私は昭和44年生まれなのだが、子供の頃は近所に何軒も小さな本屋があった。
小学生の頃は「テレビマガジン」「てれびくん」などの月刊誌を、そういう小さな本屋で買って、楽しみに読んだものだった。
家庭用テレビゲームも普及していない、のどかな時代である。
そのうちにコンビニができた。
コンビニには少年ジャンプなどの主要な週間マンガ雑誌が一通り揃っていた。
そうなるとお菓子を買うついでにコンビニでマンガ雑誌を買うようになる。
これは全国の本屋は大打撃だったことだろう。
これまで毎週出ていたから仕入れていたのに、徐々にチビッコが訪れなくなるのだ。
結果論になるが、コンビニで書籍の販売はやめておけばよかったのになぁ、それならば街の本屋は生き残れたかもなぁ、みたいなことを考えるのである。
それからCDショップ。これもほぼ絶滅といってもいいだろう。
これはCDの販売形態に問題があった。店の買取で一枚の利幅が薄かったらしい。
これもセールスの変化を読み取って制度を見直し、新譜をまず無償委託して店頭に並べ、数枚を店頭用に買取、残りをレーベルが引き上げる。
みたいにすれば延命できたのではないか? と思う。
色々と懐かしい。でかい本屋にでかいCDショップ。ズラーっと大量の商品が陳列される。その中を歩くのは大好きだった。
思いがけない出会いもあった。その出会いが一生もののお気に入りになったこともあった。
今はそういうメルヘンすら生まれない。配信や外国企業の通販に押され、日本は疲弊しきっているのだった。
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さて、今回は「黄昏の告白」を読み終えた。
平林初之輔、松本泰を経ての浜尾四郎。感じるのは「進化」である。
そしてスタイリッシュ。
服毒自殺をして、一時的に意識を取り戻した主人公の、友人である付き添いの医師への告白形式である。
物語は背後に「命のカウントダウン」を敷いて緊張感を高め、何度かひっくり返す技巧を盛り込んでいる。
ライバル同士の作家、才能に惚れた妻は最初は主人公を愛していたのだが、才能に限界が見え、ライバルの名声が高まっていくと、妻の心が明らかに離れたように感じ苦悩する主人公。
事件は「近所を騒がせている強盗」が妻を殺し、その声を聞いた主人公が持っていたピストルで強盗を射殺、正当防衛を認められる、というもの。
都合良く強盗が入ってくれるか? という偶然要素もあるにはあるが、近所を荒らしている、という情報は前出しで出ているので、作品的に致命傷には至らないだろう。
ここで探偵小説を読み込んでいる読者なら「ハハァン、嫉妬から妻を見殺しにして強盗に殺されたのを確認してから飛び出し、強盗を射殺したのだな」と読むこともできる。
しかし浜尾四郎はもう一捻り、主人公の生殖機能の前振りを使って、強盗正当防衛事件の他に、もう一つ絡めてひっくり返してくれる。
そういう「どんでん返し」の趣向だけでも楽しめるが、本作の隠れた眼目は「正当防衛の射殺は本当なのか」という問題提起である。
死人に口なし、になるのではないか。状況証拠だけでは偽装できるのではないか?
ということを考えさせられるのだ。実際に本作はそうなのだから。
1929年(昭和4年)7月「新青年」