権力を傘にして人を威圧する。男性が女性に対してセクハラを行う、というニュースをよく目にする。
政治家が女性記者に対して「オッパイ揉ませて」とか平然と言うのだ。
そういう台詞をシラフで言う、ということは、常態化しているのではなかろうか?
なんなら何の障害もなく、これまで「先生が言われるのなら」と簡単に揉ませてもらっていたのではなかろうか?
かような行為を「末代までの恥」とは考えないのであろうか?
確かに権力に物を言わせるハラスメントはエロい。
「単位を取る方法が無いことも無いことも無い」
と言いながら迫る大学教授。
「このマッサージで胸の周りの筋肉をほぐさねば、全国大会は無理」
と熱血指導する体育教師。
「アレをナニすれば保険に入ってやらん事もない」
と泳いだ目で保険レディに話しかけるサラリーマン。
「レジの金の帳尻を合わせる方法が一つだけある」
と失敗したパート主婦の肩を揉みながら話すスーパーの雇われ店長等々。
そのような勝てる喧嘩で異性に迫り、ナニをアレして虚しくはないのであろうか?
仮に私が出世して権力者になったとしても、そのような愚劣なことなどしない。
多分しない!
さて、今回は「動物園の一夜」を読んだ。
これは犯罪巻き込まれ型冒険譚とでも言おうか。ここにきて結構軽めの、またこれまでに書いていないジャンルである。
ちょっとストーリーも薄味で、爽快感とパンチに欠ける。
失業した男が失意のまま無意識に動物園に入り、物陰に隠れて警備員をやり過ごし、閉園後の動物園を宿にしよう。
というのが発端。
誰もいない、と思っていた草陰には先客がいて、犯罪に関するものを動物園内に隠し、警備員や裏切り者をやり過ごし、どうやって動物園を脱出するか。
そういう感じの、パズルで頭をひねることのない、次はどうなるの? という興味で引っ張るストーリー。
変化を感じたのは冒頭、これまでになく文学的な修飾が施されている。
当時、世間は不景気であったのか? 動物に投げ与えた客のビスケットを、隠れて拾って食べる描写が印象的だ。
平林初之輔がこの短編を書いた意味、手当たり次第色々なジャンルを書いてみて「コレ」というものが見つかったら、突き詰めたかったのか、それとも依頼のあるまま、余技で書いたものなのか。
もう少し読み進めてみないと、現段階ではなんとも言えない。
1928年(昭和3年)10月「新青年」