やっとお盆休みで、今朝はのんびりしております。
外は超暑いです。
嫁さんが「山陽百貨店に連れていけ」と申しておりますので、買い物している間は別行動で駅ビルのジュンク堂へ行こうか、と考えております。
最近思うのは、創作というものは、シラフじゃダメだな、と。「もっと寝かせれば面白いものになる」とか「じっくり時間をかけて」みたいに考えていては、一向に進まない。
自分に催眠術をかけ「己の才能を世に示さねばならぬ」とか「次に書く作品が最高傑作」などと、自分を鼓舞し、高揚させた方が良い。
過信も大いに大事。その勢いで書き切り、反省やフィードバックは書き上げてからのこと。
作品には作者の「凄味」が込められていなければダメなのだ。
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さて、今回は「不思議の煙」を読み終えた。
この作品、未完の作品である。しかし未完の作品というものは、何故どれもこれも面白く映るのであろう。
雑誌の廃刊や本人の死去など作品の未完には様々な要因があると思うが、この作品は「本人の意志」によっての中絶である。
作者のお詫びの言葉にもある通り、中絶の理由は「ある小説と趣向が似ている」という投書を受けてのことである。
東京湾で海軍の式典が五日間に渡って行われる。その目玉として東京湾の低空飛行が話題になっていた。
その初日、飛行機が原因不明の墜落死亡事故を起こしてしまう。
新聞で事故を知る病床の塚原俊夫くん。
事故は初日だけに止まらず、三日連続で悲惨な事故が起きてしまう。
警察では目立つので、内偵には塚原俊夫くんに白羽の矢が立つ。
東京湾には各国の軍艦や汽船が停泊していた。
視察に訪れた塚原俊夫くん、ある一隻に目が止まる。三本の煙突の二本とは別に一本だけ煙が逆方向に流れる汽船を発見したのだ。
物語はここで終わる。めちゃくちゃ面白そうな導入部ではないか。小酒井不木の筆での完結が読みたかった。
頭の中で「続きはどう書こうか」と考えてみたが、私の貧弱な脳細胞では意外な結末は浮かび上がらず。
惜しい一本である。
1926年10月「子供の科学」