呉エイジ 秘密の探偵小説読書日記

日記と探偵小説の読書録

松本恵子「拭はれざるナイフ」を読む

 よく「ブログを開設したが一ヶ月で辞めてしまった」みたいな声を聞く。

 その度に「勿体ない」と思うのだ。

 せっかく無料でブログを作れるサービスがあるというのに(ここの『はてなブログ』も無料です)なぜ続けないのか。

 辞める側にも理由があるだろう。

「自分には文才がないから」

「アクセスが伸びないから」

 そういうナーバスな理由もよく聞く。しかしそれは文才以前の問題だと私は思う。

 己を解放していないからだ。

 例えば貴方がスポーツジムに通っているとする。そして今日の日記のネタは、ジムに行ったことを書こうと決める。

〜ジムに通って半年、だいぶ筋肉が付いた。プロテインも高価なものを買った。トレーニングマシンに座ろうと思ったらタッチの差でおっさんに先を越された。ちっくしょう。今日は夏バテ気味だったので早めに切り上げて帰りました〜

 こういう日常の日記だ。これを読んだ人はどう思うだろう。

「で?」

 と言うのではないだろうか?

 まず貴方は文章において頭を七三に分け、詰襟のフックを上まできちんと締めて、行儀よく座っている。そんな文書になっているのだ。

 そんな真面目な姿を見て他人は面白いと思うだろうか。

 まず貴方は髪をオールバックにし、右目だけつけまつげをし、左の眉は剃り落とす。胸のボタンは第三ボタンまで開け、股間のチャックは全開にすればいい。そしてその全開にしたチャックから赤ふんどしを引っ張り出して、マフラーのように風になびかせるのだ。

 それが解放の第一歩である。

 そういう心持ちで書いてみた日記がこれだ。

〜ジムで気になる女性がいる。まゆゆに似た女性だ。話しかけたいがきっかけがない。なんとかして機会を作れないものだろうか。

 例えば感謝される、とかだ。

 彼女が先を歩く、下が暑手のカーペットなので手提げに入れておいた水筒を落とすが気づかない。

 それを私がすかさず拾う。そして爽やかに

「落とされましたよ」

 と話しかけるのだ。向こうは私のジェントルメンな物腰に対して、きっと感激するに違いない。

 そして「なんとお礼を言っていいやら」と目を潤ませるのだ。

 そして私は思い続けてきた欲求を、拾った謝礼として当然の如く要求するのだ。

「ではお礼に、その君の汗の浸み込んだ使用済みのタオルを頂けるかな」〜

 どうだろう。無茶苦茶である。しかし個性は出せた。解放する、ということは世間体や常識、倫理を取り去り、貴方が考えて恥ずかしくなり打ち消すことや胸の奥にしまいこむこと、これらを拾い上げて文章にすることなのだ。

 レッツ、ビギン(笑) 

 それこそが貴方の個性となり、やがてオリジナリティとなる。

 ※

 さて、今回は「拭はれざるナイフ」を読み終えた。

 老金満家、忠実な秘書、実直な召使い、金満家と仲の悪い唯一の肉親である甥。

 舞台は洋館である。

 金満家が密室で後頭部を杖で殴られ殺されていた。

 なかなかに本格テイスト。探偵はそれぞれに犯行が可能であることを話す。ある者は青ざめ、ある者は激昂する。

 3人のうちの誰かが犯人なのだが、探偵は所持品をテーブルに出させて、そこから推論を重ね、犯人を指摘する。

 こういう直球な本格作品の翻訳作業が、作家松本恵子の血肉となったに違いない。

 

1932年(昭和7年)9月「秘密探偵雑誌」原作 ハリントン・ストロング

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

 

松本恵子「盗賊の後嗣」を読む

  暑い、連日暑い。帰ってきても暑い。なぜなら…。

 我がマイホームには一階に台所とリビングと和室、二階に子供部屋三つに私の部屋の軽四部屋あるのだが

 私の部屋にだけクーラーが無いのだ!

 生暖かいフローリング、モワーッとした室温。

「アンタの部屋にクーラー付けたら、出てこんやろ」

 とは嫁の弁である。確かに大正解ではあるのだが。

 昼間の猛暑日のおかげで夜になっても熱気がこもったままだ。

 そんな過酷な状況の中で、私は汗を流しながら暑さに耐えてブログを更新しているのだ。ハムスター辺りなら痙攣して死んでいる。

 会社でもストレス、家でもストレスなので、帰宅前に本屋へ寄って帰りましたよ。

誰も僕を裁けない (講談社文庫)

誰も僕を裁けない (講談社文庫)

 

 

読書の極意と掟 (講談社文庫)

読書の極意と掟 (講談社文庫)

 

  二冊買って帰りました。早坂吝先生はデビュー作「◯◯◯◯◯◯◯◯殺人事件」がブッ飛んだ傑作だったので、新刊はチェックしております。

  このデビュー作品は「ミステリを読む動機で『あっ』と言いたいから」という人ならば満足の一冊。こういうアプローチ好きですし、決して一発ネタな作品ではなく、細部まで作り込まれており「ド本格」です。

○○○○○○○○殺人事件 (講談社文庫)

○○○○○○○○殺人事件 (講談社文庫)

 

  筒井先生は大昔に「みだれ撃ち涜書ノート」という良著がありまして、紹介が上手いから読みたくなるのですなぁ。

みだれ撃ち涜書ノート (1979年)

みだれ撃ち涜書ノート (1979年)

 

  身体から熱が抜けないので水シャワーでも浴びてまいります。クーラー欲しひ。

 さて、今回は「盗賊の後嗣」 を読んだ。

 これはなんと分類したものだろう。盗賊の話に絡めた人情譚、になるか。

 若い盗賊が質屋に時計を持ち込む。質屋は時計を一目見て「盗品」だと見抜く。その根拠にはシャーロックホームズばりの説明が加えられる。

 翻訳、とはいえ、松本恵子のテイストもかなり入っているのではないだろうか。

 物語は、その時計の数奇な運命と、若い盗賊、その親の大盗賊、質屋、この質屋はかつて父親とタッグを組んでいた。

 質屋は若い盗賊の将来を考え、手を差し伸べる。

 最後、親の縁を切り家を出た若い盗賊。大盗賊は質屋に愚痴る。倅が真人間になる愚かさのことを。

「逆だろ」

 と読みながら突っ込みたくなるユーモア作品。

 

1923年(大正12年)7月「秘密探偵雑誌」

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

 

松本恵子「節約狂」を読む

 ショック、というか、非常に衝撃を受けたのであります。

 町内の粗大ゴミですよ。プラスチック製品、やら布製品やら、きっちり仕分け・分別して整理する。

 早朝から皆さん捨てに行きます。

 私も朝の6時頃でしたか、会社に行く前に嫁さんと二人で、バックシートにゴミを積み込み、嫁さんにアゴで指示され、間違えないように捨てましたよ。

 そこで先に来ていた綺麗な奥さんが色付きの瓶と、透明の瓶を仕分けしながら捨てておったのです。

「色白で切れ長の目で和風美人だなぁ」

 と、コンマ5秒くらい見とれておったのです。

 向こうは早朝なので、短めのジーパンにラフなTシャツですよ。眠いのか、捨てることに意識が持って行かれてるのか、横で捨てていた私は我が目を疑いましたよ。

 少し液体が残っていた瓶を持ち、手を水平にして奥様は降っておったのです。私は1秒だけ流し目で通過しました。

 するとそこにはシャツの袖の奥の脇にワッサーと!

 私は動悸が上がり、耳がジンジンと熱くなってきました。

「なんでこの奥さんはワッサーなのか。旦那さんの趣味なのか、いや、もうそういうのは卒業夫婦なのか」

 私はギャップにやられました。こんな和風美人な奥さんの脇は、ツルツルであって欲しかったのです。

 改めて奥様の顔を見ました。鼻筋も通って美形です。

 私は逆に一周回って、妙な興奮を覚えてしまいました。それはそれで「アリ」か、と。

「早起きは三文の徳」というお話でした。

 さて、今回は「節約狂」を読み終えた。

 この論創ミステリ叢書「松本恵子」集の「創作編」は読み終えたので「翻訳」のパートは飛ばして次巻の「小酒井不木」に移行しても良かったのだが、ここまで読み続けてきたので、せっかくだから最後まで読むことにしました。

 盗賊「鉛筆ウィリー」(変な名前だ)は殺しをせず、狙った家からお宝を盗んでいく。

 保険会社に自分を売り込んだジミーは、盗賊を捕らえてみせる、と探偵気取りで豪語する。

 タイトル通りケチな老人が高価な食器を盗まれたので、保険会社に請求するのだが、この時点で「ははぁん、これは偽の供述だな」と見当はつくのだが、タイトルに絡めた伏線をきっちり回収し、確固たる証拠を突きつける。

 松本恵子の創作部分はなかったのだろうか? エピローグの手紙も気が利いている。

 

 1923年5月「秘密探偵雑誌」(原作 レイ・カミングス)

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

 

松本恵子「ユダの歎き」を読む

 夕方の愛犬ラッキーちゃんの散歩は私の担当だった。

「ん? アンタ、ラッキーちゃん足引いてるで」

「嘘ぉ?」

「どんな散歩の仕方したんじゃ」

「どんな散歩て、普通に町内一周やがな」

「段差とか行ったんか? この子14歳で老人なんやで」

「そら多少は段差あったやろうけど」

「それや、原因は」

段々大声になっていく嫁さん。そしてそのまま夜の救急動物病院へ。

診断の結果は「捻挫」でした。

「初診料と夜間料金の五千円、払ってもらうからな」

(なんで? なんで? なんで?(心の声)

 愛犬の散歩をして、延々と嫁さんに愚痴られ、確固たる証拠もないのに罪を着せられ、その上少ない小遣いから五千円持って行かれ(号泣)

 ラッキーちゃんが自爆で自分で石の上に足を置いて、グリッとひねったかもしれんやんけ!

 ブログに書いて気持ちを落ち着かせねば、とてもやり切れません(何冊本が買えたか…)。

 さて、今回は「ユダの歎き」を読み終えた。

 この作品も解説にある通り探偵小説ではない。松本恵子の創作の業績を俯瞰する意味での収録である。

 タイトルからも分かる通り、イエス・キリストを題材にしたもの。ここで私がその辺りの造詣が深ければ、上手いツッコミを絡めつつ感想を述べることもできるのだが、知識はほとんど皆無。

 唯一、大昔に観た80年代アダルトビデオ内で、確か篠宮とも子であったか、篠宮に襲いかかる男優に対して、もう一人の男優が「ペテロお前もか!」と叫んだシーンが?マークを浮かべながらでも思い起こされるエピソードである(罰当たりもの)。

 主人公はユダで、いうならばユダは「武闘派」。キリストが絶対的な力や奇跡で王になることを信じている。

 物語は一方通行な意思疎通の無さが生む悲劇。

 武力や奇跡の力で「国を治めてくれい」と待ち続けるユダ。それを悲しげな目で見るキリスト。

「ちゃうねん。そうじゃないんやでユダ」

 諭しても武闘派のユダは自分の考えを曲げない。

 人と人、わかり合うのはとても難しい。「折れ」て、我がことに置き換えて考えねば、他人の心情など欠けらも掴めないであろう。

 結果は自分が思わぬ悲劇に転じてしまい、世を儚む。

 なんか私もあったような気がするなぁ、会社の先輩、偉い人とかに私の人間性を注意されたこととか。

「呉は趣味にお金使いすぎ。本とかそれだけ買って読む時間あるの? お金は残しとかなきゃ」

 悲劇の前に悔い改めねば、貧しい老後が訪れるかもなぁ。悔い改めよ、アーメン(また罰当たりなオチを)

 

 1938年9月「現代」

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

 

夏バテ

 毎日暑うございます。夏バテでヘロヘロになって帰って来ました。

 本を読む集中力がないため、息絶え絶えのまま日記の更新。

 ツイッターでは呟いたのですが、長女ちゃんが街を歩いていてスカウトされ、某店のカタログのモデルになったそうです。パチパチパチ。私に似て美形である。

 

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 漫画版では幼かった長女ちゃんも、今ではこんなお嬢さんに。よく絡んでくるからデレデレ父親なのであります。

 なので、この子だけには小倉優香の写真集買おうかなー、みたいな記事は、死んでも見られたくないのであります(敬礼!)

 そして会社帰りにツタヤに行って気になる文庫を買ってまいりました。

 多岐川恭の「落ちる・黒い木の葉」である。

 日下三蔵さんのセレクト。私は日下三蔵さんを盲目的に信頼しているので、これもきっと面白いはず。日下ブランドにこれまで外れはなかった。

 論創ミステリ叢書シリーズの合間に読んで、またここで感想をつぶやく予定です。

 それではオヤスミナサイ。 

8ミリフィルム

 読書の時間が取れなかったので、本日は日記のみの更新です。

 マイカー通勤中目にする街並み。何年シャッターが下りたままなんだ、と思わず呟いた角のタバコ屋。昔は小さい本屋だったなぁ、痕跡が残る半分店舗、半分住宅の家。

 風景なんて当たり前で、いつまでもある、と思っていた。最近までは。

 高校三年の頃だったか、相棒の金平と8ミリフィルムで映画を作ろう! と盛り上がったことがあった。ビデオではない。フィルムである。

 まだVHS-Cハンディカムビデオが普及していない時代(VHSテープ用の大型機器はあった)の頃の話だ。

 リサイクルショップ、という気の利いた店はまだなく、二人で質屋に行ってビデオと映写機を割り勘で買って帰った。今から三十数年前のことだ。

 そして街のカメラ屋に行ってフィルムを買う。これが結構高かった。撮影時間はわずか五分である。

 今のスマホのなんと素晴らしいことよ。動画も写真も、ほぼ取り放題である。現代の若い子が羨ましい。

 なので、必然、撮影も貧乏性のようになって、なかなか構えるだけで撮影ボタンを押さない。

 今は住宅地になっている原っぱで、私のバック転シーンと、金平の背中にシャツを仕込み、その間に爆竹を入れて特撮シーンを撮影したことを覚えている。

 あとで「痛かった」と金平からクレームが来たのもいい思い出だ(笑)

 残りのフィルムは何を撮ったか、余った時間を適当に風景などを撮ったかと思う。

 撮影が終わったらカメラ屋に行って現像してもらう。これもかなり費用がかかったと思う。一万円くらいかかったような。

 レシートを見て二人でひっくり返った。

 そして一週間くらいかかったのだ。なんというのどかな時代。

 そうして受け取りに行って、感動の撮影会である。部屋を暗くし、スクリーンは金欠だったので、白い壁に映写したと思う。

 ピントも甘々でズームも無いに等しい。それでもはしゃいで何度も観たものだった。

 予算的に「これ以上はできない」という結果が出るのは当たり前のことであった。カメラも映写機もゴミになった。

 それから間も無く、民生用で「ブレンビー」というハンディカムが大ヒットし、撮影は磁気テープの時代になった。

 後年、だいぶ経ってから8ミリフィルムの話題が出た。

「何処いったっけ?」

 互いの実家を割としつこく探してみたが見当たらない。まぁ、20年もお互いの親が物置の肥やしにしておくとは思えない。きっとある時期に粗大ゴミで捨てたのだろう。

 機械は捨ててもフィルムだけは残しておいて欲しかった。

 そこにはビデオ以前の大昔の街並み。まだ営業していたタバコ屋も、街の小さな本屋も、よく行った駄菓子屋も、シャッター商店街など無縁な街の活気ある店の佇まいも、親父の乗っていた古い車も、一瞬ではあったが映っているはずであった。

 かけがえのない郷愁。

 もし今フィルムが出て来たら、二人ともホロリとくるかもしれない。

 若い人に言っておきたい。今はタダ同然なんだから、街並み、風景、生活、友をたくさん撮影しておきなさい。

 今の当たり前が、後々一番の宝物になるから。

 

Bee トイデジタル8mmムービー ブラック

Bee トイデジタル8mmムービー ブラック

 

 

松本恵子「黒い靴」を読む

 おボーナス、嫁さんと白熱の攻防の末、希望額五万円から切り出し、最終二万円で妥結した。

 危なかった。

「今年は無しでええか?」

 と真顔でのたまうのである。ええわけないやろが。

 サラリーマンはボーナスの小遣いだけが楽しみなのだ。それを平気でもぎ取ろうとする。正気か? と言う寸前であった。

 三万スタートなら、一万妥結の可能性もあったわけだ。クワバラクワバラ。

 色々と欲しいものはある。主に本だが。

 

橘外男ワンダーランド〈怪談・怪奇篇〉

橘外男ワンダーランド〈怪談・怪奇篇〉

 

 

 とりあえず途中まで買い揃えている橘外男ワンダーランドを集めたい。

 橘外男は怖いよ。特に「逗子物語」と「布団」。前者はよく分からないものに憑かれ、それを明確に説明しないスタイルが新鮮で、不気味さの演出が上手い。

 後者は「そんな高価な布団が格安で手に入るわけなかろう」の「志村後ろ」パターン。布団が来てから不気味なことが起こる。これも「なんで? 俺が何か悪いことした?」みたいな説明のない怖さ。

 あと、家にはマックしかないので、コンパクトなウインドウズマシンが一台欲しい。使用目的はエミュだ。ゲーム本体を処分して、ソフトだけ大量にあるので、これらをウインドウズエミュで走らせたい。そのあたりはウインドウズに軍配が上がるなぁ。

 あとは小倉優香ちゃんの写真集かな。おボーナスの小遣い出たし、買おうかな、買っちゃおうかな。

 

小倉優香ファースト写真集 ぐらでーしょん

小倉優香ファースト写真集 ぐらでーしょん

 

 

 さて、今回は「黒い靴」を読み終えた。

「うまい!」と声が出た。短編で良くあるパターンかもしれないが、好みである。タイトルもふるってる。

 これは解説にもある通り、探偵小説ではなく普通小説だ。

 黒い靴、と言うのは女性が飼っている犬の足の先が「黒い」ため、靴のように見えるところから採られている。

 男女の出会い、そして恋愛、重要な小道具として「犬」を使い、それがラストを引き締める効果をあげている。無駄のない小道具の配置。

 自分の創作にも取り込みたくなるような使い方だった。

 普通小説なので、感想が抽象的すぎました。ご容赦を。

 

 1929年(昭和4年)3月「女人芸術」

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

 

松本恵子「雨」を読む

 昨日、不覚にも心をかき乱してしまった、某オークションの小倉優香ちゃんの生写真「透け乳首」騒動。

 識者の方から「CGであろう」というご意見を頂き、迷い、煩悩からようやく吹っ切れることができた。

 危うく入札ボタンを押すところであった。偽物に貴重な小遣いを投入した、と知れたら末代までの恥。

 危機は水際で食い止めることができ安堵である。

 しかし良くできている。CGの技術は大したものだ。コンピューター黎明期の「合成」なら、アイドルの「顔」があり、技術者にデッサンの素養がないのか、貼り付けが雑で、身体の方向と表情が微妙にずれて「ホラー」のような感じになったり、下は丸裸でも首の結合部分の処理が甘く、キリンのようになってしまっていたり、というのはザラにあった。

 今回のは「自筆サイン」がメイントリックとしてあった。加工した写真の上に本人がマジックでサインをするはずがないではないか。というもの。

 逆にこれは今、冷静になって考えてみて、詐欺に引っかかる人の典型なような気がしてきた。

「本物であって欲しい」と強く願う心が、色々と捻じ曲げて解釈する、ことだ。

 今人気急上昇中の小倉優香ちゃんが、若気のいたりで撮影した透け乳首写真がブレイクした後にオークションで流出してしまった、というストーリーだ。

 しかし、あそこまで可愛い子がそう簡単に脱ぐ筈などないではないか。実際。

 改めて私は当該ページに飛び、悪い評価のコメントを確認した。すると

「サインはプリントアウトされたものです」

「何が自筆だ」

「いつまでも偽物を売ってるんじゃない」

 というコメントが目白押しであった(先にここを見ろよ、と)。

 自筆サインが崩れたなら、事件は解決したも同じだ。

 オークションなので、双方の需要と供給が噛み合えば良いのかも知れないが「嘘」の表記はいただけない。詐欺ではないのか?

「あんたも一旦は買おうとしたんじゃないのかい?」

 私の脳内の売り手側キャラがグラサンとアロハシャツで向かいに立つ。

「だって小倉優香ちゃんの透け乳首だよ? 買いそうになるでしょうが」

「そのプリントをあなたが手にし、思った感情こそが本当のものなんじゃないのかい?」

「だってCGで切り貼りした偽物だろ?」

「でも実際に写真は今、あなたの手元にある」

「……」

「あんたは今から付き合う女性がそれまでの交際人数が「10人です」って言うより「いませんでした」って言う嘘でときめくタイプの人間なんだな。現実に目の前に立つその女の子、そのものを見てはいない。その写真も一緒さ。その時点で目の前にあるリアルと、あんたがどう付き合うか、向き合うか、そこが問題なんだよ」

「わ、悪かったです。女性を「消費の目」でしか見ていませんでした。考えを改めます」

 って、なんで最後「ちょっといい話」に持っていってるねん! ダメよ、偽造は、許しちゃダメ。ノーモア偽乳首!

 さて、今回は「雨」を読み終えた。

 前回の「子供の日記」同様、だいぶ時間の飛んだ創作の収録である。「赤い帽子」から20年の開きがある。

 松本恵子の創作法は「これ」という決定的な骨格とも言える「核」があって、そこにどのような味付けをしましょうか、という感じがする。決して「核」をおろそかにしない、ツボを押さえた創作法である。

 今回もタイトルにまず「雨」と付け、犯行の発覚、証拠の提示が雨にまつわるもの。

 そして登場人物に姉妹。姉は美人だが少々世間に疎く、妹は進歩的で行動的、というもの。その二人が織りなす世界が、トリック小説でなくとも単体で楽しめる。ここが重要。

 そして姉は冤罪を被るのだが、前に紹介した「無生物がものを云う時」のように、どう見ても犯人としか思えないような状況から、観察によって一発逆転になる作話が松本恵子は好みのようだ。

 今回も妹の冷静な観察によって、動きようのない証拠を突きつける。降雨のデーターはさりげなく伏線として提示してある。

 後期は次第に探偵小説からフェードアウトして行ったことを思えば、このスタイルが松本恵子の到達点だった、といえよう。

 

1951年11月「宝石」 

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

 

松本恵子「子供の日記」を読む

 スマホを見て45秒くらい硬直してしまったのだ。先ほどのことである。

 これはタイムリミットのあるネタになるのだが、現時点で某ヤ◯オクで「小倉優香」と検索すると(小倉優香ちゃんは今、私の一番一押しのアイドルなのである)本人のサインが入った生写真が引っかかるのだが、その水着が白で、どう見ても乳首が透けて見えているのだ。

 いやいやいや、人気が徐々に上がっている新進のグラビアアイドルで、そう簡単に見せるものだろうか?

 偽物? 最近はフォトショップなどを使って、簡単に他の画像を合成できる。

 しかしそうなるとマジックで書かれた本人の直筆サインはどうなるのか? というとこれは本物になるのであろうか?

 どうやら「EX大衆」の読者プレゼントのようである。

 私はグーグルで「小倉優香 EX大衆」で検索した。「元画像」がヒットする、と踏んだのだ。元画像はしっかりとした厚手の白水着で「なーんだ、合成か」みたいなことだろう、とiPhoneで丹念に探したのだが、同じ画像が見つからない。

 となるとこれはもしかしたら「若気の至り」パターンで、思い切って「水着の透け◯首」で注目を浴びよう、と頑張ってみたのだが、ブレイクするのが本人の予想よりも早く、雑誌の表紙をバンバン飾るようになってしまった。「やるんじゃなかったなー」の「黒歴史」パターンのやつか?

 私は「乳札」もとい「入札」ボタンを何度も押しそうになった。

 落ち着け、偽物かもしれない。偽物にそこまで投資したら、いい笑いもの、末代までの恥だ。確証が欲しい。

 私は脳内クロックをオーバーブーストさせて、検索ワードを更に吟味した。

「小倉優香 EX大衆 透け◯首」

 で再検索してみた。しかし同じアングルの画像はヒットしないのだ。

 そこでネットの知恵を借りることにした。しかし「ツイッター」では恥ずかしい。

 なので、ここでひっそりと「教えて偉い人!」と叫び、コメント欄に助言を頂けたら、と考えたのである。本物なのか、巧妙な偽物なのか。

 悶々としたまま、とりあえず私は件のオークション品の画像を、スクリーンショットとして本体内に納めるのであった。

 さて、今回は「子供の日記」を読み終えた。

 内容に踏み込んでいるので、未読の方はご注意を。

 タイトルの通り、子供の書いた日記で物語は進んでいく。犯罪+日記だ。子供の無邪気なあどけない視点で日記は綴られる。

 こういう形のものは子供のたどたどしい記述に犯行のヒントが埋め込まれており、事件解決のヒントは、よく日記を読めば分かる、みたいな形式になるのだが、この作品はそこまでの飛翔を見せてはいない。

 しかし子供の日記は、よく練られており「おばさんは株で儲けたのよ」「野菜屋さんだったの?(株をカブと思っている)」みたいなテンポで進む。

 結局、子供の母親が死んでしまうのだが、犯行は祖母が子供の叔母を毒殺しようと、割り箸袋に赤い印を入れ、それを偶然台所に入った子供が「綺麗な色のお箸をお母さんにしてあげよう」とすり替え(子供は自分のやったことに無自覚)それが毒物の目印になっていた。というもの。

 子供の無邪気さが、母親を殺す結果となり、予想だにしない犯罪の悲劇を生んでしまった、という着眼点は面白い。

「最後にお母さんにいいこと(綺麗なお箸にしてあげた)ができて良かったなぁ」という子供の牧歌的な呟きが、更に悲劇を際立たせている。

 

1951年2月「宝石」

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

 

松本恵子「赤い帽子」を読む

 嫁さんの晩酌に付き合って、ヘロヘロであります(敬礼)

 呉三等兵は寝床に向かいますです。

 いやいやいや、それではあまりにも短すぎるやろう。もうちょっと踏ん張ろ。頭グルグルしてるけどな。

 せっかく愛機である金のMacBookをこうやって立ち上げたことやしな。

 何を話しましょう。ここ数年の意識の変化といいますか、文学において「性的なモノ」この解釈が個人的に大きく変わりまして、ただ単にオヤジからエロオヤジにトランスフォームしただけやん、というツッコミは無しにして。

 創作に関してもですね、私は割合ホームページ黎明期で雑文を書き出した頃から、エロは避けてたんですよね。頑なに。

 そういうのは違う、と思い込んで来たわけです。しかし沢山本を読むうちに、谷崎潤一郎や、この前紹介した短編集「ヤイトスェッド」にしたって、観念的で性的なもの、は文学表現として「アリ」だと思うようになってきました。

 

ヤイトスエッド (徳間文庫)

ヤイトスエッド (徳間文庫)

 

 

「商業エロ」とは違う、これまでは一緒くたにしていたんですね。その作品で性行為を行う、のと個人の観念的な性的描写は違うし、そこに「個」としての芸術が潜んでいるのではないか?

 みたいなことをぼんやり考えていたりするのです。酔ってますね(笑)

 次に纏まる短編集は、そういう要素が多く入っていると思います。

 まぁ、この日記を読んでくださる方は、ジムの女性に向ける眼差しの妄想度合いが度を超えているので、私の資質はとっくにお見通しかとは思いますが。

 あぁ、酔いで限界です。玄界灘です。オヤスミナサイ。

 ※

 さて、今回は「赤い帽子」を読み終えた。

 ショートストーリー。あらすじを書くと全部の引用になるくらいなので、簡単な感想を書き留めておく。

 繁華街で赤い帽子を被っていた女性をからかう男性三人組。女性は近寄っていき、ドギマギする男性を手玉にとる。

 モダンガールを地でいっていたのかもしれない。巻末の肖像写真もモダンである。

 この時代に英国に渡り、文才を磨く。そして「余技」として捉えられている創作探偵小説だが、出来栄えはどれも素晴らしい。何度も書くが夫である松本泰よりも。

 纏めてくれた論創社さんには、本当に感謝である。

 

1931年(昭和6年)7月「探偵」

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)

松本恵子探偵小説選 (論創ミステリ叢書)