で開いたのである。
私は驚いて、しばしその場で立ち尽くしてしまった。
最近のトイレはセンサー内蔵で、人が前に立ったら、こんな風に自動で開くのか。
しかし待てよ。
「私がしたいのは『小』の方なのだが」
このまま立ち小便をしたら、便座が濡れてしまうではないか。
私の意思をスキャンして、小の時は便座も持ち上げてくれなければ、片手落ちではないか。
いや、待てよ。私は手を顎に添えて熟考した。
「もしかしたら、世のスタンダードは『座り小便』なのかもしれない」
私のやろうとしていることは、世の流れと逆行しているのか? 確率からいけば大と小、頻度からいっても小の方が圧倒的に多いだろう。
それなのに便座がそのままで蓋だけが開く、ということは、この状態で大でも小でも用を足してくださいね、と暗に示唆しているということではないか。
私は愕然とした。
立ち小便は男の尊厳ではないか。
頭の中で嫁さんの声がリフレインする。
「男ならトンカチと釘で簡単なテーブルとか作れるやろ」
「男やのになんでゴキブリから逃げるねん」
「他の旦那さんはアウトドアの用意とか全部やってるで」
私のパーソナルを無視した数々の言動。人間には得手不得手があるのだ。
じっと私を見つめるオート便座。私に『座り小便』を強要している。
まるで『ひざまずけ』とでも言うように。
そんな理不尽な屈辱には耐えられなかった。家では尊厳を奪われ、ジムのトイレにまでコケにされたような気がした。
『お前のようなチキン野郎には座り小便がお似合いだぜ』と便座が大きな口を開けて笑っているような気がした。
誰が屈するか。
私は力を込めて便座を上に起こした。
立ち小便は男のアイデンティティである。私は両手を添えて自分のアームストロング砲を発射位置に固定した。
「圧力上昇、セーフティーロック解除、対ショック対閃光防御」
頭の中では波動砲の上昇音が鳴り響いていた。
悲劇はその時起こった。
ちん毛が3本ほど、ピーンと皮に引っかかって、まるで吊橋のような効果を生んだ。
砲塔は正面を向いているのだが、水流はなんと意思とは逆に斜め左へ飛んでいってしまったではないか。
「はうあ」
水滴が床に落ちる。ここは是非キラキラのモザイクをかけていただきたい。
慌てて身を右によじって、身体はひねった状態で水流は正面に軌道修正した。女性の方にはどのような状況か全くわからないことだろうと思う。
弱り目に祟り目という言葉は、この時のために使うべきだ。その時、ピンと張っていたちん毛ワイヤーが皮から不意に外れてしまった。その衝撃で砲塔は制御を失い、一瞬先端はスプリンクラーのような放水状態に陥ってしまった。
ネズミ色のジム用半ズボンに北海道のような水の模様が描かれる。
私は放心したまま、再び立ち尽くしてしまった。最終ラウンドを戦い抜いた矢吹ジョーのように。
ティッシュペーパーをくるくると巻き取り、床にこぼれた金のウーロン茶を拭き取る。
そこで私は思い至った。これは神の啓示なのだ、と。ここのブログのアクセスが右肩上がりなので、私は正直この頃慢心していた。これはきっと神が与えたもうた試練なのだ。
謙虚な心を私は失いかけていた。
蓋が上がってカチンとくるのではなく、謙虚に座り小便を試してみれば、このような悲劇に巻き込まれることもなかったのだ。
きっと神は私に成長するチャンスを与えたのだ。
伸びる。私はまだ人間的に伸びる。グングン成長すると思う。てか『グングン』て中学生のような表現ではないか! いや、実際に私は今、中学生のようなピュアな心持ちでいる。
前向きに生きよう、とピンチの中でポジティブな気持ちに包まれた。その時私の頭の中に閃光が走った。
「こうすればいいじゃん!」
私は手を洗い、それを「ハンカチ忘れたよ」みたいにして、手を北海道模様のズボンの上で拭いて誤魔化せば、水の手形をベタベタとズボンに付ければ、そこにこぼしたことを隠蔽できるのではないか。
このドアの外には意中の「まゆゆ似」の奥さんがいる。おもらしを見られるわけにはいかない。
この方法なら誤魔化し通せる! 私のI.Qは200くらいあるのではないか?
全てが前向きに考えることができた。前を向いてなかったのは私のアームストロング砲だけであった。
そうして私は背筋を伸ばし、トイレを出る時にこう思ったのだ。
座り小便、そんなに悪いもんじゃないな。
※
さて、今回は「ゆびわ」を読み終えた。江戸川乱歩の名作「屋根裏の散歩者」と同月の発表である。
正直に書こう。読解力の無さか、この作品を咀嚼できなかった。ガハハ。
指輪をめぐって暗躍する陰謀譚で「今何が起こっているのか」という興味で引っ張っている話だと思うのだが、読み逃しているのか、主人公が取らされていた日々の意味不明ルーチンの説明も、はっきりとはしていなかったと思う。
新聞から結果だけ提示され「おそらくそうなんだろうな」という余白を残すような形式を取ってはいるが、私には全然入ってこなかった。
疲れから集中力の低下もあるが、DMなりコメント欄なりで、この作品の肝をどなたかご教授願いたいくらいだ。
1925年(大正14年)8月「探偵文藝」