長らく書き綴ってきたジムの「まゆゆ似」の人、どうも本日で完結になるかもしれない。
本日「今日は会えるだろうか」と胸をときめかせながらジムフロアーに入ると、いきなりであった。
休憩のソファーのところで、彼女の周りに若い男二人が彼女を囲んでいた。
私と彼女は目が合った。彼女はとてもキラキラした目でヤンキー風の男二人と話をしていた。ナンパされたんだね、良かったね。
彼女は30分、私がトレーニングをしている後ろで、男二人と盛り上がっていた。
やはり出会いを求めて入会したんだね。ちょっとした失恋気分。
そりゃあそこまで可愛いのだ。ずっと他の男性会員も話をする機会を窺っていたのだろう。当然の帰結。
友達になれるのではないか? という淡い恋心は消え失せた。
108つの煩悩は全部消え去った。でもこの心の空虚さはなんだ。
この傷心の痛手を変換してやる。創作に打ち込んでやる。ヤンキー風の男が好みだったか、この売女め。
創作に生きる! 単行本作業頑張るよ! 金平!
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さて、今回は「島原絵巻」を読み終えた。
書き溜めてあったのか、速筆なのか、この月は浜尾四郎「文藝春秋」に「彼は誰を殺したか」を発表している。
ストックがあったのか、注文が重なったのか、短編とはいえ同月に二本の執筆。その事前情報は無かったのだが、前回の「正義」に比べれば一段調子が落ちる出来である。
といっても「失敗作」というわけではなく、目先を変えた、少し毛色の違う作品を仕上げて見たかった、というところかもしれない。
エッセイなどで言及されている、警察からの押収品で、いかがわしい絵画などを目にする機会があったのだろう。
発想のタネをそこに求め、残虐絵を描き上げるために行われる「芸術の為の犯罪」ともいうべきテーマを扱っている。
火あぶりにされる人間を書き写してみたい。そこへ重なる地震。関東大震災時も、その天災のどさくさに紛れ、犯罪が行われたのではないか? という警鐘を鳴らす。
ひねりやどんでん返しは無いが、当時の変格シーンを意識した猟奇趣味的な一編といえよう。
1930年(昭和5年)7月「犯罪科学」